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神廟拝所

住所 奈良県桜井市多武峰432
電話 +81 80-3351-8111
サイト www.tanzan.or.jp
カテゴリー 神社
評価 5 7 件の口コミ
Mausoleum Hall
最寄りの枝
談山神社 総社本殿 — 319 Tonomine, Sakurai, Nara 633-0032
談山神社 — 奈良県桜井市多武峰319
談山神社 本殿 — 奈良県桜井市多武峰319
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神廟拝所 件の口コミ

7
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江戸モンド
11 八月 2023 4:20

2019年11月訪問

中に入ってお抹茶と和菓子を頂けました。
500円でお抹茶と上生菓子付
朝早い時間に訪問で、私だけしか人が居なかった為か好きなお菓子を選べました。
紅葉の季節だったのでモミジやイチョウの形の和菓子が何種類もありとても綺麗でした!
お抹茶も美味しくて静かにゆったり紅葉を楽しめました。
お抹茶を出してくれた宮司の方が談山神社の歴史の話をしてくれたりと素敵な時間でした。

また紅葉の季節に伺いたいと思います。

ジュピロ
08 十二月 2021 8:43

令和3年6月にお詣り。特別公開に合わせ、如意輪観世音菩薩坐像がこちらに安置されていました。奉られている仏像の背後の壁面には羅漢が描かれ、頭上壁面には天女(音声菩薩でしょうか?)が描かれています。何度かお詣りに来ていたのにまったく気づいていませんでした。
令和3年8月下旬お詣り。これまでは他の参拝者の方に遠慮してやっていなかったのですが、今回は参拝者が私一人しかいなかったので写真撮影をしました。いろいろな土鈴が展示されていました。

A K
28 五月 2021 5:48

写真撮影可能。
狛犬は触れます。

向かって左側が女用、右側が男用だそうです。

horio
26 一月 2021 7:58

2020.12.01 訪問
桁行5間、梁間4間、入母屋造、背面下屋附属、檜皮葺造りです。
神廟拝所(しんびょうはいしょ)は定慧和尚が天武天皇8年(679)、父鎌足公供養のため創建した妙楽寺の講堂です。国の重要文化財に指定されています。
内部の拝観が可能です。塔の正面に仏堂をつくる伽藍の特色をもち、内部壁面には羅漢と天女の像が描かれています。現存のものは、寛文8年(1668)に再建されたものです。
主祭神:藤原鎌足像  江戸初期造立。
明日香・藤原寺にて祀られていたものを明治時代に遷座。

keiichi
24 九月 2019 22:59

梅原猛は、中臣鎌足 (藤原鎌足) の長男である定慧を祀る神社ではないかと推測している。

定慧は孝徳天皇の子である可能性があり、猜疑心深い天智天皇から逃れることができなかったと指摘している。遣唐使としての帰国後、大原の里で毒殺されている。

また、中臣鎌足の次男が藤原不比等であるが、こちらは天智天皇の子であるとの説もある。中臣鎌足は、かつて古人皇子と有馬皇子を襲った運命が同様に長男にも降りかかってしまった悲しみがこの神社に込められていると梅原猛は推測している。

ここは、談山神社を鎌足が建立する前は寺があった。名前を忘れた。鎌足らがここの寺でその入鹿の暗殺計画を練り、そして実行後ここに逃げ延びている。

蘇我入鹿を暗殺してその後の談山神社がある寺へ逃げる中大兄皇子と中臣鎌足を、切断された入鹿の首が宙を舞い彼らを追いかけた、とので伝説がある。

彼ら二人を見失った首は、甘樫丘にある邸宅に残る父・蝦夷を心配して自分の邸宅をめざしまたが、飛鳥寺の首塚のあると場所に落下した、との言い伝えがある。

円座厚司
21 七月 2019 5:54

談山神社の神廟拝所は白鳳8年 (679) に創建された旧講堂だそうです。現在の建物は江戸時代の寛文年間に再建されたものだそうです。

清水英利
15 一月 2019 10:53

神廟拝所 この建物も重要文化財。
679年に藤原鎌足の供養のため創建した妙楽時の講堂です。
これは1668年に再建されたもの。
中に鎌足公の像が安置され見学することができます。
鎌足公御神像
江戸時代初期
もともと飛鳥の藤原寺でお祀りされていました。 明治の廃仏毀釈の際、藤原寺が廃寺になると同時に、談山神社の総社本殿に移座されました。
御簾で姿が見えにくくなっています。
これは鎌足は人臣の最高位「大織冠内大臣」を授けられていましたからなのか?
木造狛犬 鎌倉時代/伝・運慶作
玉眼彩色で素晴らしいものでした。

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