JAPANRW.COM

崇道天皇 八島陵

住所 奈良県奈良市
電話 +81 742-23-3416
時間 09:00-17:00
カテゴリー 史跡
評価 4.3 13 件の口コミ
Yashima Mausoleum of Emperor Sudō
近くの同様の会社
平城京西市跡 — 奈良県大和郡山市九条
元興寺塔跡 — 奈良県奈良市芝新屋町12
杉山古墳 — 奈良県奈良市大安寺4丁目6
東大寺山古墳群と横穴式石室 — 奈良県天理市櫟本町2613

崇道天皇 八島陵 件の口コミ

13
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
市村寿男
02 二月 2022 12:07

崇道天皇は、桓武天皇の弟で皇太子だった早良親王のことで、785年の造長岡宮使・藤原種継の暗殺事件に連座したため、皇太子を廃され、淡路国に流される途中、無実を訴えるために絶食し、河内国高瀬橋付近で憤死した。その後、桓武天皇の皇太子・安殿親王の発病、妃たち(藤原旅子、藤原乙牟漏、坂上又子)の病死、母の病死、さらに疫病や災害が相次ぎ、これらが早良親王の祟りであるとして幾度も鎮魂の儀式が執り行われ、800年には崇道天皇と追称され、淡路国津名の陵に陰陽師や僧を派遣、陳謝され、墓守も置かれたが、それでも祟りはおさまらず、805年、大和国八島に改葬された。そのようないわくのある陵墓が奈良市のはずれに、ひっそりと建てられている。
親王は、祟り神として畏怖され、近くの嶋田神社、奈良市内の崇道天皇社や御霊神社、京都市内の崇道神社などで手厚く祀られている。なお、実際には皇位継承していないので、崇道天皇は歴代天皇とされていないが、八島陵は皇族の陵墓であるため、宮内庁が管理している。
22/01/26、訪問。実際には親王が事件に関与したのかどうか、今となってははっきりしないそうだが、奈良仏教界の影響を排除したかった桓武帝としては、当時の奈良仏教界の最高位近くに居た親王を排除せざるを得なかったのかもしれないが、排除した後、後ろめくなったということなのかもしれない。

御船久人
27 八月 2021 23:54

崇道天皇は第49代光仁天皇皇子で、第50代桓武天皇の弟である。崇道天皇(早良親王)は藤原種継を暗殺した容疑をかけられ、淡路島へ流された。しかし、自らの無実を訴えるため絶食し亡くなった。遺体は淡路島に葬られたが、桓武天皇の近親者が次々に亡くなり疫病も流行したため祟りだと恐れられ、崇道天皇との称号が贈られた。

祟りを鎮めるため、淡路島の墓から八島寺に移され、寺が廃されてから円墳を作り天皇陵として造営されたのが八嶋陵である。早良親王は自分が死んだらこの石が落ちた所に葬ってほしいと告げ九つの石を投げて絶命した。そのうち八つが見つかったため、この地に陵を造営したという伝説がある。

その八つの石が、八嶋陵前の道路にある。動かすと祟りがあるとされ、道路の中央部をくりぬいてそのまま置かれている。

Yoshinori
22 六月 2021 10:38

崇道天皇が祀られています。亡くなられた後に天皇の称号をうけられた天皇のため、正式な天皇としては数えられていないそうです。
しかし、天皇の陵ということで、管理は宮内庁ということが明記されています。
怨霊伝説で有名な崇道天皇ですが、奈良市内には崇道天皇神社は何ヵ所かあって、地元の氏子さんに丁寧に祀られています。
祟り神信仰は多く、例えば祇園祭なども八坂神社の御霊信仰によるものですし、全国に点在する御霊神社などもその代表です。祟り神が怒り出さなければこの地は平穏に過ごせるということで、怒り出さないようにお祭りでもして機嫌をとっているというところでしょうか(私の憶測ですが…)

幸治貝坂
10 五月 2021 20:37

とても静かで雰囲気の良い場所だと思います。
3月の暖かい日に来させて頂きました。
(石造りの) ベンチが有ったので奈良駅前で
購入した柿の葉寿司を昼食として食べました。
また訪れたいです。

Toukibi
16 三月 2021 20:47

なぜかベンチがあり誰にも遭遇しない穴場なのでゆっくりできます。当然バリケードの中は立ち入り禁止です。早良親王の父親の別名白い壁に覆われた門とその門の向こうに垣間見える鳥居の存在感がなんともいえません。悪霊だ祟りだなんて言われてますが微塵も感じませんでした。八島陵の前には古墳時代の石もあります。八島の由来になった石だそうです

Satoshi
10 十二月 2020 22:14

被葬者:崇道天皇(早良親王)

宮内庁により、第49代・光仁天皇の第二皇子である崇道天皇(早良親王)の八島陵に治定されています。
早良親王は御存命中に皇位継承されておらず、没後に追諡されています。

