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市尾墓山古墳

住所 奈良県高市郡高取町市尾
時間 00:00-24:00
サイト www.town.takatori.nara.jp/contents_detail.php
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 3.5 8 件の口コミ
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市尾墓山古墳 件の口コミ

8
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ポンコツ浩ちゃん
18 十一月 2021 21:01

古墳は綺麗に手入れされ石室内もドアーを開ければ見ることができる。古墳上からの景色も素晴らしく遠く二上山も見える。古墳も鬱蒼と木々が覆いかぶさるのもあれば、こうした親しみやすく石室内部も見学できるのもある。それぞれ確かにお墓だ。

米田佳代
17 六月 2020 4:00

歩きやすい芝生の広場があるので、小さい子の散歩と遊び (シャボン玉とボール) にちょうど良かったです。
遊具はありません。
古墳の上に登る小道があって、上からの景色もなかなかでした。
(お墓だけどいいのかな?)

horio
28 二月 2020 21:58

2019.12.14訪問
横穴式石室を持つ前方後円墳です。墳丘の長さが約70m、高さが10m。墳丘は二段に築かれ、周濠と外堤をあわせると全長100mの規模になります。6世紀初め古墳時代後期を代表する貴重な古墳で、当時この地域に権力をもった豪族が葬られていると考えられます。昭和53年(1978)の発掘調査で、後円部からは横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されました。昭和56年(1981)に国史跡に指定されました。
墳丘の草がきれいに刈られ、前方後円墳の形をしっかり認識できました。
残念な事は石室は扉で施錠、窓から見える様に成っていますがガラス曇り何も観ることが出来ませんでした。

山本佳一
28 三月 2019 13:37

行けば解る!ほぼ満点に近い古墳。
マイナスポイントは、
 墳頂の一部を覆うブルーシート
  (台風21号の影響?) と墳丘のすぐ
 傍らにある仮説トイレの存在。
駅前からゆっくり歩いて7分程度。

PONTE
06 十月 2018 22:43

市尾墓山古墳 (いちおはかやまこふん)
墳丘長約70mの前方後円墳、築造時期は6世紀初旬頃と推定。
巨大な凝灰岩製の刳り貫き家形石棺をもつことなどから、国史跡に指定。
墳丘はきれいに整備されている。
墳丘に上がれば横穴式石室内の家形石棺を窓越しに見ることができる。
以下、解説板より。
「国指定史跡 市尾墓山古墳(いちおはかやまこふん)
奈良県高市郡高取町大字市尾字墓山
墓山古墳は墳丘の長さが約70m、高さが10mの前方後円墳です。墳丘は二段に築かれ、周濠と外堤をあわせると全長100mの規模になります。
昭和53年(1978)の発掘調査で、後円部からは横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されました。また石室内から武器、馬具、玉類、土器などが出土しました。平野部にある前方後円墳であり、山と盆地においては初期の横穴式石室や巨大な凝灰岩製の刳り貫き家形石棺をもつことから昭和56年(1981)に国史跡に指定されました。
平成16年度から平成18年度(2004~2006)に行われた調査では、古墳築造に使われた多くの粘土の固まり、石室をつくるとき地下に埋め込まれた基礎石、墳丘一段と二段目のテラス部分に立て並べられた埴輪列、周濠からは鳥、笠、石見型などの木製品が出土されました。
墓山古墳の築造された時期は、出土遺物などから6世紀始めごろと考えられます。古墳時代後期を代表する貴重な古墳で、当時この地域に権力をもった豪族が葬られていると考えられます。
平成19年(2007)3月 高取町教育委員会」

ポンコツ浩ちゃん
20 九月 2018 2:10

古墳は綺麗に手入れされ石室内もドアーを開ければ見ることができる。古墳上からの景色も素晴らしく遠く二上山も見える。古墳も鬱蒼と木々が覆いかぶさるのもあれば、こうした親しみやすく中も見学できるのもある。それぞれ確かに古墳だ。

U I
02 二月 2018 15:54

高取町 ホームページより
2017年12月4日
市尾墓山古墳石室公開の中止
 国指定史跡 市尾墓山古墳の石室に発生したコケ・カビの対策のため、当分の間、石室扉のガラス窓を遮断します。

yamene
18 九月 2017 20:15

いかにもな前方後円墳で、周囲は公園のように整備されており、綺麗に刈り取られた古墳の上に登ることができます。中は鉄扉で入ることはできませんが、扉越しに中を除くこともできます。残念ながら駐車場はありませんので、少し離れた場所に車を停めて歩いて行きました。

墳丘長約70m、高さ10mの前方後円墳です。墳丘は二段に築かれ、周濠と外提をあわせると全長100mの規模になります。昭和53(1978)年の発掘調査で、後円部からは横穴式石室が検出され、家形石棺が確認されました。また石室内からは武器、馬具、玉類、土器などが出土しました。平野部にある前方後円墳であり、大和盆地においては初期の横穴式石室や巨大な凝灰岩製の刳り貫き家形石棺をもつことなどから、昭和56(1981)年に国史跡に指定されました。平成16(2004)年度から平成18(2006)年度に行われた調査では、古墳築造に使われた多くの粘土の固まり、石室をつくるときに地下に埋め込まれた基礎石、墳丘一段と二段目の間のテラス部分に立て並べられた埴輪列、周濠から鳥、笠、石見型などの木製品が出土しました。墓山古墳の築造された時期は、出土遺物などから6世紀初めごろと考えられえます。古墳時代後期を代表する貴重な古墳で、当時この地域に権力をもった豪族が葬られていたと考えられます。」 (高取町の説明所)

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