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大納言塚

住所 奈良県大和郡山市箕山町14−8
時間 00:00-24:00
サイト www.yk-kankou.jp/spotDetail12.html
カテゴリー 史跡
評価 4.5 6 件の口コミ
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大納言塚 件の口コミ

6
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筒井崇紀
31 三月 2023 7:48

きれいに整備されている。
地域にいまだに愛されている感じがする。

GKo-G
19 五月 2022 6:11

郡山高校卒の地元民なのにスマホ持つまで全く知らなかった。穴場スポットで自分的に好きな場所。

unfinenana
16 二月 2022 11:16

静かで良い場所にあります以前は周りに住宅が無く春の桜は絶景でしたが今では風情も若干損なわれたのが残念です

Kazuyoshi
06 十一月 2021 12:18

1591年(天正19)に51歳で没した豊臣秀吉の弟の豊臣秀長の墓所。大和・和泉・紀伊100万石を治め、大和郡山を拠点としていた秀長の遺骸は、この地に葬られた。最終官位が大納言であることから大納言塚という。
江戸時代に墓所は荒廃したが、菩提寺であった春岳院の僧である栄隆らの尽力により、1777年(安永6)に墓域が整備され、五輪塔が立てられた。現在ある五輪塔は、その時のものである。

Aurelie
30 十月 2021 10:57

すでに京都に移されたそうです。
車が通りにくいので歩いて行くほうが便利。

kazuyoshi
15 十一月 2020 21:00

『豊臣秀長』の墓所。天正19年 (1591) 、郡山城内で没した秀長はここに葬られました。当初、この近くに豊臣秀吉が建てた大光院<だいこういん>という菩提寺があり、墓地を管理し菩提を弔っていました。

しかし、豊臣家が滅んだあと、大光院は京都に移され、秀長の位牌は東光寺 (のちの春岳院) に託されました。

その後墓地は荒廃しましたが、安永6年 (1777) 、春岳院の僧、栄隆<えいりゅう>や訓祥<くんしょう>が郡山町中と協力して外回りの土塀をつくり、五輪塔を建立しました。五輪塔は高さ2メートルで、地輪の表面には戒名が刻まれています。

場所:奈良県箕山町

アクセス:近鉄「郡山駅」から徒歩で10分

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