薬師寺孫太郎稲荷神社
住所 | 奈良県奈良市 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4 7 件の口コミ |
Magotaroinari Shrine | |
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薬師寺孫太郎稲荷神社 件の口コミ
7 分霊…遷座を繰り返した歴史があり…
薬師寺とそんな深い由縁はどうなんでしょう…
…とも思いましたが、
一応、南門から程近い、
薬師寺の境内社なので.
お狐さまのご表情が…
思いっきり感じ悪く、
取り憑かれると嫌なので…
アップの写真は撮影やめときました。
概要
由来はかつて藤原氏が現在の栃木県佐野市に築いた稲荷社に遡るものともされています。(孫太郎の名は、その過程で神社を復興させた人物の名によるとも言われています)
関東地方に由来する神社ですが、
後にその神様が姫路城下に祀られることになり、
最終的には江戸時代の寛政期に刀工の三条小鍛冶の仲立ちにより、
この薬師寺の傍らに遷座したものとされています。
祭神は稲荷神社であることから、
「宇迦之御魂神(ウカノミタマ)」を祀っていて、
鳥居の横には、厳めしい表情の「お狐さま」の石像が建っています。
アクセス
・近鉄西ノ京駅…350m
休ケ岡八幡宮と薬師寺を結ぶ小道にあるお稲荷さん。薬師寺とは直接関わりありませんが、藤原氏が創建に尽力したそう。こじんまりしとした境内ですが、世界遺産のお膝元にて清々しい佇まいの神社でした。
薬師寺の「鎮守社休ヶ岡八満宮」に隣接する末社【孫太郎稲荷神社】(まごたろういなりじんじゃ) は、田原藤太秀郷四代の孫藤原頼行が下野国唐沢山(栃木県佐野市)に祀った稲荷社にその濫觴を持つという。頼行後裔の足利孫太郎家綱、あるいは佐野孫太郎義綱が社を再興したことに因んで孫太郎稲荷と称した。
その孫太郎稲荷の分霊がのちに播磨国の姫路城下(城内とも)に祀られる。勧請の時期と経緯は定かでない。榊原氏に仕え、主家の姫路藩移封に従って姫路に移った佐野氏が関わっているかもしれない(姫路市夢前町新庄に佐野家の邸が残っている)。
姫路の孫太郎稲荷には不思議な伝承がある。飢饉により民が苦しんだ時、孫太郎稲荷が姫路城の蔵から米を持ち出し、人びとに分け与えた。このことで城主の怒りを買い、城を逐われることになったのだという。この時刀工の三条小鍛冶が仲立ちをし、奈良西ノ京に遷座となった。寛政年間(1789~1801)のことという。
御祭神は、「宇迦之御魂神」(あうかのみたまのかみ) 。
宇迦之御魂神は、稲の精霊を神格化した神とされています。名前の宇迦は食(うけ)と同じ意味で食物の事をさし、基本的な性格は五穀・食物を司る神。通称「お稲荷さん」と呼ばれて親しまれています。
宇迦之御魂神は八百万の神の中でも代表的な食物神とされています。食物の主役は穀物、そのなかでも「稲」はその中心であり、主食を保証する神の名前が倉稲魂(ウカノミタマ)と表記されるためです。
御祭神:宇迦之御魂神
創建や御由緒の詳細は不明で、当社の北側に鎮座する薬師寺とは所縁のない神社との事です。
一説によれば、当社は藤原氏が現在の栃木県佐野市に築いた稲荷社に遡るものであり、その後兵庫県の姫路に移転、そして姫路から現在地に遷座したそうです。
拝:2020/07/01