大隈重信記念館
住所 | 佐賀県佐賀市水ヶ江2丁目11−11 | ||||||||||||
電話 | +81 952-23-2891 | ||||||||||||
時間 |
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サイト | www.okuma-museum.jp | ||||||||||||
カテゴリー | 地域歴史博物館, 歴史博物館 | ||||||||||||
評価 | 4.1 18 件の口コミ | ||||||||||||
Okuma Shigenobu Memorial Museum | |||||||||||||
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大隈重信記念館 件の口コミ
18 早稲田大学の創設者として有名な大隈重信侯の生家跡に併設されてます。
佐賀で生まれ育った幕末の雄、明治政府で総理大臣も務められました。
昔は自由に観覧できて、小学生の頃はよく遊び場にしてました。
近くに同じく幕末活躍した“江藤新平”が起こした『佐賀の乱』の慰霊碑が建立される『万部島公園』もありますので、併せて訪問することをオススメします。
記念館の隣に生家があります。記念館の展示品はそう多くはありませんが、見やすい展示をされています。記念館の2Fはほぼ早稲田大学関連の展示になっており、卒業生や関係者には興味深いものとなっているようです。生家は建物の中も見学できます。但し、こちらは受付での申込みが必要です。お庭の手入れ、掃除が行き届いているのに関心しました。
大隈重信氏生家の地にある記念館です。大隈重信氏は佐賀藩の藩校弘道館に7つから通い勉学に努め明治維新の真っ只中、財務大臣、外務大臣などを務め、総理大臣を2度務め太陰暦を太陽暦に改めて、また貨幣制度を見直すなど日本の近代化に尽力し、早稲田大学の創始者としても有名な佐賀藩英雄の記念館です。貴重な資料があり、早大生必見です。
駐車場は、入口すぐ横に5台程度無料で駐めることができます。前の道は一方通行区間があるので、ちょっと注意したほうがいいでしょう。
記念館の内容は多くの方が解説しているので省略しますが、しっかり整備されている印象を受けました。平日の昼過ぎだったのですが、他の見学客はいらっしゃらなかったので、周りを気にせずにゆっくり見学できたのは良かったです。
記念館の入口付近に、ポケモン柄のマンホールのふた(ポケふた)がありました、佐賀にはあと2か所県庁近くにあるみたいですね。
駐車場無料、JAF割で220円。私の様に歴史に興味がない方が楽しめるのは建物くらいでしょうか?入口赤絨毯の階段の造りとステンドグラスは一見の価値あり。建物自体はユニークですが広くないので正味15分位の滞在でした。
総理大臣、早稲田大学の創立者で知られ、数々の功績を残した佐賀の英雄、大隈重信の記念館を訪れました。大隈氏の生い立ちや屋敷及び歴史ある資料、グッズもあり、これだけでもものすごい価値ある博物館です
でアール、が本当に口癖だったのか?テロで片足を失っても、国のためなら足の一本ぐらい安いと笑ったという豪傑大隈卿がどういう生い立ちだったのかを垣間見ることができる場所。佐賀に来たら、必ず訪れるべき場所の一つだと思った
敷地内に生家があります。
重信の母が、2階に9畳敷の部屋を造りました。彼女の教えが印象的で、当時は[葉隠]の考え方一色だとばかり思い込んでいたのに、重信は早くから違った開明的な考えを持っていたことを知り感激しました。
明治維新から大正デモクラシーまで活躍した大隈重信の記念館。中流武士であった大隈が何故参議になれ首相になったのか。教科書に載っていない様々な展示がされてます。とても勉強になりいい施設です。本当に好きな人は寄贈された本をカフェで読むのもいいかもしれません。生家もあります。
2月27日に開催されたスケッチ会で訪れました。
主に旧家の周辺やお庭を散策しました。
松の木の剪定が細かく行き届いていて美しいと思いました。
旧家(生家)のほうは瓦屋根と茅葺き屋根のハイブリッドに黒の板と白壁のコントラストに目を引かれました。
スケッチでは、白黒をそのまま塗ると画面が落ち着かなくなるので、どのように工夫するか、苦心されている方も少なく無いようでした。
建材をよく見るとコストパフォーマンスを重視した庶民的な感覚の家であることが分かります。
19世紀の当時、このような建築は佐賀の街中にはたくさん建てられていたと、推測できます。
その人柄が育まれた土壌――佐賀藩の城下における生活の実態や精神を、現在でも見られるのはありがたいことだと思います。
記念館のほうの建築も面白いデザインで、図書スペースや博物館的な展示があるようです。……こちらはまたの機会に訪れてみます。
隣接するご生家は、受付でお願いすれば
一階に上がれます。
二階も上がれる日が設定されていました。
記念館そのものは、大学OBなら一度は行くべきな、こここそが、本当の心のふるさとです。
大隈公の想いを感じながら
仕事にも励んでいきたいと
いろいろ勉強になりました。
平日の昼間だったからか、他に誰もおらず貸切状態でゆっくり見ることができました。最寄りのバス停で降りて歩いて行ったのですが、本当にこんな住宅街にあるのかと不安になりました (ありました!) 。記念館と家と二つも見られて300円は安すぎですね。ありがたい。
日本史を選択してなかったことと近代はさらっとだったので大隈重信のことは良く知らなかったのですが (佐賀の人ということすら知らなかったw) 肉声が聞けたり、色々なエピソードを知ることができ良かったです。
あるんであるんである!
