鮫ヶ尾城跡
住所 | 新潟県妙高市宮内 字城山 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 城 |
評価 | 4.5 8 件の口コミ |
Samegao Castle Ruins | |
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鮫ヶ尾城跡 件の口コミ
8 【登城日】2023年 5月 (祝日)
【スタンプ設置場所】
【駐車場】無料
【御城印】あり
斐太神社の横に駐車場があります。
そこから徒歩で斐太歴史の里総合案内所に向かいます。
スタンプと御城印はこちらにあります。
お店の方に行き方をうかがっていたところ、往復1時間と言われ時間的に厳しかったので登城は断念しました。
案内所で販売されていたお饅頭がとても美味かった
鮫ヶ尾城跡を訪れました。
国指定史跡、続100名城のひとつです。
お城お詳しい説明は斐太歴史の里総合案内所でパンフレットをいただけるのでそちらを参照してください。
私はこれから訪れる方に少しでも参考になれば良いと思い所要時間などをレポートさせていただきます。
駐車場までの案内板はわかりやすく迷う事はありませんでした。
駐車場は舗装され区分わけもされています。
駐車場から総合案内所まで徒歩約10分程度
案内所では、御城印と続100名城スタンプがあります。
案内所の係りの方に簡単な説明を受け、東登城道から本丸跡を目指しました。
本丸跡までは大人 (男性) で約30分程度
そこから北登城道を経て総合案内所まで約25分で鮫ヶ城跡を周遊散策コースでした。
足元がとても滑りやすいので滑りにくい靴と
杖、そして獣避けの熊ベルなど持参をお薦めします。
銀輪偵察第3報。斐田遺跡の奥に在る鮫ヶ尾城に山地潜入。小田原北条家から上杉に養子に来た上杉影虎が、御舘の乱で景勝に破れて逃げる途中に捕捉撃滅された城です。北の春日山城と信越国境を繋ぐ重要な拠点であり、多数の空堀のある大規模な山城です。頸城平野全体が見渡せる緊要地形でした。
続100名城の一つ。標高185mの山頂本丸跡 (N185曲輪) からは遠く日本海まで見渡せる。北登城道入口から本丸までは全線登山道の上り坂で、夏場は草木が生い茂るため虫刺されに注意。
上杉謙信の後取りを巡って、景勝と景虎が争った御館の乱の決戦の地として有名。この戦いで城は焼け落ち、景虎はここで自害した。その後この土地はほとんど利用されていないことから、当時のままの形を残す山城として珍しい。
新井SICから18号線を北上し、乙吉交差点から県道6385と進み、鮫ヶ尾城跡の看板の示す方向に左折した先右手に無料駐車場あり。山頂までは20分ほどで辿り着く。
駐車場より20分ほど山を登る。
熊が出没した事もあるらしく猪にも注意。
頂き付近は泥濘みが酷く滑りやすい。
場所によっては滑落の危険もあるので滑りにくい靴が必要。
永禄年間 (1558年から1570年) に築城された山城であります。天正7年 (1579) 年3月24日、上杉景勝に敗れた上杉三郎景虎が追い詰められて亡くなった場所です。
二の丸跡から炭化したおにぎりや陶磁器片、銭貨等が出土しました。落城後は火事場整理を経て使われた形跡がないことから、天正7年(1579)4月以降廃城となったものと考えられます。
東登城道入口付近には弥生時代の竪穴式住居跡、東一の丸跡には同時代の墳丘が発見されています。
標高182m、東登城口から比高144m
主郭背後から奥の堀切がスゴイ️
遺構が良さげな東登城道から登った
真夏でも整備されてて登りやすい️
スグに2重の堀跡がある
斐太 (ひだ) 遺跡の説明板があった
いくつもの曲輪に堀切大堀切を越えると あずまやのある本丸に着く
眺めバッツグーン \ (^〇^) /
縄張図付きの説明板があった
まわりの切岸も良く残ってる
そして帯郭からジャングル化 (22/8月) した奥の堀切に
3つの薬研タイプの堀切がエグイ
戦国時代から そのまんま残ってるかのような姿が素晴らしい
帰りは三の丸から井戸跡や虎口を見ながら南登城道から下りた
こちらも段郭が多い
3ヶ所の登城道があるけど、遺構を見るなら東登城道からが良さげカナ