和爾下神社(上治道宮)
住所 | 奈良県天理市櫟本町2490 |
電話 | +81 743-65-0418 |
サイト | www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php |
カテゴリー | 神社, 聖堂, 観光名所 |
評価 | 4 6 件の口コミ |
Wanishita Shrine | |
最寄りの枝 石上神社 — 奈良県天理市滝本町483 薬園八幡神社 — 奈良県大和郡山市材木町32 Kagamitsukurimake Shrine — 244 Kosaka, Tawaramoto, Shiki Bezirk, Nara 笠山荒神社(笠山坐神社) — 奈良県桜井市笠2415 |
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和爾下神社(上治道宮) 件の口コミ
6長い階段を上ると立派な拝殿が見えます。御殿造りでしょうか。記念碑には昭和の修復の記録がありますが、拝殿まで直されたかは分かりません。ただ、境内はきれいに掃除されていて気持が良いです。狛犬の位置に石の牛が寝そべっているのも面白いです。本殿を拝めれば嬉しいのですが。
「上つ道/万葉の道」巻二十四の二の四 天理市櫟本町
和爾下神社(わにした じんじゃ)
JRまほろば線「櫟本」駅より徒歩10分
こちらの参道は奥にお住いされる方の生活専用道路でもありますし、ここより東部は長時間駐車できるスペースは何処にも見当たりません。奈良の天理から桜井までの東部はコインパーキングが少ないので、JRまほろば線の駅周辺を中心に探すことになります。
いつも自転車で寄せていただいたくのですが、「柿本人麻呂の歌塚」あたりに停めておいて本殿までの参道をゆるりと上ってゆきます。参道には柿本寺跡・柿本神社や種々の末社がずらりと本堂まで続き、最後に石段の頂上に神社本殿が『和邇下神社古墳(前方後円墳)』の後円部に鎮座おはします。
広大な神域の中には、参道の入り口付近に「万葉歌碑」、柿本寺跡に通じる参道脇に「日本書紀 影媛あはれの段」の碑が据え置かれていますのでご覧になってください。
【万葉歌碑】
長忌寸意吉麻呂 (ながのいみきおきまろ) が歌八首(うち第一首)
さす鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津 (いちひつ) の
檜橋 (ひばし) より来む 狐に浴 (あ) むさむ
万葉集 巻16-3824 長忌寸意吉麻呂
さし鍋に湯を沸かせ、勢子たちよ。櫟津の桧橋から来る狐に湯を浴びせかけてやろう。
この歌はここ櫟本のオリジナルの地名「櫟津(いちひつ)」が詠み込まれ、宴会の席において即興で“手元にある生活用品を織り込んで”詠まれた歌です。後に続く『古今集』より先んじてその詠法が確立されたとして意義のあるものになっているということです。
延喜式神名帳 和下神社二座 の比定社
御祭神 素盞嗚命、大己貴命、稻田姫命 ですが、中世以前は、 天足彦国押人命 、武内宿祢とともに応神天皇擁立に功績のあった和邇氏の 武振熊命 を祀っていたか。
西名阪自動車道天理I. C.のすぐ北、天理市宮山に鎮座。本殿は全長150mほどの前方後円墳 (和邇下神社古墳)の後円部の上に建っており、この古墳は出土した埴輪の形式から、4C. 中葉から4C. 後葉の築造と考えられ、和邇氏第5代・武振熊命の葬ったものとみられる。この点は古墳上に所在する古社 (高鴨神社等)の祭神を考える際に、重要な点であると考える。
和邇下神社
わにしたじんじゃ
奈良県天理市櫟本町2430
祭神
素盞嗚命
大己貴命
櫛稲田姫命
出雲系の神が祀られ
いますね
理由は不明
和珥氏は5世紀から6世紀にかけて
奈良盆地北部に
勢力を持った
古代日本の中央豪族
一般的には百済から
の渡来人とされている
奈良時代の大衆運動家
「行基」も和邇氏系
諸情報
駐車場なし
トイレなし(もしくは気付かず)
道中特に困難な所なし
和爾神社は、柿本と同祖と言われる和爾(わに)氏族である。柿本人麿の妻である依羅(よさみ)娘子(をとめ)が柿本人麿が流罪で水刑となった石見国から帰ってきて和爾神社の側に柿本人麿の歌塚を作ったと言われている。