島の山古墳
住所 | 奈良県磯城郡川西町唐院443-1 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main01802.html |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.9 9 件の口コミ |
Shima-no-yama Tumulus, Nationally Designated Historic Site | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社 唐古・鍵遺跡 史跡公園 — 奈良県磯城郡田原本町唐古50-2 藤ノ木古墳 — 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目1−1795番地 斑鳩大塚古墳 — 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南1丁目8−38 佐味田宝塚古墳 — 奈良県北葛城郡河合町佐味田 |
島の山古墳 件の口コミ
9 古墳の形状と出土品から、この古墳を4世紀型で、築造時期を4世紀後半だと推定する研究者がいます。ここの被葬者の推定に関しては、次の3点が重要なポイントになると思います。
1 古墳の大きさが皇族又は有力豪族クラス
2 古墳の平面図が宝来山古墳と同じ相似形
3 被葬者は祭祀に関わった女性
竪穴式石室には割竹形木棺が安置されていたとみられ、その周辺からは、祭祀用と思われる碧玉製の装飾品が多数見つかっています。石製腕飾りとしては、全国最多の約140個も出土しており、被葬者は、生前祭祀に関わった最重要人物(女性)だったと考えられます。
日本書紀には、崇神天皇が娘の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に、笠縫邑(かさぬいのむら)に天照大御神を祀らせたとあります。彼女は垂仁天皇の腹違いの妹にあたる人です。笠縫邑の所在地に関しては、田原本町(二木)がその一つの候補地として挙げられますが、ここから6キロほど離れた所にあります。また、この古墳と同じ相似形である宝来山古墳は現在垂仁天皇陵に治定されていますが、同じ相似形の古墳同士は築造時期が近いと考えられています。
笠縫邑が田原本町辺りにあり、宝来山古墳の被葬者が垂仁天皇であると仮定すると、この古墳の被葬者の有力候補として豊鍬入姫を推定できますが・・・ 真偽のほどはいかに? これは歴史学者の安本美典の説です。
また、他の有力な説としては、田中卓の説で、応神天皇の妃の一人である糸井比売とその父親の嶋垂根(しまのたりね)の二人を被葬者としています。しかし、豪華な出土品も含めこのような巨大な古墳に対して応神天皇の皇后ならまだしも、糸井比売ではどうでしょうか??
因みに、ここから徒歩10分強ほどの処に式内社である糸井神社があります。神社名から主祭神は糸井比売かと思いきや、豊鍬入姫でしたね️️
奈良県磯城郡川西に有る、前方後円墳で、馬見古墳群を構成する、古墳の一つです!
墳丘長は200m有り、堅穴式石室となってました!
出土品は、埴輪に装身具と鉄剣が有りました!
古墳は、周囲を水堀で守られ、
水堀は想像より、幅広く深い様に見えました!
This was an interesting mound. The water area is still well defined and larger than expected for a smaller mound like this. Somehow, they've allowed small houses to be built right into the waterline. The imperial family should allow scholarly maintenance of all kofun. I would love to see them restored and walk them.
比売久波神社(ひめくわじんじゃ)のお隣にあります。神社側から見ると前方後円墳の形がよく見えます。
神社の北側の駐車場に車を停めて周濠を歩きました。説明板などがあります。
川西町は古墳の説明が親切ですねぇ…今まで散策した古墳で、ナンバーワンの説明力でした。古墳東側、西側に案内板が多数。多数すぎて、案内板の位置が低すぎて、多少ダレてしまいましたが…。しかし、川西町の力の入れようがよくわかリます。魅力的な出土物、いったい、何人埋葬されているのか?など不思議な古墳です。出土品も素晴らしいです!古墳の説明は他の方々がされているので…(この時点で文字数多いし)百聞は一見にしかず…詳細は現地で確認して頂くのが一番かなと思います。なんせ痒いところに手が届くぐらい、素晴らしい案内板ですから(本当に素晴らしいです)。こちらの古墳から西へ400メートルぐらいにある川西町ふれあいセンターに、島の山古墳から、出土したと思われている石棺石が野ざらし展示されています。そちらにもどうぞ。
2019.12.23訪問
寺川と飛鳥川にはさまれた地に築かれた巨大前方後円墳です。墳丘の全長190m、前方部長92m、同幅93m、後円部径98mで、盾形周濠(南北265m、東西175m)を。4世紀末~5世紀はじめごろの築造で、同時期の古墳では最大規模。墳丘は高さ13mほどの三段築成となっており、円筒埴輪古墳の南方には、全長50m前後の前方後円墳を含むいくつかの古墳が点在し、式下(しきげ)古墳群と呼ばれている。この古墳群の盟主的重要な位置を占める。
この古墳の被葬者を推定する場合、次の3点が重要なポイントになると思います。
1 古墳の大きさが皇族クラス
2 古墳の平面図が垂仁天皇陵と相似形
3 出土品から考えて被葬者は女性
日本書紀には、崇神天皇が娘の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に、笠縫の邑に天照大御神を祀らせたとあります。彼女は垂仁天皇の腹違いの妹にあたります。笠縫の邑の所在地に関しては、田原本町がその一つの候補として挙げられますが、ここから6キロほど離れた所にあります。また、同じ相似形の古墳同士は築造時期が近いと考えられています。垂仁天皇陵の被葬者が垂仁天皇で、笠縫の邑が田原本町辺りにあったと仮定すると、古墳の被葬者は豊鍬入姫と推定できますが・・・ 真偽のほどはいかに? これは歴史学者の安本美典の説です。
また、他の有力な説としては、田中卓の説で、応神天皇の妃の糸井比売とその父親の嶋垂根(しまのたりね)の二人を被葬者としています
島の山古墳ですね。古墳時代の知識は、まるで無い素人ですが、肉眼で前方後円墳の全形がはっきり判る素晴らしい古墳だと思います。本などの航空写真で幾つかの前方後円墳は見ましたが、現地で見た瞬間、まさにこの形なんだなと実感しました!周りに景観を遮る高い建物が無いので存在感抜群でした。正面が見れないので、一個引きです。