五劫院
住所 | 奈良県奈良市北御門町24 |
電話 | +81 742-22-7694 |
サイト | yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/01north_area/gokoin |
カテゴリー | 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 4.4 13 件の口コミ |
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五劫院 件の口コミ
13 目当ての日の3日くらい前に電話で予約をして伺いました。
門を入って右手側に進むと見返り地蔵がいます。五劫思惟阿弥陀仏坐像を見るための入口は左側です。
奈良公園付近からタクシーに乗って行き、帰りは徒歩で正倉院近くの入り口から入って東大寺を見学…というルートをとりました。
味のある素敵な仏像ですが、気になっていた頭の部分がちょうど隠れていてあまりよく見えず。そこはやや残念だったかなと。撮影もNGです。ポストカードが数種類販売されています。所用時間は見返り地蔵を含めて10分ほどでした。
奈良ホテルの売店に、五劫思惟阿弥陀仏坐像の小さい置物が売っていたのですが、螺髪の部分の厚みがよくわかって興味深かったです。
常時、公開されておらず、年に何日かだけの公開。
拝観料は、特になく、志納でした。
本尊の、アフロ髪 (五劫という、果てしなく長い間、考えていて、髪が伸びてしまったことを表しています) の阿弥陀さまが有名ですが、墓地の入り口には、見返り地蔵さまがいらっしゃいます
正倉院よりも北のエリアで、奈良公園や東大寺などからは離れているので、足をのばして北山十八間戸、般若寺 (般若寺裏の植村牧場のソフトクリームもおすすめ) 、旧奈良監獄 (内部見学は、時期により、ツァー会社での取り扱いありみたいです。現在、ホテルに使用するため?一部、耐震工事中) などと、組み合わされてはどうでしょうか
鎌倉期の東大寺再興に尽力した俊乗坊重源が開山した華厳宗・東大寺の末寺で、思惟山五劫院と称する。重源が宋から招来したと伝わる五劫思惟阿弥陀仏像を本尊とする。五劫思惟阿弥陀仏とは、法蔵菩薩のとき、諸々の衆生を救わんと四十里立方の大磐石に天女が三年に一度舞い降り、羽衣で一摩でして、大盤石がなくなるまでのとてつもない長い時間、ただひたすら修行を積まれ、ついに阿弥陀如来になられた瞬間のお姿で、長い時間と難行を表すために髪の毛が伸び、渦高い螺髪姿をされている国指定重要文化財で例年8月に開扉される。1831年に開創された西方四十八願所第33番札所。本堂は1624年再建、山門は1645年建立。
21/08/03、普段は拝観予約が必要で、敷居が高かった五劫思惟阿弥陀仏像にお参りするため、特別公開期間(2021年は08/01-11)に五劫院を参拝した。五劫思惟阿弥陀仏像は、思っていたより大きく、ふくよかなお顔をされていた。全国的に珍しい仏像で、お目にかかるのは金戒光明寺の石像に次ぐ二体目となりました。本堂は、奈良のお寺らしい建物でした。
御本尊は、平清盛(管理責任)および平重衡(遂行責任)の暴挙で灰燼に帰した東大寺の再建に多大な尽力をされた俊乗坊重源(ちょうげん)上人が、宋から持ち帰ったと伝えられる「五劫思惟阿弥陀仏坐像(重要文化財)」である。阿弥陀如来と言えば、かの定朝作となる平等院鳳凰堂の本尊に代表される様に、広く標準化・一般化されたオーソドックスな印象を持つ仏像であるが、この五劫院の阿弥陀如来はかなり異相で独特である。
寺の説明に拠れば、四十八の大願成就の為に永い間思惟を続けた結果、この様な髪型(AfroHair)になったという。この阿弥陀如来には髪型だけでなく顔立ちや姿形にも、他にはない特徴がある。まず、頭は三頭身。顔は四角く、頬にエラが張り、扁平に近い。それぞれが小ぶりな目と鼻と口は、顔面中央に集まっている。どちらかというと赤ちゃんに近い。さらに両の目と口は真一文字に結ばれ、手は衣から出さず、印相(いんぞう)を結ばず、足も衣からは出さずに結跏趺坐(けっかふざ)。髪型以外の殆どすべてが控えめでありながら、後背は派手で、金で太く真円を描き、力強い光彩を放っている。
