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新沢千塚古墳群

住所 奈良県橿原市川西町786
電話 +81 744-47-1315
時間 00:00-24:00
サイト city.kashihara.nara.jp
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 4.7 11 件の口コミ
Niizawa-senzuka Tumula, Nationally Designated Historic Site
最寄りの枝
安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵 — 奈良県橿原市吉田町252
小谷古墳 — 奈良県橿原市白橿町4丁目12−25
益田岩船 — 奈良県橿原市白橿町8丁目20−1
近くの同様の会社
石舞台古墳 — 奈良県高市郡明日香村島庄254
菖蒲池古墳 — 奈良県橿原市42
都塚古墳 — 奈良県高市郡明日香村阪田 小字ミヤコ938

新沢千塚古墳群 件の口コミ

11
並び替え: 日付 最高評価 最低評価 最も参考になった
今井美咲
21 十一月 2023 8:03

橿原神宮前駅から自転車で。GoogleMAPどおりです。ボコボコ古墳がある!という感じ。石室が見れたり入れたりするわけじゃないですが、シートしいて座ってポットのコーヒーのみながらぼんやりながめてるだけで楽しかったです。
11月末訪問。

Naka
28 十月 2023 11:42

橿原神宮前駅の西2kmほどの丘陵地帯にある古墳群。ここには全部で600ほどの古墳が集まっているというので、まず驚きます。
公園入口から丘の上に続く遊歩道をたどると、小山のような墳丘がいくつも並んでいるのがわかります。これらの一つ一つが古墳で、その間を縫うように道がつけられています。ちょっと他の場所では体験できない不思議な空間ですね。
古墳のうちのいくつかからは副葬品が発掘され、そのレプリカの一部は博物館(歴史に憩う橿原市博物館)に展示されています。古墳の手前にも写真パネルが掲示されていますが、装身具などは驚くほど精巧なつくりで、これまた驚きです。

現在では古墳群の真ん中を道路が通り、また周辺では宅地や農地に変わったところもあって、古墳群の完全な姿は失われてしましました。
それでも遠い時代に思いをはせながら古墳の間を歩き回るのは楽しいですね。
なお、公園内の道は多少複雑でアップダウンもあるので、散策の際はご注意ください。

アセダイスケ
13 六月 2023 1:48

新沢千塚古墳群、奈良県橿原市川西町。
4~6世紀。約600基、群集墳。川西千塚、鳥屋千塚。初期=500号墳、213号墳。126号墳=副葬品~ペルシャ・中国・朝鮮半島。
広い敷地で公園の要素も強い。ポコポコと山があり、すべてが古墳という豪快な場所。畝傍山を前にできる。

初花さなえ
24 十一月 2021 16:59

日本には約16万の古墳が確認されていますがその多くは此方のような群集墳です。古墳時代の北九州から畿内では大型の前方後円墳数基と尾根伝いに並ぶ墳墓は普通に見られる風景だったと思われます。
4世紀末〜6世紀末と早い時期の古墳群で出土品も車輪石や武具、ガラス皿などが出土しています。小さな円墳からペルシャや中国など海外からもたらされた副葬品が出土して有名になりました。

約600基程の群集墳で公園はその一部でしかありませんが密集した墳墓は他では中々見られません。5分の1程が調査されていてほぼ埋葬部分のみです。円筒埴輪や家形埴輪なども見つかっているので埴輪まで復原するとまた違った光景が広がっていたことでしょう。

大和王権のお膝元で気になるのが誰の墓かですが結論的には分からないそうです。

ただ大伴氏の邸宅跡とされる築坂邑伝承地が古墳群の東隣だったり、当時は朝鮮半島の任那の運営を任されていたので海外からの輸入は容易にできるなど大伴氏との関係はありそうです。

