物部神社
住所 | 島根県大田市川合町川合1545 |
電話 | +81 854-82-0644 |
サイト | www.mononobe-jinja.jp |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.6 28 件の口コミ |
Iwamikuni ichinomiya Mononobe Shrine | |
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物部神社 件の口コミ
28石見国一宮、道沿いに駐車場が有り、そこに車を停めて参拝しました。境内は広くて綺麗にされていました。狛犬だけでなく狛鶴も迎えてくれます。社殿は日本有数の春日造の社殿です。御祭神は物部氏の祖神、宇摩志麻遅命です。多くの摂末社が有ります。拝殿の左手前の神札所で御朱印を頂きました。
境内はかなり広く綺麗で、石見国一宮としての風格がありご神気の満ちている神社です
参道の先にある拝殿の後ろに日本一の大きさの春日造の本殿の屋根部分が見えていて、存在感があります
本殿は横から眺めることができますが、迫力あります
こちらの神使は鶴なので、狛犬のほかに狛鶴があちこちにいます
拝殿前には富金石という砂金を含んだ手水舎があり、勾玉が彫られていて素敵な手水舎です
境内摂末社が多く、御祭神が腰掛けたと伝える勝石や、夜泣き椨 (たぶ) ・聖天さんと呼ばれる御神木など見どころが多いです
本殿裏手は御祭神がお鎮まりする円墳らしく、5分ほど細く滑りやすい山道を登った先にはご神気に満ちた御神稜がありました
コロナの影響で三年ぶりに参拝しました。
変わらず、荘厳で本当に大好きな神社です
新しい神社の発見もあり良かったです。
感謝です。
来年のお正月にも初詣に来る想いを持って、おいとまさせて貰いました。
沢山の福を有り難うございました。
令和4年8月9日午前11時頃巡拝。
出雲大社からは結構な距離だったが大いなる威厳がある神社と感じた。物部氏やひおい鶴にロマンを重ねながら参拝を終わらせようと神馬像へ足を向けた。
だが、それはシンボリルドルフの父パーソロンの碑でした。
競馬好きにはシンボリ牧場と和田氏の功績を理解できると思うが・・・
神馬では無いよね!と、ひとりツッコんでいた。
石見国一宮の物部神社です
本殿の背後にある八百山(やおやま)は神体山で、513年に社殿創建
物部神社の御祭神、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)が鶴に乗ってこの地に降りたと伝えられ、神使となっているようです。
手水舎は、三瓶ダム開発の際に採掘された「含金石」とよばれる砂金を含んだ珍しい石の一枚岩で出来ているようです。
その手水舎には
石に5つの曲玉が彫られていて、
「浄の曲玉」「勝の曲玉」「財の曲玉」「健の曲玉」「徳の曲玉」
それぞれを撫でて祈願するようになっているようです
物部神社の本殿は
宝暦3年(1753年)に再建され、安政3年(1856年)に改築されたもので、高さ16m、春日造りとしては全国一の大きさで
出雲大社の次に大きいです。
物部神社に祀られる主祭神はウマシマジ
出雲制圧のための拠点とした場所が、当地の物部神社。ここから出雲王朝征伐へ行くこととなります。
境内にある後神社の
主祭神の妃神「師長姫命」(シナガヒメノミコト)を祀っています。
この物部氏は北部九州から東征して来てます。物部氏でも筆頭の二田(ふただ)はこの付近にも地名として残してるはずです
是非行かれてください
ありがとうございます
本日、初めて伺いました。
宮司さんに、今は綺麗にコケが生えるんですよーと教えて頂きました。
雑草が生えると、見栄えが良くないと、手入れされていました。
神社全体的に、綺麗に管理されるんだなーと感じました。また、伺います。
とにかく最高の場所でパワーをタップリ頂いて帰りました。
非常に雰囲気が良くてパワースポットの場所で近所の子供達の遊び場のようでほのぼのとした光景を久し振りに感じたような気がします。
2022.5月にお参りしました。昨年秋にしたお願いが叶い お礼に行きました。連休最中でしたが 人は少なくゆっくり静かにお参り出来良かったです。広くて静かな場所です
おみくじも 開けて何が出てくるかワクワクドキドキします。。‿。
その時に合った物を引いてるな、
と思いました。 (ꈍᴗꈍ)
機会あらばまたお参りしたいです。
旧国幣中社。モノノベ神社。石見國一宮。社殿創建より1500年。日本一大きい春日造。御祭神は宇摩志麻遅命 (うましまじのみこと) 。物部氏の御祖神。古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬され、また神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いそうです。島根県大田オダ市。新潟県の弥彦神社とも歴史上の関わりがあるようです。
(以下、ホームページ参照)
宇摩志麻遅命は神武天皇御東遷のとき、天皇に忠誠を尽くし神剣韴霊剣を賜る。神武天皇御即位のときには、天皇のために鎮魂宝寿を祈願された。これが鎮魂祭の起源となる。
