水泥南古墳
住所 | Nara, Gose, Kose, 895 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001469.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.8 6 件の口コミ |
最寄りの枝 條ウル神古墳 — 奈良県御所市條312 琴弾原白鳥陵(日本武尊陵) — 奈良県御所市冨田 |
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水泥南古墳 件の口コミ
6水泥南古墳(みどろみなみこふん)6世紀後葉に築造された径25メートルの円墳。両袖式の横穴式石室が南向きに開口し、玄室部と羨道に1基ずつ家形石棺が置かれています。開口部は鍵が掛けられていますが、写真の撮影はしやすいです。案内板も開口部横にあります。散策当日、古墳周りの写真撮影をしていたところ、地域の複数の方々が別のタイミングで声をかけて下さり、水泥北古墳を裏庭にもつ、N様を教えて頂き、駄目もとでお伺いしたところ、水泥南古墳の開口部の鍵を開錠して石室内部を見せて下さり、石室内の説明もして下さいました。羨道部の蓮華文をあしらった石棺蓋を身近に拝見することが出来て感動しました。開口側の蓮華文は風化により薄くなってしまっていますが、玄室側はまだしっかりと形が残っているようです。しかし石棺が羨道部にある為、玄室には入れない(狭い)ので拝見はできませんでした。玄室部の石室も細部を拝見することは叶いませんでしたが、蓋部はかなり修復されているようでした。見ず知らずの訪問者に優しく声をかけてくださり、古墳の細部を見れるように配慮してくださる地域の方々はこちらの古墳に誇りをお持ちになられているのだなと感じました。偶然のラッキーでしたが、地域の方々、N様のお陰で良い散策をさせて頂きました。N様には水泥南古墳の後、水泥北古墳の石室にも案内して頂きました。運使い果たしたかもなぁ(笑)
昭和36年に国の史跡に指定されています。北側の私邸にも水泥北古墳があり、合わせて指定されています。古墳の形態は円墳です。横穴式石室で道から中が見えるようになっています。近づくとライトが点いて見えやすくなるようになっています。築造時期は古墳時代終末期の6世紀後半頃と推定さているようです。石室内には、玄室と羨道に1基ずつ家形石棺がおかれています。羨道の石棺蓋の両小口の縄掛突起には蓮華文が陽刻されており、古墳文化と仏教文化の結合例になっています。金銅製の耳飾りや須恵器(高坏・? ・台付? )などの土器が出土したようです。古墳そのものは囲いがされていません。古墳の隣にある駐車スペースに止めて見ることができます。被葬者は明らかではなく、一帯を治めた古代豪族である巨勢氏と推測されているようです。
2019.12.23訪問
道路脇に石室が見えます。直径約25mの円墳で、家形石棺が2基発見され、玄室と羨道(せんどう)に置かれている。羨道に置かれた石棺は、ふたの縄掛け突起部分に、蓮の花の模様の蓮花文が刻まれているのが特徴です。古墳は6世紀の後期に築造されたと考えられます。
水泥古墳を訪ねて古瀬の村道を歩いていた。水泥南古墳は見たけど水泥北古墳は邸宅内で事前連絡なしだからほぼ諦め、様子だけでもと思っていた。歩く内、通り過ぎその先は行けないらしい。地元のおじいちゃんがその先行けないよと声があって。古墳の話をすると指さして大きい邸宅で見せてくれるよと教えてくれた。然し大きい邸宅は他にもあって間違えた。けれども、そこの奥さんは大丈夫と連れて行って頼んでくれた。皆さん親切な人ばかり、そして巨勢に誇りを持っているのがわかる。すみませんでした。 石棺の蓋に蓮華文の入った珍しいもの。格子越しに見れるが文様も段々劣化しているみたい。反対側にも文様があったけど、その写真はどのようにして写したか???とか・・・
直径約25mの円墳、築造時期は6世紀後半と推定。国指定史跡。
石棺蓋の縄掛け突起に蓮華文(ハスの花をかたどった模様)が刻ませており、仏教文化と旧来の古墳文化の融合を示す最古の事例として著名である。