Mausoleum of Emperor Shōmu / 法蓮北畑古墳(聖武天皇 佐保山南陵)
住所 | 奈良県奈良市法蓮町1224 |
電話 | +81 744-22-3338 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/045 |
カテゴリー | 史跡, 墓地, 観光名所 |
評価 | 4.7 9 件の口コミ |
聖武天皇陵 | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社
|
Mausoleum of Emperor Shōmu / 法蓮北畑古墳(聖武天皇 佐保山南陵) 件の口コミ
9 とても素敵な御陵です。私が近くに住んでいたら毎朝お散歩がてら参拝したいくらい。
拝礼所からまっすぐ行くと聖武天皇陵、途中を右へ行くと光明皇后陵です。
どちらの御陵も、鹿が住む静かな森に囲まれています。朝早く来ると鹿の姿も見えるかも?
あの聖武天皇のお墓がこんなところに?!と思うほどひっそりとあります。静かで散歩してる人もほとんどいないですが、なんとなく厳かな気持ちになります。ゴールデンウイークの時期には東大寺の山陵祭かなにかで、お坊さんたちが毎年行列してお参りする光景が見られます。
聖武天皇 佐保山南陵
第45代 聖武天皇陵
国民の多くが天然痘によって死去した事に心を痛めた聖武天皇は信仰していた仏教に救いを求めて諸国に国分寺を建立。東大寺に大仏を造営されました。
このあたりは民家が密集して天皇陵の前の道は一条津売りですが、結構東大寺方面に抜ける車も多いところです。その佐保川を渡るところが周りの地域とは別天地のように整然とした北の方へ延びる道があります。ここが佐保山南陵(宮内庁)、在所の人は聖武天皇陵と呼んでいます。この奥北東の所に光明皇后(仁正皇太后の陵があり、仲良く埋葬されています。近くには佐保山保育園、西安のの森、鴻池運動公園、奈良女子大(江戸時代の奈良奉行所跡、幕末の川路聖謨はここに勤務)、眉間寺遺跡等があります。
聖武天皇を思うとき、鎮護国家、三宝の奴、東大寺、大仏建立、お引越し屋など色々な言葉が浮かぶ。
わずか数年のうちに平城京恭仁京難波宮紫香楽宮と都を移し転々とするが、また平城京に戻ってくる。
反乱や陰謀など波乱の時代であった。
聖武はこれでかなり消耗したに違いない。
しかし鎮護国家としての日本の基礎を固めた功績は大きい。
今、聖武天皇は緑豊かな佐保山南陵に、妻、光明皇后はすぐとなりの佐保山東陵にと仲良く眠っている。
これ以上の幸せはあろうか。
奈良に入ると聖武天皇陵にご挨拶に伺います。
白い鷲の様な鳥が陵の左手前、木の頭頂で、陵にいる間、ずっと止まっていた。
今回は、鶯が鳴き迎えてくれた。不思議なこと。
聖武天皇741年全国に国分寺建立の勅を発した。肥前国・唐津の手前、江北と小城の間の丘に廣厳城があり、城には薬師如来座像があった。
明治維新の神仏分離令廃仏毀釈で常福寺に一時的避難して、城は破壊されたため行き場のない仏像は今も常福寺に、今は瑠璃殿に格納された。
鴻ノ池競技場のすぐそばにあったんですね。厳かな雰囲気でキレイに管理されてました。日本史では国外の脅威、地方豪族の反乱、疫病とご苦労が多かったと思います。今の日本があるのも苦労を積み重ねてくれた人々のおかげと思っています。
近鉄奈良駅からやすらぎの道を鴻池運動場に向かっていくと法蓮仲町交差点を右に曲がる。転害門に向かって歩いて行くと佐保川の手前日照り側に参道が出てきます。見るからに巨大な鬱蒼とした森で奈良時代、平城京においてさまざまな事績を残した聖武天皇墓らしい佇まいです。夏真っ盛りの訪問でしたので参道脇の蓮がとても綺麗でした。