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旧柳生藩陣屋跡

住所 奈良県奈良市柳生町339
時間 00:00-24:00
サイト yagyusyobuen.jimdo.com
カテゴリー 史跡
評価 3.6 7 件の口コミ
Kyu-Yagyu Hanjinya-ato Ruins
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旧柳生藩家老屋敷 — 奈良県奈良市柳生町155-1

旧柳生藩陣屋跡 件の口コミ

7
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
みやもとゆうこ
13 十一月 2022 16:12

旧街道沿い。前は普通に民家。一段高い位置に在り反対側は断崖? に成っていて平地の中での地形的防御が分かる。
今は跡地なのでただの歴史公園。
置いてる十兵衛“顔出し立て看板”がちゃんと左目眼帯で右目だけしか見えない。笑

加藤美代子
24 五月 2022 18:46

この辺りの空気感が好き 前回来た時に駐車場のオジさんが桜の木を増やしていきたいと言ってたので 花見には初めて来てみたけど あまり人が多くなく 鳥のさえずりをききながらゆったり桜を眺められて とても落ち着く。

masahiro
06 十一月 2021 19:58

県道369号線が隣接する北側から長い階段を登って行くと、柳生陣屋跡の碑と陣屋跡の土台がある。陣屋は1374坪もあったと言う。柳生新陰流を生み出した柳生宗厳の子にあたる柳生宗矩が、1640年頃に建てた陣屋。1740年代に火災により全焼してしまった。専用駐車場はないので、国道を挟んだ反対側の市営駐車場 (16時まで) を利用か、国道の山脇バス停付近に路駐。

Masayoshi
16 七月 2021 16:15

柳生藩陣屋跡
現在、建物はありませんが史跡公園して整備されています。
近くを散策すると一刀石がある天乃石立神社や柳生家菩提寺芳徳寺などがあります。
【歴史】
柳生陣屋は柳生新陰流創始者柳生宗厳 (石舟斎) の子宗矩が宗厳の菩提を弔うため芳徳寺を建立し、引き続き三年の歳月をかけ寛永19年 (1642年) この地に作ったものである。
柳生藩旧記によるとその坪数は1374坪 (4534㎡) 、その後宗冬により増築されたが延享4年 (1747年) の火災により全焼し仮建築のまま明治の廃藩を迎えました。
奈良市により昭和55年この地を公園として整備され現在に至ります。
【アクセス】
駐車場が近くにあります。

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御船久人
10 五月 2021 20:05

八坂神社の前の階段を登って入りました。公民館側からも車で入れます。
ちょうど桜が満開で桜祭りのような設えがしてあり、数組がささやかな花見ランチをしておられました。陣屋跡だけあって小高く展望が開けており、花見には最適です。すぐとなりが公民館なのでトイレも借りられると思います。柳生城址の石碑や井戸の痕跡もありました。時間があるなら家族でのんびりできる場所です。

下田信弘
21 十月 2018 0:26

駐車場はありません。
近くの市営駐車場か観光駐車場に停めてから徒歩5分で着きます。
寛永14年に柳生宗矩が3年をかけて建てた柳生藩の陣屋跡です。
屋敷跡の基礎が残ってるので屋敷がいかに広かったのかかわかります。
当時の井戸も残ってて覗くことが出来ますが草が生えてて奥まで観れなかったのが残念です。

歯痛地蔵様がすぐ近くにあるのでセットで観ると良いですよ。

naotoshi
12 六月 2018 5:26

2017.08.11. (金) 16: 00 初礼拝 (奈良斑鳩人)
現場にあった 説明板の内容から
柳生陣屋跡は 江戸時代初頭の1642年に
藩の陣屋として 柳生宗矩 (ヤギュウムネノリ) が
3年の歳月をかけ建てられた遺構と有り

宗矩は 柳生新陰流の祖である 石舟斎で
名が通っている 柳生宗厳 (ムネトシ) の息子で
徳川将軍家の剣道指南役となり
コノ柳生の地を治めた 大名トノ事でした

また宗矩が建てた陣屋は ソノ後に増改築が
行われましたが 1747年に 火災により全焼
ソノ後は 柳生家代々の居館とし存在するも
明治維新の廃藩置県後 藩が解体され 現在に至っているトノ事です

なお 現在の姿は 当時の遺構を生かし
奈良市が 公園として整備していると
有りまし

コノ場に居ると 関ヶ原の合戦では 徳川側
として活躍し ソノ後は主に幕府を剣術指南
と言う 重責を担う立場にあった 柳生一族の
面々を 同県民の一人として 誇りを感じる
次第でした!

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