お寺の名前である五劫院の「劫」の字は、寺の定義に拠ると『四十里立方の大磐石に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で一摩(ひとなで)し、その磐石が無くなるまでの途方も無い時間』であり、その「劫」の五倍の時間を、地球を救う為にこの仏様は費やして来たということである。
中国には、万・億・兆・京 〜無量大数(10^68)までの数の大きさと、小数点以下の数の小ささを記した『塵劫記(じんこうき)』という本があるが、その本の題名の真ん中の文字が、五劫の「劫」の字である。
注目すべきは、その「劫」の時間は長いといえども決して無限ではなく、いつか終わりがあると言っていることである。無限というのは有限と違って得体が知れない。この阿弥陀仏の姿はその長きに渡った修行が漸く終わって菩薩から如来に変化した直後の姿ということである。直後が故に髪型や出で立ちも整ってはいない。
この様にして、このお寺さんとご本尊は、いつ終わるとも知れない苦しみや修行であっても「いつかは必ず終わる」そしてかげながら人々のことを想って仕事をしてくれている人がどこかに必ずいるのだということを私達に示している。
公慶上人の五輪塔があることでも有名です。
五劫思惟阿弥陀如来坐像は東大寺阿弥陀堂にもあります。
以上
アフロヘアーの大仏さんが期間限定でお会いすることができます。
電話予約して行くのが確実です。
駐車場は10台は停められます。
駐車場は奈良市なのに無料で徒歩2~3 分で分かりやすく苦にならない距離にありました。
東大寺の北に位置する寺院、東大寺の鎌倉期再建を指揮した重源上人が開基した東大寺の末寺です
五劫とは、160キロ四方もある大岩に、三年に一度天女が舞い降りて、羽衣で岩を擦り、完全に大岩が無くなるまでの時間を一劫と数え、それを五回繰り返すという気が遠くなるくらいの長い時間のこと、その永遠とも云える時間、ずっと思索を続けている阿弥陀仏を本尊としている寺院、ずっと考えている為、頭部が大きくなりアフロ仏とも呼ばれています
寺院参拝は自由ですが、阿弥陀様は8月初旬のみ一般公開、それ以外は要予約での拝観となります
国重文の五劫思惟阿弥陀如来坐像、俗に言う「アフロ仏」を御本尊とする東大寺の末寺です。東大寺の北、正倉院よりもさらに北にあります。
正倉院が観光客を受け入れているのは平日に限られますので、土日祝日ですと五劫院にたどりつくのまでが地味に苦行です。御本尊のおわす厨子は閉扉されているのが常で、毎年八月の一定期間に限って開扉されます。事前に予約すれば他の日程でも開扉いただけるようですが、御本尊を除けば至って普通の檀家寺なうえ他の名所とも離れているため、時間調整に気を使うことになります。
御本尊の拝観を条件に三つの評価としますが、一度は見ておいたほうがよくとも二度三度と繰り返し堪能するほどのものではないので、旅程次第ではスルーもありかと存じます。
以前から会いたかったアフロヘアーの阿弥陀様。撮影できなかったので写真はありませんが、ポスとカード100円で購入しました。ふくよかな頬、優しい眼差しで、心和みます。拝観料も志でとお賽銭箱の中に入れるだけ。観光客が多いこの時代に昔からのやり方に、頭が下がります。予約すればご住職様のいらっしゃる日だったら拝観できる事もわかり又、奈良へ来た時気軽に来れると嬉しかったです。
アフロ大仏を観覧できるが、要予約。
歴史的な凄みをあまり感じないのは、寺の方の説明が特になく、客寄せパンダ的な使い方をしているからだろう。はい、見せました、これで良いですか?またどうぞー、的な応対だと仏像その歴史が可哀想だと思うのは自分だけだろうか?
