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浄土真宗本願寺派 今井御坊 稱念寺

住所 奈良県橿原市今井町3丁目2−29
電話 +81 744-22-5509
サイト www.imaicyou-syounenji.com
カテゴリー 仏教寺院, 観光名所
評価 3.3 6 件の口コミ
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浄土真宗本願寺派 今井御坊 稱念寺 件の口コミ

6
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亀澤勉
22 三月 2022 15:41

橿原市今井町の寺内町御堂筋の中心部にある浄土真宗本願寺派の寺です。明治10年明治天皇が行幸され宿泊されたが西南戦争の勃発で慌ただしく帰られた。
由緒書きより
今井町は十六世紀中頃には、本願寺の一家衆、 今井兵部豊寿によって、武装宗教都市「寺内町」 が形成されていたとみられる。 当寺は、天正年間、本願寺第十一世顕如上人により寺号を得て、今井兵部富綱を開基として 建立したと伝え、寺内町今井の中核として発展し、 大和五ヶ所御坊、十六大坊の妻として中本山に 列する寺である。当寺は代々、今井氏が世襲して兵部と号し、 武士と僧侶をかね、信長・秀吉・家康に仕える 中でも、特に秀吉の庇護は厚かったが、江戸時代 に入り、寺内町の存続をきらった幕府は、延宝 七年 (一六七九) 今井氏は武士 を返上し釈門に専念することとなり現在に至る。 本堂は、桁行二十米 梁間二十米、入母屋造、 本瓦葺、向拝付、東向の大規模な建物で、重要 文化財に指定されているが、他の建物も多く寺観 を構成している。本堂は、真宗寺院の典型的な平面を有し、 部分的な改修はあるが、当初の形態を よく留めている建物である。 南側の細長い庫裏は、旧は二列で明治十年に北側一列を増築している。 客殿は庫裏の西側に接続し、折れ曲って書院 がある。
庫裏・家殿は、後世 初期頃の建物とみられ もつ貴重な建物といえる。山門は多武峯より移築されたので、太鼓楼は弘化二年 (一八四五) 建設の建物である。
以上

山本麗華
16 七月 2021 14:09

【今井町攻め、明智光秀、筒井順慶、津田宗久、一向一揆、織田軍に関連あり】
今井町の中心寺院である称念寺に今井惣中宛書状(橿原市指定文化財)として残されています。

平野善信
02 一月 2021 16:03

明治天皇陛下は 当時の国鉄畝傍駅での乗降にて 此方を宿とし 畝傍御陵. 橿原神宮に詣られた様です。

mkfamily
28 十二月 2020 15:58

現在、大規模な修繕に掛かっており、残念ながら拝観出来ませんでした。

狭山順恵
27 六月 2018 7:22

見学させて下さいと丁重にお願いしたら、二度と来たくないほど断られたました。

yu yu
22 三月 2018 7:37

今井町は顕如上人率いる「一向宗本願寺」が進出して来たことで寺内町として発展しました。
(Wikipedia)永禄年間に「顕如上人」により寺号を得て、河瀬兵部丞(後改め今井兵部房)と河合清長(後改め今西正冬)が門徒や在郷武士・牢人を結集させ「称念寺」を中心とする寺内町をつくった。
※ 本願寺八世である「蓮如上人」は1468年に願行寺(下市御坊)を吉野地方の拠点としています。

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