文武天皇 檜隈安古岡上陵
住所 | 奈良県高市郡明日香村平田410-1 |
電話 | +81 744-22-3338 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/042 |
カテゴリー | 史跡, 墓地, 観光名所 |
評価 | 3.7 7 件の口コミ |
Mausoleum of Emperor Monmu | |
最寄りの枝 天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳) — 奈良県高市郡明日香村野口45 平田梅山古墳(欽明天皇檜隈坂合陵) — 奈良県高市郡明日香村平田 孝元天皇 劔池嶋上陵 — 奈良県橿原市石川町 齊明天皇及び間人皇女越智崗上陵、天智天皇皇子建皇子墓 — 奈良県高市郡高取町車木281 |
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文武天皇 檜隈安古岡上陵 件の口コミ
7 持統天皇の次の天皇の御陵になります。
今は諸説あるようですが、とりあえず宮内庁としては正式に?そうなっています。
高松塚古墳に行かれる方は、徒歩2分ほど。
そのままこちらもおすすめです。
愛媛新居浜から夫婦でやって来ました。高松塚古墳の傍、200m位離れたところにあります。道向かいに簡単な案内板がありました。見るべきところはないのかなと思ってましたが、周囲を歩いて裏側に廻ったところ天皇陵墓に見られる例の扉と塀と碑が有りました。文武天皇って、確か天武・持統両天皇の御孫さんではなかったかな。草壁皇子の子供さん。若くして天皇になられて若くしてなくなられたと思う。実質は、まだ存命だった持統さんが政務を助けたと記憶している。文武天皇が無くなった後繋ぎでお母さん (草壁の奥さん、天智天皇の娘) が元明天皇として即位した。そしてその後あの大仏を建立した息子の聖武に引き継がれる。此の辺りまた勉強し直そう。
実際の埋葬者は不明。
(中尾山古墳を文武天皇陵とする説あり)
文武天皇は、名を軽皇子といい、草壁皇子(父:天武天皇、母: 持統天皇)の第二子。 軽皇子は、祖母の持統天皇に寵愛され、697年に文武天皇となった。
以下、国営飛鳥歴史公園Webページより。
「天武天皇と持統天皇の孫にあたり、藤原京で即位し、大宝律令を制定した文武天皇がまつられています。高松塚古墳の南東方向に位置します。」
被葬者:第42代・文武天皇
実際の被葬者は明らかにされていませんが、第42代・文武天皇の陵と推定されています。
拝所の向かい側は、広大で美しい田んぼが広がっていました。
拝:2020/07/13
2019.12.13訪問
陵墓内には立ち入ることはできませんが生け垣の隙間から木立の中に墳丘状の高まりを見ることが出来ます。
墳丘は直径約28m、高さ約2m程の円墳とされており丘陵の南側斜面に築かれています。高松古墳から歩いても近いです。車ですと近くに個人の駐車場¥100です。
高松塚古墳から足を延ばして五分・・近くの中尾山古墳が文武天皇墓という話もあるが・・兎に角、スダチ畑に囲まれた牧歌的な田園風景の中、のんびりと散策できる素晴らしい所でお勧め・・序でにキトラ古墳まで行ってもいいかも。