日本一巨大な方墳と少し北の大和八木の西一帯は蘇我氏を本拠としていた所でも有るし公園の範囲の古墳の多さは単純に作りやすかっただけにしても尾根伝いに一列に並ぶ一般的なものとも違い限られた範囲に築いた感が有り、吉野ヶ里遺跡の墳墓のように道の両側に血縁者単位で埋葬した共同墓地のような所だった方が分かりやすい気がします。

山本佳一
25 七月 2021 19:06

アクセス
近鉄 「橿原神宮前駅」西口︰徒歩25分
. (最寄り駅ではありませんが、駅西口
. より一直線で行けるコース)
近鉄 「橿原神宮前駅」 西口 (バス)
. 「33系統︰御所駅・観音寺・イオン行」
. 「シルクの杜」 下車︰徒歩3分
自動車︰無料駐車場完備 (100台収容)

「新沢千塚古墳群」 データ
所在地 ︰橿原市北越智町・川西町
規模  ︰円墳など600基以上
築造時期︰4世紀末から6世紀末
史跡指定︰国の史跡
文化財 ︰有形文化財126号墳出土品
史跡指定︰1979年 (昭和54) 年国史跡

「新沢千塚古墳群」 概要
総数約600基からなる古墳群で、日本
. を代表する群集墳でもあります。
古墳群は、市南側で高市郡高取町との
. 境界となっている貝吹山から四方に派
. 生する尾根のうち、北西方向に伸びる
. 低い丘陵上に立地しています。
4世紀末〜6世紀末までの約200年にわ
. たって古墳が造られ続けました。
最も多く古墳が築造さられた時期は、
. 5世紀後半から6世紀前半にかけての
. 100年間でした。

発掘調査
1960年代、新沢千塚一帯の丘陵地に
. おける開墾計画に際し、古墳群全体
. の約2割にあたる約130基の古墳の
. 発掘調査が行われました。この調査
. 結果の成果により古墳群の整備保全
. 方針が決定しました。

古墳群散策マップ (公式サイト)
エリアマップをダウンロードし手元
. にある方が効率的に散策できます。
北群・南群エリアにわかれている為
. 見逃しをなくして周遊するにはMAP
. で「ビュー・ポイント」等を事前に
. チェックすることが肝要・・。

散策シーズン
草木が一段落している晩秋から初春
. の頃が良いかも
個人的には断然、新緑の風薫る初夏
. ですが!

F にこ
08 二月 2021 14:11

こちらは新沢千塚古墳群の北群にあたり、古墳が密集する中を散策できるとてもきれいな園地です。近隣には民家がたくさんあり、古代と現代の生活が隣り合わせで存在しています。

特に有名な古墳である126号墳は古代シルクロード渡来のガラス製品が出土したことで知られています。他にも鎧の出てきた115号墳であったり、銅鏡が出た105号墳、他にもたくさん出土しています。いろいろな副葬品の珍しさと重要さは特別です。
それにしても、古代は埋葬墳が普通であったんでしょうけど、この新沢地区にここまでぎっしり集約させた理由はなんなのでしょうか。

古墳が密集というちょっと陰気?なイメージからは程遠い、カラッと明るくて風通しのよい広場です。

古都すずめ
03 三月 2020 3:23

4世紀末〜6世紀末までの約200年造られ続け総数約600基と日本を代表する群集墳です。県道を挟んで北と南エリアに分かれています。大部分は直径10〜20m程の円墳ですが、方墳、前方後円墳、前方後方墳なども含まれています。九州から皇室が移り住んだとされる地域に残る古墳群です。

山本佳一
22 五月 2019 3:25

近鉄南大阪線/橿原神宮前駅下車。
 西口より徒歩25分。最寄り駅では
 ありませんが、駅前より一直線で
 行けるのでこのコースを選択。
 時刻が合えば、西口駅前からバス
 で「シルクの杜」下車、即現地。

無料駐車場が完備されて100台収容
 可能なので車でも安心です。

公式サイトより、エリアマップを
 ダウンロードして手元にある方が
 効率的に散策できます。
 北群・南群にわかれているので、
   無駄なく周遊する為にはMAPで
  「ビュー・ポイント」等を事前に
  チェックすることが肝要・・。

草木が一段落している
 晩秋から初春の頃が良いかも 
 個人的には、断然、
 新緑の風薫る「初夏」ですが!

