談山神社 本殿
住所 | 奈良県桜井市多武峰319 |
電話 | +81 744-49-0101 |
サイト | www.tanzan.or.jp |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.7 7 件の口コミ |
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談山神社 本殿 件の口コミ
7入山料が必須な神社。入山料が必要な神社に行ったことがなかったので、入り方に戸惑っていると、受付の方から語尾の強い指示が来ます。心強く対応しましょう。階段が長いので、登っているうちにスッキリします。そして、色々拝観すると、入山料をもっと納めたい気持ちになります。全ては繋がっていると感じる神社でした。
御祭神: 藤原鎌足公
鎮座地: 奈良県桜井市多武峰319
なかなかの山奥にご鎮座されています。途中、細い道路もありますので安全運転にてお出掛け下さい。駐車場 (第1から第4まで) 、トイレも完備されていますし、車椅子の方には西入山口付近に優先駐車場があります。私が行った時は紅葉には少し早かったのと平日だったので、ガラガラ状態でしたが、紅葉の木が沢山あったので、紅葉の時期には大勢の参拝者で駐車場も遠くなり、歩く距離が大分増えるのだろうと思いました。
御朱印を直書きで頂いた時に神職さんと少しお話をしたのですが、元はお寺だったそうで、楼門もそうですが、世界唯一の木造十三重塔など、お寺を色濃く残しています。また、建造物は重要文化財ばかりで見応えも十分です。談山神社拝殿・楼門・東西透廊・十三重塔などは特に素晴らしいですよ。時間に余裕を持ってゆっくりと参拝されてみては如何でしょうか。
JR東海のCMに出てきたところです。この神社の敷地(ちょっと山の方)で大化の改新前に中大兄皇子と藤原鎌足が作戦を練った事からこの名前が付いたとか。新緑の時期に建物の赤がきれいでした。バスの本数が非常に少ないので、着いたらまず帰りの時刻表を確認してから神社に行きましょう。私は1時間以上待ちました。
御祭神:中臣鎌足(藤原鎌足)
寺伝によれば、藤原氏の祖である中臣鎌足没後の天武天皇7年(678)、長男で僧の定慧和尚が唐からの帰国後に、父の墓を摂津国安威(阿武山古墳)から大和国の当地に移し、その墓の上に十三重塔を造立したのが起源と伝えられています。
談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645)5月に大化の改新の談合をこの多武峰(とうのみね)にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことに因んでいます。
後に本尊として講堂に阿弥陀三尊像が安置され、多武峯妙楽寺という寺院として鎮座していました。
しかし明治2年(1869)、廃仏毀釈が行われて妙楽寺は廃されました。また同時に神仏分離令により僧徒が還俗して談山神社と改称されます。
十三重塔をはじめ建物は妙楽寺の寺院建築をそのまま使用しており、神仏習合の雰囲気を現在も色濃く残しています。
拝:2020/10/17
2020.12.01 訪問
本殿は重要文化財。祭神:藤原鎌足
中央に藤原鎌足木像、左に定慧、右に藤原不比等を祀ります。
・701年 (大宝元年) 多武峰寺創建。
・1850年 (嘉永3年) 聖霊院大改修。
・1869年 (明治2年) 談山神社となり仏教廃絶。
旧多武峰聖霊院を本殿としました。
本殿に向かって左右に位置する同形式の二つの宝庫は校倉造りで元和5年(1619)の造営です。文化財の宝庫と知られている談山神社古来の明宝を収蔵してきました。宝物は各博物館にて寄託中です。
梅原猛は、中臣鎌足 (藤原鎌足) の長男である定慧を祀る神社ではないかと推測している。
定慧は孝徳天皇の子である可能性があり、猜疑心深い天智天皇から逃れることができなかったと指摘している。遣唐使としての帰国後、大原の里で毒殺されている。
また、中臣鎌足の次男が藤原不比等であるが、こちらは天智天皇の子であるとの説もある。中臣鎌足は、かつて古人皇子と有馬皇子を襲った運命が同様に長男にも降りかかってしまった悲しみがこの神社に込められていると梅原猛は推測している。