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大和天神山古墳

住所 奈良県天理市柳本町
時間 00:00-24:00
サイト city.tenri.nara.jp
カテゴリー 史跡
評価 3.2 6 件の口コミ
Yamato Tenjinyama Tumulus
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大和天神山古墳 件の口コミ

6
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Yama
02 十一月 2021 17:58

3世紀後半から4世紀前半に築造されたと見られる全長約108メートルの前方後円墳です。国道沿いに古墳の説明板があり、国道建設時に前方後円部分の東側約半分の墳丘が削られたとの事、南北に向いていて、縦方向に削られているので、東側の離れた場所からの見た目は普通に見えるのですが…。古墳と国道の対面に空き地があり、そこも古墳の一部だったんやと、すこし切なくなりました。   追記 墳丘内にアプローチしました。古墳東側だけでなく、古墳の西側のくびれ付近も、かなり土取されており、後円部から前方部へは、幅1メートル位の通路みたいな感じでした。

PONTE
22 十月 2021 14:37

大和天神山古墳(やまとてんじんやまこふん)
伊射奈岐(いざなき)神社の境内にある古墳。
全長約103メートルの前方後円墳、築造時期は3世紀後半から4世紀前半、もしくは4世紀後半と推定。
後円部のほぼ中央に長さ6.1mの竪穴式石室が確認されている。
ただし、被葬者については遺体を埋葬した痕跡を確認できず崇神天皇陵(行燈山古墳)の陪塚との見方がある。

naotoshi
04 二月 2018 23:07

2017.08.13. (日) 13: 10 初訪問 (奈良斑鳩人)
車のナビで 場所は直ぐに分かりましたが
古墳周囲の道路を一回りしましたが 車を
停める場所が無く 隣接する伊邪那岐神社の
駐車場に停めさせて頂き 先ずは御参りを
済ませた後に 古墳外周の道路を徒歩で探査!
トコロが 神社と古墳全体が 森の様に木々が
生い茂り 全体像がイメージ出来ませんでした

国道沿いの一角に 古墳の説明パネルが有り
ソコには 前方後円墳で 古墳の東側半分が
国道建設の為に消滅したと有り ソコまで
読んで ナンテ事するんだ と腹が立ちました
と言う事で 現在の姿は西側の後円部北半と
前方部南半は 比較的原形を留めているトノ
事でした
また古墳全体の規模は 長さ113m高さ9mで
壕の存在は不明で 埋葬者も不明

なおネットで調べると 古墳は4世紀後半に
造られたモノで 古墳時代になって100年程
たった頃の 比較的古いモノになります

また古墳後円部中央には 長さ6.1mの竪穴式
石室が発見され ソコにはベンガラとか鉛丹
の顔料が混ぜられた水銀 (水銀朱) が 木製容器
に41kgも入っていたと有り 1400年程の間
容器が腐敗崩壊せず ソレが驚きですヨネェ!

また副葬品の中には国の重要文化財に指定
さた 銅鏡23面 鉄製品16品 土器片等が
有るトノ事でした

吉村豊
15 十一月 2017 5:06

人を埋葬した痕跡は無いにせよ、道路に東半分を削られたお気の毒な古墳。

kurashi
27 十月 2017 7:23

国道25号線を挟んで崇神天皇陵の反対側。
伊弉諾神社の鎮守の森かと思っていたが、
古墳でした。国道25号線建設時に古墳の
半分を削られたらしい。墳丘長103m
前方後円墳。築造3世紀後半~4世紀後半

PONTE
12 十月 2017 21:04

全長約103メートルの前方後円墳、築造時期は3世紀後半から4世紀前半、もしくは4世紀後半と推定。
被葬者については遺体を埋葬した痕跡を確認できず崇神天皇陵(行燈山古墳)の倍塚との見方がある。

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