一般拝観は、行われていません。
全国的にも珍しい通称?「アフロ阿弥陀」の「五劫思惟阿弥陀如来座像」が本尊のお寺さんです。
寺名も御本尊由来になっていて、「思惟山五劫院」です。
拝観希望の時は、特別拝観開催時か、前もって電話にて問い合わせると可能だそうです。
本尊は、平清盛(管理責任)および平重衡(遂行責任)の暴挙で灰燼に帰した東大寺の再建に多大な尽力をされた俊乗坊重源(ちょうげん)上人が、宋から持ち帰ったと伝えられる「五劫思惟阿弥陀仏坐像(重要文化財)」である。阿弥陀如来と言えば、かの定朝作となる平等院鳳凰堂の本尊に代表される様に、広く標準化・一般化されたオーソドックスな印象を持つ仏像であるが、この五劫院の阿弥陀如来はかなり異相で独特である。
寺の説明に拠れば、四十八の大願成就の為に永い間思惟を続けた結果、この様な髪型(AfroHair)になったという。この阿弥陀如来には髪型だけでなく顔立ちや姿形にも、他にはない特徴がある。まず、頭は三頭身。顔は四角く、頬にエラが張り、扁平に近い。それぞれが小ぶりな目と鼻と口は、顔面中央に集まっている。どちらかというと赤ちゃんに近い。さらに両の目と口は真一文字に結ばれ、手は衣から出さず、印相(いんぞう)を結ばず、足も衣からは出さずに結跏趺坐(けっかふざ)。髪型以外の殆どすべてが控えめでありながら、後背は派手で、金で太く真円を描き、力強い光彩を放っている。
お寺の名前である五劫院の「劫」の字は、寺の定義に拠ると『四十里立方の大磐石に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で一摩(ひとなで)し、その磐石が無くなるまでの途方も無い時間』であり、その「劫」の五倍の時間を、地球を救う為にこの仏様は費やして来たということである。中国には、万・億・兆・京 〜無量大数(10^68)までの数の大きさと、小数点以下の数の小ささを記した『塵劫記(じんこうき)』という本があるが、その本の題名の真ん中の文字が、五劫の「劫」の字である。
注目すべきは、その「劫」の時間は長いといえども決して無限ではなく、いつか終わりがあると言っていることである。無限というのは有限と違って得体が知れない。この阿弥陀仏の姿はその長きに渡った修行が漸く終わって菩薩から如来に変化した直後の姿ということである。直後が故に髪型や出で立ちも整ってはいない。
この様にして、このお寺さんとご本尊は、いつ終わるとも知れない苦しみや修行であっても「いつかは必ず終わる」そしてかげながら人々のことを想って仕事をしてくれている人がどこかに必ずいるのだということを私達に示している。
公慶上人の五輪塔があることでも有名です。
以上
五劫院、本尊の、五劫思惟阿弥陀如来坐像は、今、正に、悟りを開いた瞬間を表している。阿弥陀如来の新生児。
手を衣の中に入れているのは、まだ、菩薩だった時の状態である。
鎌倉時代の仏像で、顔にまだ金箔が残っているのは、つい最近まで、前に幕があったため。幕が古くなったので、現在は取り外しているので、顔を見ることが出来る。
伝説では、宗で作られて、日本に来たもの。
本堂は江戸時代初期、元和10年(1624年)の再建で、内陣と外陣の間には、阿弥陀格子戸がある。これが、あみだくじ、の由来となったものである。
境内の墓の入口には、ほぼ等身大の地蔵菩薩の石像が二体あり、一体は見返っている。