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元興寺塔跡

住所 奈良県奈良市芝新屋町12
サイト www.instagram.com/_gangoji_
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 3.9 10 件の口コミ
Ruins of Gangoji five-story Pagoda
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元興寺塔跡 件の口コミ

10
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山根茂子
24 四月 2022 19:02

元興寺の塔跡の礎石が残っています。往年の繁栄を忍ばせる場所。花の寺。桜、チューリップ等色とりどりの花が咲いていました。どなたがお世話されているか解りませんが、ありがとう。
場所は御霊神社の裏手です。

アツオ
10 六月 2021 5:10

This is not known, but in fact is another "Gangoji" branched to a different sect. Very big Cherry tree is admirable with so many blossoms bloom around April 8th! If you come to Naramachi, don't miss it!

Noriyasu
07 四月 2020 16:45

「上つ道/万葉の道」巻二十四の一の五 奈良市芝新屋町
元興寺 塔跡(がんごうじ とうあと)

元の法興寺が平城京遷都に伴い中心部に遷された時、その寺域は東大寺や興福寺と肩を並べることのできる大伽藍を有していたということです。南北4町(約440メートル)、東西2町(約220メートル)と縦に細長い形の寺域でありました(画像中の銅板パネル参照)。今の「奈良町(ならまち)」と称される地区の大部分が元は元興寺の境内であったのです。

室町年間に落雷や一揆の戦火に遭い、その伽藍からは少しずつ建造物の一部が焼失してしまったり、全焼で再興されなくなったりで寺域は縮小され、極楽院(現 極楽坊)と五重塔などは分断され明治以降は住宅と路地などが再興され、現在の形でその姿を遺しているのです。

こちらの塔跡の境内には「塔跡の礎石(塔心礎)」「元興寺石造寺標」「啼灯籠(なきとうろう)」「万葉歌碑」などがあり、見ごたえはあります。

Masanobu
17 一月 2020 8:03

塔跡は世界遺産ではありません。世界遺産は元興寺「極楽坊」です。両者は現在、塔跡は華厳宗(東大寺の末寺)、極楽坊は真言律宗(西大寺の末寺)です。

入口は少し分かりづらい場所にあります。御霊神社の左隣にある細い道です。塔跡には今は礎石が残るのみです。焼損前の姿は、極楽坊の法輪館(収蔵庫)に収められている「五重小塔」によって知ることができます。

奈良時代には、寺院を除いて平屋建ての建物しかなく、東大寺(七重塔)や西大寺、興福寺、元興寺などの五重塔が林立する様子は、さぞ壮観だったと思われます。

ジュピロ
26 十月 2019 9:54

御朱印をいただきました。
 南無佛(300)
駐車場:なし
拝観料:無料

大和北部八十八ヶ所霊場

ご住職が不在のため、書置きタイプをいただきました。
残念ながら一度濡れた紙だったようで、デコボコ状態でした。御朱印帳にうまく貼ることができず、所々しわが入ってしまいました。

Vanessa
23 五月 2019 14:23

その名の通り、50mを超える高さの塔が建っていたとされる跡地になります
GW中、ならまち散策の際に訪れましたが、人気も少なくゆっくり歩くことができました
花がきれいに咲いており、訪れた時も丁寧に手入れされておられました

ぶぶる
12 十二月 2018 5:23

東大寺、興福寺に比べると、訪れる人は少ないですが、国宝に指定されている寺宝も多く、奈良に都が創建された頃の歴史を感じさせる貴重な品々も間近で見ることが出来ます。興福寺から徒歩5分程度なので、訪問をお勧めします。

Tom
12 十一月 2018 18:55

かつては東大寺や興福寺に並ぶ寺領を誇ったお寺です。現存は敷地も小さくなってしまったこともあって、比較的訪れる人は奈良の他の寺と比べると少ないですが、世界遺産に指定されるだけあって見所はたくさんあります。また宗教の場としても色々と活動されてるので、そういった意味でも見る価値があります。
訪問したときはたまたま屋根裏の一般公開をしていて、奈良時代の大工の落書きや、明日香時代、奈良時代、鎌倉時代などの工法や木材など比較観賞でき良かったです。

ぱたりろ
18 十月 2018 22:36

元興寺は蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が前進であり平城京に移ったが、蘇我氏の影響の強かったことからか平城京への移転も東大寺や興福寺におくれ、経済的にも衰退。平城京移転後の元興寺は今の奈良町全域に及ぶ広大な寺領であったが興福寺や東大寺の力が大きくなり次第に衰退し、それに1451年に大火災があり主要な建物は焼失した。この火災をかろうじて逃れた吉祥堂、五重塔、極楽房のを中心とした三か所に分断された。現在元興寺と呼ばれる場所が奈良町に三か所あるのはそれぞれこれらの系統の寺院や跡地になり他の多くの部分は現在の奈良町を形成する住宅地になりました。かろうじて残った五重塔の跡地がここ元興寺(塔跡)と呼ばれ、上記三か所の一つで残念な事に興福寺の塔よりも高かったと言われるこの塔も江戸時代に焼失し、その塔の高さを推定する礎石がここにあります。ここも周りは住宅地に囲まれていますが、塔の礎石や、稲荷神社、寺などが残り訪問される方もおられ、隣りには南都御霊神社が在ります。正確には元興寺(塔跡)と呼ぶのが解りやすいでしょう。(南都御霊神社の隣にこの元興寺(塔昔)が在ると言った方が解りやすいのが現状ですが)。

トラえもん
17 八月 2018 5:12

奈良時代に平城京遷都で飛鳥の地から遷った元興寺の塔があった場所で、現在は巨大な塔跡の土壇と礎石が残り、境内の片隅の小さなお堂が建っています。国指定史跡。有り難く大和北部八十八ヶ所霊場第5番の御朱印、”南無佛”を頂きました。

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