大隈重信記念館は、国道264号線の片田江交差点の南東600mほどの会所小路沿いに、生誕125年を記念して、昭和42年に開館しました。開館時間は、午前9時から午後5時、入場料は大人330円です。
早稲田大学名誉教授の今井兼次博士の手によるデザインで、大隈侯のどっしりして動かざる姿をイメージして建てられています。2015年に内外装を一新してリニューアルオープンし、大隈侯の生きざまや功績を貴重な資料を添えて展示しています。
天保9年(1838)大隈侯が生誕したこの生家は天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されています。平屋茅葺に一部二階建ての瓦葺きの家屋は、重信侯がうぶ声をあげて成長した、八太郎の時代の家庭とその遺徳をしのぶことがてきる貴重な遺跡となっています。庭園には大隈を敬愛した政治家・波多野敬直の筆になる「大隈重信侯の誕生地」の記念碑が建っています。
大隈重信は、佐賀藩の上士の家に生まれ、維新後、外国事務局判事などを経て、明治3年 (1870年) 参議となりました。明治6年 (1873年) 大蔵省事務総裁、ついで大蔵卿に就任し、征韓論争後、財政の責任者として大久保利通を補佐しました。明治14年 (1881年) の政変で失脚し、明治15年 (1882年) 立憲改進党を組織、東京専門学校 (早稲田大学の前身) を創立しました。第1次伊藤、黒田両内閣の外相として条約改正に関与し、第2次松方内閣の外相兼農商務相、明治31年 (1898年) 憲政党を組織、首相に就任しました。明治40年 (1907年) 政界を引退しましたが、のち復帰、大正3年 (1914年) 再び首相となり第一次世界大戦への参戦、対華21カ条要求などに関与しました。明治政府の最高首脳の一人にのぼり、明治初期の外交・財政・経済に大きな影響を及ぼしました。
内角総理であり、早稲田大学創立者。
非常に個性的で面白い人物。
署名以外は一切書記しない。など教育に力を入れていたのに面白い。
また演説も独特で、あるのであるは流行語となったようだ。
交渉術も優れていたようだ。
胆力もあり右足を爆破されたりしても、自分の信念は曲げず、大衆を前に演説し続けた。
330円だがお値段以上。
建物も凝っていて面白い。
佐賀を代表する幕末の偉人早稲田大学の創設者で元内閣総理大臣の大隈重信公の生家と記念館
早稲田大学名誉教授今井兼次博士の設計
ガウディに影響を受けた凝ったコンクリート建築
建築に興味ある方ならば必見
意外に楽しめました。
大隈重信、あまりよく知らなかったですが、その人となりに惹かれました。
大衆に愛された人物だったんですね。
なんか、チャーチルとかぶる。
であるのであるので、ある!
大隈重信氏のことを学ぶにはこれ以上にない施設。入場料300円は安いかも知れません (JAFの割引もある模様) 。隣接した生家は、もともとあった場所に近年建て直したものですが、二階に上がる階段だけは当時のものだそうな。親切なボランティアの方々が熱心に説明して下さいました。