その後、新潟県の弥彦神社の神である天香具山命と共に、物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座する。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り平定し、安の国 (安濃郡名の起源) とされた。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和 (奈良) の天香具山 (神武天皇ゆかりの奈良県橿原神宮が背負う山) に似ている事から、この八百山の麓に宮居を築かれた。鶴に乗って勝運を運んできた姿にちなんで真っ赤な太陽を背負った鶴の姿が全国唯一の御神紋 (日負鶴) となった。
社殿については、天皇の勅命により継体天皇八年 (513年) に創建。社殿は三度消失し、宝暦三年 (1753年) 再建され、文政元年 (1818 年) の修理を経て、安政三年 (1856年) 宝暦時の規模で改修され現在に至る。
敬神崇祖。有難う御座いました。2022.4
【比定社】
たくさんある
そんなに詳しくないので多くは語らず。
ホームページがとても解りやすい。
以前に来たときは特に何も考えずドライブがてら寄っただけだったが、今回は意図的に再訪。
印象を簡単に書けば『大きくてカッコいい』。
敷地は広くキレイにしてあり、西側のトイレもまたキレイ。(新築ぽい)
裏手に山を構えて勇壮そのもの。
拝殿・本殿以外で一番、目を引いたのは『屋根の造り』と『巨木の根の造形』。
生きるってすごいなと実感した。
※写真は周ったルート順のため、まとまりないこと悪しからず…
2022年3月5日
神社境内外で売っているベビーカステラ屋
今までで食べたベビーカステラの中でも1,2を争う美味しさでした。
蜂蜜の甘さが絶妙で、冷えてても美味しい。
おまけで栗餡大判焼き1個いただきました。
おじさんありがとう。ですが何故か大判焼きからダウニーの味が…「なんかダウニーの味せん?」と言うと相方もこれには同意。
あれはなんだったのでしょうか・・・
肝心の神社について、行く前はこちらの神社の情報は全くなかったんですが出雲大社に負けず劣らず立派です
地元の旅館の方に出雲大社に負けず劣らずと伺って元旦に訪問。
出雲大社とは比較出来ませんが、それなりに立派な神社では有りました。
参拝客が少ないのは有り難かったです。
規模は小さいので参拝客の回転も早く、駐車場もちょこちょこと空いていました。
2月2日23時からの火焚神事
2月3日0時からの節分祭
に伺いました。
神社に向かって右手の方から入って行くと広い駐車場もあるようでしたが、早めに着いたので、神社前にある駐車スペースに止めることができました。
ホームページで神事の動画を拝見していましたが、目の前で火のついた矢を放って火を点ける様子を見たり、炎の熱も感じれてまた格別でした。
その後、境内のお社などへおまいりしたのち、節分祭は社殿の中で参拝させていただけて、とてもありがたく、
心身ともにスッキリと帰路につかせていただきました。
石見一宮で境内も広く清浄な雰囲気です。いつも清潔に保たれて宮司様も巫女様も親切丁寧に接して下さいます。お参りされれば神様のお力の素晴らしさも感じて頂けると思います。神様とお話しできる桜井識子さんのブログの記事2019年10月3日と4日の内容はとても楽しめ、信じる信じ無いは各人に任せますが、とても素晴らしき神様方が御守り下さり誠意を尽くせばお願い事を叶え幸福にお導き戴けると信じます。識子さんはニッポン各地の神社仏閣をお参りされていて、本もブログ記事もとてもおもしろく信用できる内容と思います。ですのでおそらく物部神社の神様方が喜んでおられることと思います。
地元の神社です。
3日に初詣に行きました。小さい神社なので駐車場が少ないです、警備してくれる人も居ないので無法地帯…車が通る道にも止めてる人が居るから迷惑でした。氏子の方々が警備を兼ねて交通整理してくれたらいいのに
たたずまいから、悠久の時を感ぜられました
毎月1日に、巫さん達が作られた水引のお守りを販売されるとのことです。残念ながら違う日にお参りしたので求められませんでした
とても素敵でしたよ
チャンスがあればお参りされることをお勧めします
饒速日命【ニギハヤヒ】
ほぼ表に名前が出る事が無い神様です
邇邇芸命【ニニギノミコト】の兄として書かれている神様のはず?
今話題の元伊勢籠神社では主祭神から外されたと記載される書物もあります
謎が謎を生む日本の古代の歴史
勉強すれはするほど面白い
導きに感謝
物部氏初代が没した地として祭る神社。
物部神社は日本で、ここだけか。
物部氏は大和国山辺郡が拠点らしいが、山辺神社というのが、江津と大社にあるのは?
注連縄は右元となっているので、墓所とみているのか。
石見国一之宮のこちらですが、車でないとアクセスは厳しそうです。
一応、バスもあるようですが、JRとの接続もあまり良くなさそう。
ただ、このような奥まった地にある神社ですが、規模はかなり大きく、社殿も立派です。
物部氏といえば、大和朝廷でも軍事を担当していたイメージですが、この地から出たのであれば、やはり鉄の力が大きかったのでしょうか。
社殿の裏手に円墳があり、10分程度で登ることができます。
石見銀山にも近く、ルートに入れると良いと思います。