市島邸
住所 | 新潟県新発田市天王1563 | ||||||||||||
電話 | +81 254-32-2555 | ||||||||||||
時間 |
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カテゴリー | 観光名所 | ||||||||||||
評価 | 4.6 12 件の口コミ | ||||||||||||
Ichishima Tei | |||||||||||||
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市島邸 件の口コミ
12 2022.11
市島の名前は、市島酒造 (現、王紋酒造、丸市分家) では知っていましたが、こちらが宗家の邸宅という事は、今回、初めて知りました。
小学生で訪れた北方文化博物館 (伊藤家) が、新潟で一番の大地主だと教えられ、そうと思っていましたが、、、。納税面からは、明治時代の納税者番付全国2位、新潟県では1位で市島家が上となるのでしょうか。
若干、紅葉が終わり際だったので、次回は、もう少し早めに、そして、ライトアップの頃に来てみたいと思ます。
追記
この種の施設にしては、6種のカード、証で入館料割引あり。自分は、イオンカード提示で620円が500円はラッキー
敷地、庭、平米数は、見事ですが、手入れ的には微妙な感じ。
今年は、下越地方の邸と云われる所を多く観て周りましたが、多くが著名な庭師が作った庭を備えた邸宅で、枯山水的で遊び心がある庭を観てきたと感じましたが、こちらは、どちらかというと鬱蒼としていて、そのまま感 (回遊式庭園としては大きいとは思いますが) 。
あとは、多くの邸が茶室等には、花や掛軸がありましたが、こちらは皆無。本物のお宝を出す必要はありませんが、あまりにも彩りが無く貧相感があり残念、、、。財団法人、指定管理者、役所管理の差でしょうか。
金銭的には、なかなか厳しい世の中ではございますが、来春 (2023年) 、大倉喜八郎縁の『蔵春閣』が再興されるのを機に、倒壊した『湖月閣』の再建を切に願います
当時の様子を思い浮かべながら、タイムスリップした気分で見学しました。映画の撮影で使用された部屋もあり、楽しかったです。高校生の子供と行ったので、歴史の勉強になりました。あと、市島家当主が全国納税額トップテンに入っていたのにはびっくり!
とても素敵で素晴らしい場所だと思います。
これでこの料金は安い。
広すぎてじっくり見て回る事が出来なかったのが残念です。
今の時期も勿論良いですが、秋は更に素敵な景色だと思いますのでまたその頃になったら行ってみたいと思います。
茶室から見る風景は最高です。
越州の豪農は武士団から帰農した家が多くありますが、この市島家は浄土真宗の商家から財を成した大農家です。
明治中期には長者番付にも名を連ねたようです。
邸宅内の保存状態は、予算の関係かあまり良くありません。改修に8億円をかけた国重要文化財・渡邉邸の直後に伺ったので、特に落差を感じました。県指定文化財ということなので、新潟県の十分な支援があればと思います。
月曜日に訪問。誰もいませんでした。コロナの事もあるので、安心して見学出来ました。建坪600坪の豪邸です。豪華さはありませんが、迷路のようでとても楽しかったです。お庭もよく手入れされていて、桜も咲いていてのんびり散策してまったりとした時間が過ごせました。月岡温泉に宿泊する事を伝えると入場料が割引されて550円でした。お得。
今日 (2022.4.15) は平日で雨降り
『雨もまた一興』と開館まもなくに行ってみました
平日のせいか?雨のせいか?貸し切りでしたよ
結構いろんな豪農・豪商の館に行ってますが、こちらは派手さはないけれど落ち着いた雰囲気が良かったです
とにかく敷地、お庭が広くて途中出口にたどり着けるか心配になりましたけど
今日は桜はもう散り始めていましたが、その花びらが絨毯みたいでまた綺麗
そして椿の花もたくさん咲いていて、緑の苔の上に落ちた椿がまたまた綺麗
お屋敷の中は天井が低い所が多く『昔の人ってみんな背が低かったのかな?』とか、広いお屋敷の窓や戸を開けたり閉めたりして回るの大変だろうなぁと
今日はお庭は全部見て回りませんでしたが、これからの季節は木々の葉も繁り散策したら気持ち良いと思いますよ
建物も見ごたえあるし、何より すごく広い庭園が素晴らしい失礼ながら 新潟県民にあまり知られてないような気がします・・・もう少し 宣伝を工夫すべきだと思う。全体に 地味ではあるが、住んでいた人の人間性、建物、庭の作り、貴重な新潟県の財産だと思います
新潟に居ながら、これ程までに新潟に貢献して盛り立てた一族を知りませんでした。お屋敷も広くて迷路みたいでしたが、丁寧な説明と順路表示で迷わずにすみました。「ここで皆んなで集まって会合したのかな」「子供たちはここで遊んだのかな」などと想像しながら見学できて楽しめました。庭園やお茶室も見事です。虫が苦手な方はお気を付けあそばせ。
ふらっと寄ったマイナー観光地。貸し切りだった。
客間の茶室には絨毯が敷いてあり、腰を下ろして中を見学できる。むしろ当時の豪農の眺めを体感できると言うべきかな。近くに行ったら寄るべし。
市島家は小作人の学業にも資金を投入し僧侶を毎月、招いて近所の人々を仏教的哲学で民の精神の安定をはかり、社会を見渡し貢献した。戦後、農地改革という国の政策により、一気に「家」の実体も観念もなくなったが、それが戦争に負けたと言う事だったのだろう…。徳川の葵御紋をつけた長持を持ってお腰入れされた岡山のお姫様がこの家に住んだ最後の奥方様。たいそうお綺麗な方。
家族の住む大広間は、現代のように個室ではないので「眠いからもうちょっと寝るー」とか言えなかっただろう。皆、同じ生活時間だったことが、うかがえる。
大広間の中に大変立派な大きな仏壇があり、死んだご先祖様と一緒に家族は毎日を生きていた事がうかがえる。
越後豪農世家の1つ。多少整備が追い付かないようではあるものの見事な庭園で、ただ、その主景を収めたであろう湖月閣が地震で先年全壊してしまい、その「庭屋一如」の精神を追えないのは返す返すも残念である。市島家の歴史の展示もあり、本家、分家からなった市島家も幕末に揺れては朝幕両方に内通支援した本家のみが存続したとか。その生き延びるためには不義理を冒して恥じないとも言うかの如き当時の本家当主の顔相には壮絶なものがあり、その息子のひどく温和であるのと対照的である。単に庭園や邸の美しさだけでなく、その影も窺いたい人にはその庭園散策も相俟っていいかも。