鳥谷口古墳
住所 | 奈良県葛城市染野 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,10478,53,215,html |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 3.7 7 件の口コミ |
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鳥谷口古墳 件の口コミ
7 鳥谷口古墳、奈良県葛城市染野。
7世紀後半。方墳、7.6m。横口式石槨。大津皇子説。凝灰岩=二上山産出。
二上山の麓、池を前にする谷、見晴らしのある場所。丘上へ石槨が見える。造形は精巧なもので、直線的な部分がはっきりとする加工ぶり。
二上山を奈良側祐泉寺の方に降りると左手に見えてくる。珍しい方墳(四角)で1983年工事中に偶然発見されたらしい。二上山雄岳頂上には大津皇子の墓所がありますが、この鳥谷口古墳が大津皇子の墓だと言う説もあるらしい。(葛城市ホームページ)石棺も見る事ができ、墳丘から東に明日香が見渡せ、大津皇子の姉大伯皇女が“うつそみの 人にある我や 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む”との歌を思い起こす。明日香を眺め歴史浪漫を感じる事ができる。
大津皇子のお墓は二上山の上に在りますが本当は鳥谷口古墳だと言われてますね。
そもそも大津皇子に謀叛の疑いをかけたのは権力者側、処刑してお墓を聖山の二上山の上に作らせるとも思えない。
場所の説明か難しいです。横口式石槨は立派です。一見の価値はあるとおもいます。拝見した時、サイズが小さいと感じました、7世紀のものとの事で、火葬後の納骨だったのかもですね。鉄格子の中というのが古墳の雰囲気に合わないような気がしますが…
ズバリ! 一番好きな古墳です。
二上山雄岳の東南に伸びる尾根の
先端部に築かれた「鳥谷口古墳」を
目の当たりにして・・。
一目惚れです。
萬葉の薫り高い至上の存在。
悲運の大津皇子を想起させる
ながく想い描き待ち焦がれていた
理想のシルエットを持つ憧憬の古墳。
まさに "邂逅" の思いにて~。
史跡の丘を過ぎ、左手に當麻寺を
配しながら首子古墳群を縫い進み
緩やかな山道へ歩を運ばせ行くと
やがて社寺の参道に至る。
参道を右へ抜け出ると視界が開けて
二上の山容に抱かれ佇む鳥谷口古墳
を大池が映し出しています。
墳頂は紅葉が深まり
鹿の鳴き声が木霊し
万葉を紡ぎだす・・さながら錦繍。
残念ながら
「近畿自然歩道」をひたすら目指す人
には、古墳の存在そのものがないか
の如くに、立ち止まりも一瞥もせず
その傍らを先を急ぐ足どりで、木枯
しのように過ぎ去って行くのみ。
散策コース
史跡の丘~當麻寺~首子古墳群
~鳥谷口古墳
アクセス:市営當麻観光駐車場 or
近鉄南大阪線/磐城駅
より徒歩25~30分
この古墳の主は大津皇子と考えられています。
大津皇子は、父帝天武崩御の翌月、謀反の罪で死を賜わります(686年)。これは嫡子草壁皇子を後継ぎにせんがため、母である後の持統女帝が仕組んだ陰謀ではなかったかというのが通説です。そして、二上山山上に葬られたとされ、今はそこに陵墓まで作られています。しかし、考古学者たちによると、山上の「墓所」は墓ですらないとすでに結論づけられています。
大津皇子の墓は二上山の「上」にではなく「麓」にありました。
当麻寺にほど近い、二上山への登山口にあるこの古墳がそうです。1983年、土地整備の工事中に発見されました。一辺約7. 6mの方墳で、横口式の石室を持ちます。内部出土品はありませんが、周囲から出土した土器から7世紀後半の古墳とされます。
しかしその石室は狭くて、大人の棺が入りきらない、納骨のためだけの奇妙な墓なのです。しかも、石室を形作る各石は、家型石棺の蓋の未完成品を転用した寄せ集めという異様なものです。規模は小さくても格がある凝灰岩を使っています。
さらに、二上山「上」や「麓」に他に古墳はありません。孤立した寂しい古墳なのです。大津皇子伝説にいかにもふさわしい墓跡です。