世尊寺
住所 | 奈良県吉野郡大淀町比曽762 |
電話 | +81 746-32-5976 |
サイト | www.town.oyodo.lg.jp/contents_detail.php |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 4.2 14 件の口コミ |
Sesonji | |
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世尊寺 件の口コミ
14 副住職さまの丁寧なご案内で本堂と太子堂を拝観しました。
東西に塔跡が残る薬師寺式の伽藍とのこと。でも何といっても御本尊の阿弥陀如来坐像は唯一無二のアルカイックスマイルで必見です️ お隣の十一面観音菩薩立像も素晴らしい。
どちらもネットの画像やお寺のパンフの写真より数倍(言い過ぎ?)素敵です。
住職のお話し中は、正座しましょう。
痺れると、門外人なのがバレます。
福住職の方に色々説明していただきました。
静かな田園風景なのですが、衛生地図で周辺を見ると・・・。
嫁と車で奈良に来て世尊寺に寄りました。
昔はメッチャ大きなお寺だったと聞いた事がありましたが今は小さくなってしまってます。外からみたら桜のの花がメッチャきれいに見えました。その桜の花を目当てで来ている人たちが沢山いてました。でもお寺の遺跡の岩の真上で、椅子を広げてピクニックをしている人達がいたのでイヤでしたね。それはやってはアカン事やと感じました。
コロナ禍で拝観はできませんでした。
入山料は100円です。
昔は大きな寺院だったことを偲ばせてくれます。
大変でしょうが、なんとか次代へつないでほしいと思います。
聖徳太子霊蹟第七番、比曽寺の名で創建され、今は曹洞宗のお寺です。十一面観音菩薩像は奈良時代の作で、南から漂流してきた香木から作られているとの事です (‐人‐) 『南海之霊木』の御朱印が頂けます。
聖徳太子建立48か寺の一つなので、創建は飛鳥時代。
奈良時代には比曽寺、吉野寺と呼ばれていた大伽藍のある古寺でした。
この地区の吉野の名前は、こちらのかつての吉野寺から発祥と言われてます。
本尊の阿弥陀如来は河内 (茅渟) の海で光輝いていた樟木から彫られたので放光樟像と呼ばれているそうです。
御朱印頂きました”南海之霊木”とあるので、阿彌陀如来が彫られる前の放光樟のことですよね。
聖徳太子ゆかりの寺です。二度目の訪問でした。前回は、住職がお出かけする時に訪れてしまい、御朱印もいただけませんでした。境内に、いろいろな花が植えられていて、季節ごとに見どころがあるそうで、ゆっくりしていってくださいとのことで、廻らせていただきました。
今回は、桜の終わりごろの訪問で、もう少し早ければ、満開の桜が見れたと思います。御朱印もいただきました。
拝観には100円の寄進が必要です。境内の維持にはそれなりにお金がかかると思われますので、当然のことかと思います。
伽藍は東塔・西塔が礎石のみで残っていませんが、往年は、それなりに整った伽藍配置だったと思われます。
ご住職に丁寧に対応していただきました。また、違った季節に来てみたいと思います。
駐車場は、寺の横の空き地を無料で使えます。
20/10/4 拝観。聖徳太子霊跡第7番 曹洞宗 世尊寺(せそんじ)。
聖徳太子が建立した48か寺の一つとされています。創建当時は吉野寺といい、吉野という地名の発祥の地といわれています。その後、比曽寺現光寺栗天奉寺(りってんほうじ)世尊寺と5度も名を変え、現在に至っています。住職曰く、同じ境内で5度名を変えたのは日本でここだけとの事。
境内には沢山の彼岸花が咲いており、名所として知られています。
この日は奈良初秋の花巡りの2回目、その1軒目に訪れました。車を走らせる事、約1時間強、吉野の入り口近くに位置します。先ずは駐車場から少し戻ったところにある山門へ向かい中へ。門の左側の碑には比曽寺跡と刻まれています。でも世尊寺です。
門を潜ると右手に神社と彼岸花。左前にも彼岸花。少し色褪せたものもありますが、まだまだ綺麗に咲いています。境内は広く、咲いている場所は一部ですが、それでも見応え十分です。それらを堪能した後、少し行くと左右に東塔西塔跡があります。東塔は豊臣秀吉によって伏見城へ、その後、徳川家康によって滋賀県大津の三井寺に移築されました。ご住職も年に一度、三井寺に行かれるるそうです。正面に本堂に至る中門があります。門の右の灯籠横には朝顔。まだ咲いているんですね。
中に入ると右手に寺務所、左手に太子堂、正面が本堂となります。本堂左手には藤棚と芙蓉。寺務所前には立派な百日紅の木。流石に百日紅は終わっていましたが、住職曰く真っ白な花が木いっぱいに咲いてとても綺麗なんだそう。これは来年の楽しみですね。
本堂の裏には十三重塔や松尾芭蕉の碑の他に聖徳太子が植えた(伝)桜や紅白の彼岸花、コスモスが咲いています。この彼岸花は撮り様によっては一面の花畑みたいに撮れます。コスモスとのコラボも良い感じ。後で住職から聞いたんですが、黄色や青の彼岸花も植えていたそうですが、心ない輩が持ち去ったそうです!有り得ない…
一通り見回った後、住職に本堂の中を見せてもらい合掌。寺の歴史も沢山聞かせて頂きました。今度来たときには狩野派の絵巻物も見せて欲しいなぁq
駐車場は山門横の参拝者用駐車場をご利用下さい。20台は停められそうです。
御朱印は寺務所で直書きして頂けます。
吉野の桜を見た後、壺阪寺に向かう途中に参拝。聖徳太子が創建したお寺の一。奈良から平安時代は、比曽山寺と呼ばれ多くの伽藍が並ぶ大寺院だったそうです。山門の前には東塔と西塔の跡があり、東塔は現在滋賀三井寺の三重塔として移築されています。お寺の裏手には、聖徳太子お手植えの壇上桜があります。境内に多くの桜が満開で素晴らしかったです。
聖徳太子ゆかりのお寺。吉野に親戚があり時々訪れていたのだけど、東塔跡の案内板を見て思い出したのが三井寺の三重の塔。秀吉が桃山にここの塔を移築して、その後家康が三井寺に移したという。20年以上も前アナログで写した三井寺での写真発見。で、この堂々とした塔に改めて感激。
世尊寺は、奈良県吉野郡大淀町比曽にある曹洞宗の寺院で、〔比蘇寺〕と呼ばれた。寺域は、〔比蘇寺跡〕として、国の史跡に指定されている。滋賀県大津市の三井寺に三重塔があるが、これは慶長二年(1597)、豊臣秀吉によって伏見城に移築された比蘇寺の塔を 慶長五年に徳川家康が三井寺に寄進したもの。
聖徳太子ゆかりの寺でもあり、本堂裏にある桜は〔壇上桜〕と呼ばれ、聖徳太子お手植えの桜と伝わる。寺伝によれば150年程前に倒れて枯れたが、根元付近からまた幹や枝葉が出て復活して花を咲かせるようになった〔不老不死の桜〕。句碑は、その桜の下に立つ。
壇上桜
世にさかる花にも念仏まうしけり はせを
There is a famous cherry tree behind the main hall of this temple. This cherry is immortal and, when it died and decayed about 150 years ago, a new tree grew up from its root.
彼岸花が綺麗な知る人ぞ知る
聖徳太子創建第七番霊場。彼岸花
史跡比尊寺跡。
曹洞宗霊鷲山。
日本書記によれば、わが国最初の
阿弥陀如来像が祀られている世噂寺。
大和上市駅からレンタサイクルでも行ける、