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菅原天満宮遺跡天神堀

住所 奈良県奈良市菅原町19 東451
時間 00:00-24:00
カテゴリー 史跡
評価 3.6 7 件の口コミ
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菅原天満宮遺跡天神堀 件の口コミ

7
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吉川徹
30 七月 2022 9:19

菅原天満宮から少し歩いた先の住宅地の中にそっと有りました。

野中小雪
16 四月 2022 12:16

雨の日に、駐車場からの道あまりにもひどく、服も靴もめちゃくちゃになりました。最悪

山田太郎
25 十月 2021 10:07

菅原天満宮遺跡天神堀
この池は菅原院の一部にして、相伝菅神の菅原天満宮遺跡天神堀遺跡であり、古くから菅原道真公の産湯の池と伝えられております。 島の中にある碑には、星霜年を経て古くなり、神の盛なるを託し、その祖先を敬うことにより徳を載き、荒れた岸に石垣を積もうとしたところ、その趣旨は四方に伝わり瞬く間に完成した。神徳は、月日が下界を照らす様なもので敬わない人はいないだろう。神をたたえ、この稗を立て記念とする。
慶応三年十一月
平成八年六月   改修
と書かれた看板がありました。

いっちゃんいっちゃん
15 八月 2021 11:52

西大寺の南側は菅原と呼ばれるこの辺りは日本神話に登場する天穂日命や相撲の祖で殉死をやめて埴輪の制度を案出し、土師の姓を賜った野見宿祢の子孫で、のちに桓武天皇から「菅原」の地名を姓として賜った一族が住んだ里であり、その邸宅があったと言われる場所がここに残されている。近くには菅原道真信仰の重要な拠点の一つとされる菅原天満宮があり、平安京から先祖の地に戻った母は、この地で道真を出産し、ここの水を産湯としたとの伝承が残されている。

21/06/27、蓮の花で繋ぐロータスロードを歩いた際、1972年に奈良市が設定した『歴史の道』を辿って、喜光寺から菅原天満宮を経てここにやってきた。遺跡は、普通の住宅の前に橋のかかる小島のある池があり、小島には梅と松と碑が立っており、さながら庭園の一部といった風情であった。

岩本兼光
28 四月 2021 1:30

菅原道真の生誕の地と伝わる小さな遺跡。道真の父親は是善公で母親は伴氏である。道真の詩作りの先生、島田忠臣公の娘の宣来子ノブキコが道真の奥方。菅原道真は雷公、火雷天神と言われた天変地異を起こす恐れられた神様。天気を左右する御神徳から農耕神と言われている。宇多天皇の厚いご信任のもと遣唐使を廃止するなど政治の中心でも活躍して899年には右大臣に任命される! 左大臣の藤原時平らに太宰府に左遷された事で、冤罪を救う神様と言われている。道真は弘法大師空海ゃ小野道風と並び書道の三筆と言われた事から書道の神様と言われている。鎌倉時代には、正直の神様と言われて、鷽替え神事が行われている。道真は土師ハジ氏に連なる方である。室町時代は連歌の神様と言われた。戦国時代はお茶の神様と言われている。江戸時代は手習いの神様と言われる、文教の神様、文化の神様と言われている。。現在は学問の神様と言われている。榎社で共に暮らしたのが幼子2人、紅姫とクママロの姉と弟で、従者は味酒安行ただ1人で、身の回りのお世話を浄明尼がしていた。道真の領地、桑原に雷が落ちなかったので雷を落さないでと桑原、桑原と言う様になった。飛梅は御神木で梅の木の名称。道真の乳母の多治比文子は文子天満宮の祭神になっている。

kazuyoshi
09 十二月 2020 9:10

【菅原天満宮遺跡天神堀】(天神堀遺跡)

菅原天満宮がある奈良市菅原町には菅原道真の産湯池と伝えられる遺跡があります。
道真の母君が京都からこの菅原氏族の故地に帰参して産みたもうたと伝えられています

川口公一
30 四月 2019 20:24

菅原天満宮のすぐ近くにあり、道真がこの地で生まれたという伝承があるところです。住宅街の四角い小さな池に、丸い島から岩に橋が架かっています。

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