Yasuki
19 八月 2018 15:39

新沢千塚古墳群は大伴氏の奥津城です。

大伴の 遠つ神祖 (かむおや) の 奥つ城は
著 (しる) く標 (しめ) 立て 人の知るべく     万葉集巻十八 4096

歌意は、大伴の遠い祖先の神の墓所は、標(しめ・しるし)をたててはっきり分かるようにしよう、人が見て分かるように。

大仏建立に必要な金が東北地方で見つかった際に、聖武天皇より大伴氏へ長年の功績を頌する詔書賜わった事に歓喜して「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ」と詠んだ長歌は良く知られていますが、その際反歌3首も併せて詠んでおり、これはそのうちの一つで、奥津城・先祖の墓所を詠み込んだものです。
家持の自家が紡いで来た歴史に対する高揚感が伺えます。

PONTE
28 三月 2018 6:17

新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)。
この古墳群は、直径10mから15mの円墳を中心に前方後円墳や方墳を含む約600基からなる。築造時期は4世紀後期~6世紀後期。
周囲は新沢千塚古墳群公園として整備されている。(駐車場有)
密集した小型古墳が独特の景観を見せており、その異様とも写る風景が特長。
被葬者については謎が多く、大陸色の強い豪華な副葬品が出土しており、そのミステリアスさが人気となっている。

以下、日本経済新聞より抜粋。
「大和三山の一つ、畝傍山(うねびやま)の南西に広がる丘に、ミステリアスな貴人が眠っていた古墳がある。繊細な細工が目を引く黄金の耳飾りや指輪、澄んだコバルトブルーのガラス皿。~中略~
特に注目を集めたのが、126号墳から見つかった金銀やガラスなどの副葬品で、国重要文化財に指定された。~中略~
枕元には透明なガラス碗(わん)が青いガラス皿に重ねてあった。これらは今年7月、東京理科大などの蛍光X線分析でササン朝ペルシャ由来の品と裏付けられた。
まさしくシルクロードの終着点とも呼ぶべき豊かな国際色。ただ「被葬者の正体が、何ともつかみにくいんですよ」と同博物館学芸員の石坂泰士さんは語る。
一番の謎が、古墳の小ささと副葬品の豪華さが釣り合わない点だ。例えばガラス碗の類例は、大山古墳(仁徳陵、堺市)や高屋築山古墳(安閑陵、大阪府羽曳野市)など巨大古墳から出土したと伝わる品くらいしか見当たらない。~中略~
どの氏族の墓域かは蘇我氏、東漢(やまとのあや)氏、大伴氏など諸説ある。海外の品と国産品が出土しており、渡来人と倭(わ)人が入り交じっていた様子がうかがえるという。」

yamene
28 九月 2017 5:04

大和三山の一つ、畝傍山(うねびやま)の南西に広がる2キロ四方の丘陵に4世紀後期~6世紀後期の古墳約600基が集中し、国内有数の古墳群とされる。直径10~20メートルの小規模な円墳が大半を占める。1962年から5年がかりの大規模な発掘で、多彩な品々が出土した。特に注目を集めたのが、126号墳から見つかった金銀やガラスなどの副葬品で、国重要文化財に指定された。橿原市博物館の展示室中央で輝いているのは精巧な復元模造品。オリジナルは東京国立博物館にある。平成29年夏現在駐車場を含め古墳群散策路等の整備工事が行われていました。墳丘だらけの素晴らしい古墳群で気軽に散策できますのでちょっと立ち寄るだけでもその良さがわかると思います。すぐ近くの歴史に憩う橿原博物館もリニューアルされ見応えがあります。300円是非立ち寄りましょう。

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