崇峻天皇陵 倉梯岡陵
住所 | 奈良県桜井市倉橋 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/032/index.html |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 3.8 8 件の口コミ |
Mausoleum of Emperor Sushun | |
最寄りの枝 押坂段ノ塚古墳(舒明天皇忍坂段ノ塚古墳) — 奈良県桜井市忍阪556 孝元天皇 劔池嶋上陵 — 奈良県橿原市石川町 天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(野口王墓古墳) — 奈良県高市郡明日香村野口45 文武天皇 檜隈安古岡上陵 — 奈良県高市郡明日香村平田410-1 |
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崇峻天皇陵 倉梯岡陵 件の口コミ
8 のどかな田畑と家々を抜けていくと、山に隣接するようにして陵がありました。
それが崇峻天皇倉梯岡陵(すしゅんてんのうくらはしのおかのみささぎ)です。自然が多くてとても静かで良い場所でした。
そんな静かな場所に眠る崇峻天皇(?〜592年)は、蘇我氏の権力が大きい時代に即位しました。天皇なのに実権を蘇我馬子が握っているせいで思うようにできない崇峻は馬子との間に軋轢が生じ、最終的に馬子によって暗殺されました。家来が狩ってきた猪の首を切り落として、「馬子の首もこんな風に落としたい」と言ったところを偶然馬子の家臣が聞いてて馬子にチクって殺された、と言われています。殺された天皇は歴代でも第20代安康天皇と崇峻天皇の2人だけです。
そばを流れる寺川の岸辺に佇むと、天皇陵としてのその立地条件に何故か釈然としない違和感を感じます。悲劇の天皇・崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝わる蜂子皇子は遠く「みちのく」に逃れ、出羽国で羽黒山を開山しました。蜂子皇子の御陵は羽黒山山頂にあり、宮内庁の管轄になっています。
被葬者:第32代・崇峻天皇
宮内庁により、第32代・崇峻天皇の倉梯岡陵に治定されています。
崇峻天皇は飛鳥時代を生きた方で、父は第29代・欽明天皇、母は蘇我小姉君です。
拝:2020/10/17
ここは桜井吉野線から倉橋の村中に入った静かな場所である。歴代天皇で暗殺された数少ない天皇である。拝所の雰囲気は丁寧に手入れされているし、周りの住民からも丁寧にされているとは思うが、御陵の廻りを一周してみたが、まるで御陵の様子が見えない。後部にやや盛り上がったマウンドが見えるだけである。学者さんのほぼすべてが否定しているのが納得出来る。実陵は赤坂天王山古墳との意見が多い。そこは自由に石室内に入れるが少し勇気がいる。宮内庁は何処かでしっかり祀れば問題無いとのスタンスだろう。実際に本陵云々を言い出すとパンドラの箱を開けることになる。
崇峻天皇の時代は特に激動の時代であった事だろうけど、今も崇峻天皇は安楽に眠れない。
寺川の辺りに佇むと、天皇陵としてのその立地条件に何故か釈然としないものを感じます。崇峻天皇の皇子の1人・蜂子皇子は遠く「みちのく」に逃れ、出羽国で羽黒山を開山しました。その御陵は羽黒山山頂にあり、宮内庁の管轄になっています。
直径約35mの円墳。
ただし、古墳では無いとする説、赤坂天王山古墳が崇峻天皇陵とする説がある。
なお、崇峻天皇は蘇我馬子により暗殺されたとされる天皇。
なんか、ここから南西3kmほど先にある石舞台(馬子の墓)をずっと恨めしそうに睨み付けているような気がしないでもない・・・。
静かな陵墓です。
日本書紀にここに崇峻天皇をこの地に葬ったという記述があるので、宮内庁はここを崇峻天皇陵として比定したらしいです。
崇峻天皇のお墓としては藤ノ木古墳なども被