菖蒲池古墳
住所 | 奈良県橿原市42 |
時間 | 08:00-18:00 |
サイト | city.kashihara.nara.jp |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.1 16 件の口コミ |
Shobuike Tumulus | |
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菖蒲池古墳 件の口コミ
162022、8、29、行って来ました。最近の研究で蘇我入鹿、蘇我蝦夷の墓と分かっております。石室の中は特別な時しか見れないようになっており向かいで発見された巨大な小山田古墳は蘇我蝦夷のものとされており、徹底的に破壊されており無理矢理菖蒲池古墳に2体葬られているのがよく分かる古墳でした
こだけでなく トータルで見て回ろう 1、スマホナビ(地図ナビ)と2、紙の地図と3、詳しい古墳等の解説(スマホでの) の準備万端で旅が楽しくなります。モチロンTOILETの場所の確認、休憩場所の確認グルメの予約もスイーツ等も楽しんで下さい。
着いたら、戸が閉まり、鍵がかかっています。なんだ、石棺は見られないのか…と思うと、よーく見れば戸の左上に鍵を開けてOKと書いてあり、格子戸の隙間から石棺が見られます!
格子戸の中に手を入れて写真を撮る時は、くれぐれもカメラを落とさぬようにご注意ください。
・石棺は非常に珍しく、くり抜き式の内側に漆が塗られているそうです。石棺から夾紵棺へ移る時期に当たるのですかね?保護の為、何時も水が溜まるようにしているようです。誰かお金を出して、きちんと保護管理して頂きたいものですね。
アクセス
近鉄吉野線岡寺駅︰徒歩20分
近鉄南大阪線橿原神宮前駅東口
. レンタサイクル︰15分
雑記
古墳としては珍しく、人の往来がみられ
. る不思議なスポット。
. 甘樫丘近くに位置するので、コース
. での立ち寄りなのかは不明ですが・・。
特段、古墳好きの「古墳変人」には思えな
. い、ごく普通のノーマル系の人たちの姿
. も見受けられるので。
. 隠れたパワースポットとか!?
泥濘みと枯れ草とで、足元が不安定なの
. で早春が無難かも!?
墳丘の外観の全体像が掴めずにて、消化
. 不良 「気味の真備」~。
菖蒲池古墳
所在地 ︰橿原市菖蒲町
形状 ︰方墳
規模 ︰一辺30m 高さ7.5m
埋葬施設︰両袖式横穴式石室
. 刳抜式家形石棺2基
出土品 ︰土器片ほか
築造時期︰7世紀中頃
被葬者 ︰ (諸説) 蘇我氏墓、皇族墓
史跡指定︰国の史跡「菖蒲池古墳」
散歩の途中で寄りました。
藤原京、天武天皇と持統天皇陵、菖蒲池古墳、文武天皇陵、キトラ古墳、それら直線上にほぼ重なる場所にある高松塚古墳。
そして藤原不比等の邸宅があった法華寺もこの直線状にある(これは偶然かな?)
2019.12.12訪問
国指定史跡菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は横穴式石室を埋葬施設、石室部分が国の史跡に指定。玄室内は柵越しで見ることが可能です。墳丘の形状はこれまで不明でしたが。2010年(平成22)に行った発掘調査によって一辺約30m、二段築盛の方墳であるこが判明した。両袖式の石室で、羨道の大半が土に埋もれた状態であるため、石室の全長は不明。玄室の下半部も土に埋もれていますが、奥壁および側壁は花崗岩の巨石を二段に積みあげています。石室は玄室がやや長い。玄室内には2基の家形石棺が、石室主軸にあわせて縦一列に安置されています。2基の石棺は屋根部分の形状が極めて特徴的で、天井部分が棟飾り風に仕上げられています。石棺の内側には漆が塗られていてこのような石棺は他に例がありません。
2基は同じ形状をもつことから、同一の工人によって作られたと考えられます。
古墳としては珍しく、人の往来がみられ
る不思議なスポット。
コースでの立ち寄りなのかは不明で
ですが・・・。
特段古墳好きの「古墳変人」には思えない、
ごく普通のノーマルな人たちも見受けら
れるので。
隠れたパワースポットとか!?
ぬかるみと枯れ草とで、足元が不安定な
ので、早春が無難かも!?
墳丘の外観の全体像が掴めずにて、消化
不良 「気味の真備」~。
近くに村立のゲートボールセンターがあり、そこに車を停めることができます。
古墳まで草むらの中を歩くのでひっつき虫がかなり付きます。そして蚊がたくさんいます。
野生の木苺がなっていました。
一辺30mの方墳、築造時期は7世紀中頃と推定。
埋葬者は不明。皇族もしくは、蘇我氏の墓とする説がある。
精巧な造りの家形石棺2基が有名。
古墳自体は原形を留めていないが、石室は覆屋で保存されている。
小山田古墳が壊されたために、入れる予定だった蝦夷の石棺を菖蒲池古墳に入れたのではないか。
なので、奥が蘇我入鹿 手前が父 蝦夷の石棺かもしれない。
石棺の精密な作りは生前住んでいた邸宅を模しているのではないかとのこと。
とNHKでやってました。
興味深いですね。
車道に標識が立っているのでおおよその位置はわかりやすいのですが、入口の看板が目立たず、ややわかりづらいです。草が生い茂っているので、墳形はわかりづらいですが、見事な石棺が二基残されています。縦に並んでいるので、奥の石棺は見にくいのですが。すぐ近くに養護学校がありますが、この下にも古墳が見つかっているようです。
玄室内部には家形石棺2基を据えるが、これら2基は非常に精巧
な造りで、全国的にも特異な石棺になる。築造は7世紀頃とみられ皇族もしくは蘇我氏の墓ではないかと言われている。建屋で覆われていて、柵の合間から玄室内の石棺を眺めることができます。
闇に浮かぶ石棺
訪れる人が少ないようですが、なかなか立派な石棺が見れました。
皇族、あるいは隣の小山田古墳との関係や古代の破壊痕などから蘇我氏の墓とも。
いずれにせよ、暗い中に浮かぶ2基の家型石棺のインパクトだけでも自転車漕いだかいがありました。