畝火山口神社
住所 | 奈良県橿原市大谷町157-1 |
電話 | +81 744-22-4960 |
サイト | city.kashihara.nara.jp |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 4 7 件の口コミ |
Unebiyamaguchi Shrine | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社
|
畝火山口神社 件の口コミ
7畝傍山への登りを橿原神宮方面から入りましたので 下りの終点がこちら「畝傍山口 うねびやまぐち神社」といたしました。ふと振り返った看板には「おむねやま」とルビがふられています。はてさて こちらのお宮さまはなんとお呼びすればよいのでしょう…
式内大社 畝火山口神社
御祭神 氣長足姬命 豊受比賣命 表筒男命
【神社の歴史】
大同元年 (806) 「新抄勅格符鈔」に初出典。
貞観元年(859)「三代実録」に正五位下を授かり、延喜の制で明神大社として官幣及び祈雨の幣に預かった記録がある。皇室の御陵林守護の山神を祀るとある。大山祇命を祭神とした。
文安三年(1446)「五郡神社誌」に畝傍山口神社が畝傍山の西麓にあった記録がある。
天正三年(1575)「畝傍山古図」では山頂に社殿が描かれている。越智氏が貝吹山に築城の際に真北に神社を見おろすことを恐れて頂に遷座したという。
「大和名所図絵」に、当社のご祭神神功皇后が朝鮮出兵の際、応神天皇をご安産になられたとの記紀の伝承により「安産の神」として信仰されている。
主神であった大山祇命を境内社に祀り、本殿に氣長足姫命・豊受姫命・表筒男命の三神を奉祀したのも此の頃。
明治に入って旧郷社「畝火山口神社」と定められた。
昭和15年、橿原神宮陵を見下し神威をけがすということで当局の命により山頂から下山遷座した。
創建の由緒は不詳だが、延喜式名神大社で大和山口神社六社の一つで皇室の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていた。気長足姫命 (神功皇后) 、豊受比売命、表筒男命を祀り、神功皇后が応神天皇を出産したことから、安産の神として信仰され、子授石が置かれている。もともと畝傍山口神社 在久米郷畝火山西山尾と書かれた1446年の記録があった社が、1575年の古図には畝傍山頂に描かれ、この間に遷座したことがうかがえるが、1940年には橿原神宮、神武天皇陵などを見下ろすのは神威をけがすとして、皇国史観全盛の当局から指示を受け、現在の場所に遷座し、併せて郷社から県社に昇格した。ちなみに山頂への遷座は、当社の南・貝吹山に大和の豪族・越智氏が城構えるにあたって、当社を見下ろすのは心苦しいとして遷座させたとの言い伝えがある。
20/11/16参拝時、平日に関わらず、たくさんの登山者 (主に中高年) がお詣りしていたが、静かな雰囲気のお宮さんだ。境内から二上山、葛城山が近くに望まれた。
神社の駐車場まで道が狭いと聞いていたので、少し離れた橿原運動公園の駐車場に車を停めてお詣りし、山頂に出かけた。その分、畝傍山が近づいてくる感じが良かった。