齊明天皇及び間人皇女越智崗上陵、天智天皇皇子建皇子墓
住所 | 奈良県高市郡高取町車木281 |
電話 | +81 744-22-3338 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/037/index.html |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 4.1 7 件の口コミ |
Mausoleum of Empress Saimei | |
最寄りの枝 平田梅山古墳(欽明天皇檜隈坂合陵) — 奈良県高市郡明日香村平田 孝昭天皇 掖上博多山上陵 — 奈良県御所市三室378 文武天皇 檜隈安古岡上陵 — 奈良県高市郡明日香村平田410-1 懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵 — 奈良県橿原市西池尻町401 |
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齊明天皇及び間人皇女越智崗上陵、天智天皇皇子建皇子墓 件の口コミ
7 階段きついです。ここまで管理しに来る宮内庁の人もきついでしょう多分。
長い階段を登り切ると拝所があり、そこは木がなく開けています。いい景色があるって訳でもありませんが、達成感があります。
柵も無く細くて怖い石畳の道があり、陵の周りを歩く事ができます。
齊明天皇越智崗上陵(さいめいてんのうおちのおかのえのみささぎ)となっていますが、本当の斉明天皇陵は少し北東にある牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)で確定しており、ここは違うというのが事実です。
皇極/齊明天皇(594〜661、享年68歳)は、二度天皇の位に就きました。まず皇極天皇として第35代天皇として即位。その期間中には、目の前で息子の中大兄皇子らによって蘇我入鹿が暗殺されました。その後位を弟の孝徳天皇に譲るも9年で崩御し、再び即位して齊明天皇となりました。そして、白村江の戦いの期間中に流行った天然痘にかかり崩御しました。
現在宮内庁は車木ケンノウ古墳の現陵になっている。然し、残念ながら学者達のほぼ総てが認めてない。他に信憑性の高い候補地は多い。
小谷古墳、岩屋山古墳、牽牛子塚古墳等で諸説あるが、現実的には牽牛子塚古墳が妥当なのだろう。
御陵まで220段あるそうだけど、森林浴と運動不足解消には良い。
参拝は真陵のつもりであったのは勿論である。
被葬者:第35代・第37代皇極、齊明天皇
第35代・皇極天皇と第37代・齊明天皇は同一人物で、重祚されています。
皇極、齊明天皇の孫娘である大田皇女の陵は当陵に向かう途中にあります。
拝:2020/07/13
直径45mの円墳。
第35代皇極(重祚して第37代斉明)天皇陵「越智崗上陵(おちおかノへノみささぎ)」に治定される。
皇極天皇は大化改新でいったん退位したが、655年に再び即位した(斉明天皇)。
激動の時代には、やっぱり天皇は女性の方がうまくいくのかな。