延暦4年(785)、早良親王は造長岡宮使・藤原種継の暗殺事件に連座して廃され、乙訓寺に幽閉されました。
早良親王は無実を訴えるため絶食して10余日、淡路国に配流される途中、河内国高瀬橋付近で憤死しました。

拝:2020/10/05

horio
20 二月 2020 11:41

2020.02.02訪問
崇道天皇は桓武天皇の同母弟である早良親王である。
築造年代は8世紀の円墳です(江戸末期文久年間に治定)
歴代天皇の中には崇道天皇の名前はありません。
 桓武天皇が延暦19年(800)7月、怨霊鎮魂のため「崇道(すどう)天皇」という諡号を与えたとのことです。

Noriyasu
29 一月 2020 23:26

「山の辺の道(北)/万葉の道」巻十二の一の十四 奈良市八島町
崇道天皇陵(すどうてんのうりょう)

周囲にはスポットが三か所あります。
 八つ石 八つの石が陵の前の道の真ん中にあります(古墳の横穴式石室)

 崇道天皇社 石灯籠(県道側)

 万葉歌詠標
【万葉歌詠標】(守る会歌詠標No. 5)
八嶋国(ヤシマクニ) 妻枕きかねて
春日(はるひ)の春日の國に
麗し女と有りと聞きて
     日本書紀 96 勾大兄皇子
八嶋の国で妻を娶らないでいると、春日の国に美しい女がいると聞いて、よろしい女がいると聞いて、檜の立派な板の戸を押し開いて. 。
(「ハルヒ」は春日の枕詞)
(「まきさく」は檜の枕詞)
「春日」(かすが)という言葉の語源はこの地から出ることを表わした日本書紀の歌詠標です。

これからは円照寺へのルートは二手に分かれます。竹藪・野道の中を進む「向山地蔵」経由のショートカットコース。あと一つは、円照寺のバス停経由の、いったん県道にでて東に進んでくるルート。
推奨は、
1)円照寺バス停で発着時刻を確認しておきたいこと
2)円照寺の表参道半ば北側(ショートカットの出口です)に万葉歌碑があり、学習の機会をもてること。
3)円照寺(拝観は受付されていません)を少し拝見して、ショートカットで次こそ薮を抜けて、南の天武天皇社や正暦寺へ向かうこと。
です。

ぱたりろ
19 一月 2019 14:59

宗道天皇 八島陵
桓武天皇は平城京山城長岡京に遷都するため藤原種継を任命、市k氏堂余年種継八島陵が工事検分中に暗殺される。このため長岡京の留守役であった早良親王も謀反の疑いに連座し皇太子を廃され淡路島に流された。この淡路島へ配流の途中無実を訴えて憤死する。こののち大君天変地異や災いが生じ早良親王の祟りと占われた。

松本克敏
24 十二月 2018 9:05

天皇陵って、なにか明るい雰囲気があるように感じるのだけど、ここは重い。長岡京で、藤原種継暗殺に連座したとされた早良親王。死後、追号された崇道天皇の陵墓。
天皇陵の前にある鳥居さえ、白壁に遮られて見えない。祀られる側より、祀った側の後ろめたさが、この厳重さに表れているんだろうな。

keiichi
19 十一月 2018 20:18

平安京を築いた桓武天皇の弟で 「憤死 」した早良皇太子を「崇道天皇 」として礼拝の対象とすることにより、桓武天皇は祟りを鎮めようとしたとのこと。早良親王が藤原種継暗殺事件に関わったとする桓武天皇の企みに嵌り淡路島に護送される途中、自らの潔白を訴えて絶食し死んでいる。その祟りを恐れた桓武天皇が崇道天皇として格上げした、と言われている。

masaru
23 十月 2018 4:20

天皇では無く、親王らしい。この親王は死にのぞんで9つの石を投げ、石の落ちたところにみずからを葬るように遺言して、親王の投げた9つの石のうち、8個は同じところに落ち、それが「八つ石」の起源となって、それが落ちたところこそ、現在、崇道天皇陵のある、八島町らしい。
この話しが、実話ではないと思うけれど事実、巨石群は「八嶋陵前古墳」と呼ばれる古墳の石室の残骸で、親王の生きた奈良時代末期よりも数百年も前の遺跡だとか。さらに、それを動かすと祟りがあると信じられているせいで道路の中央に残されたままになっているらしい。

yu yu
02 一月 2018 9:12

第49代光仁天皇の皇子であり第50代桓武天皇の弟でもある早良(さわら)親王である崇道(すどう)天皇。天皇が追称されていますが、歴代天皇には数えられていません。早良親王は長岡京造宮使、藤原種継暗殺事件への関与が疑われ、淡路島に護送される途中で崩御されました。

レビューを追加