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太平寺

住所 栃木県那須烏山市滝395
電話 +81 287-84-0165
カテゴリー 仏教寺院, 観光名所
評価 4.3 9 件の口コミ
Taiheiji
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太平寺 件の口コミ

9
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Noriko
21 五月 2022 9:13

龍門の滝はもちろんですが、「滝」に来たら、こちらの太平寺の仁王門の左右の仁王様を、是非ご覧になっていただきたい。お顔も姿も立派で素適です。おおきなわらじが沢山奉納してあって、こちらも旅人気分になります。仁王門は市の文化財になっています。川口松太郎作の「蛇姫様」でも知られる蛇姫様のお墓があるお寺だそうです。なんとなく白蛇がニョロリと現れそうな…。
太平寺は風情があって、近くに行ったかたは必ず立ち寄っていただきたい場所です。

Kurukuru
20 二月 2022 3:39

現地に由緒書らしきものが無かったので市のHPを覗いたら、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝祈願し、千手観音を安置。その後、嘉祥元年(848年)に慈覚大師が開創した古刹。とありました。かなり歴史の古いお寺みたいです。
仁王門が立派です。蛇姫の墓のお墓もあります。
訪問時は参拝者がおらずヒッソリしてました。

阿部聖一
08 一月 2022 16:10

「龍門の滝」近くにある寺院です。

「龍門の滝」から帰ろうとした時に、「どんな感じなのかな?」とたまたま検索したら、こちらの雷門、「龍門の滝から現れた大蛇が、7周半ぐるぐると巻き付いた雷門」との事

「大蛇が巻き付いた 龍大蛇に関係するなら金運のご利益が授かれるかも? 行っておこう」と、なりました。 (笑)

静かな寺院で、のんびりとお参り出来ました。

「蛇姫様」等、那須烏山市の民話に関する寺院の様で、「蛇姫様」のお墓も。

(「蛇姫様」に関しては、那須烏山市の民話を調べてみてください)

(3年12月5日)

antaba
27 十二月 2021 16:27

良。紅葉が似合う仁王門以外に前知識がなかったのですが、必要以上に手を掛けない境内や木々から射し込む日の光がとても厳かな雰囲気を持つ山寺です。

訪問した時には祈願の大草鞋が幾つも仁王門に奉納されていました。

Hiro
01 十一月 2021 21:02

お寺は雨の日でも赴きがあるのでいいですよね。ちょうど、龍門の滝のむかいにあるお寺で階段を上っていくところが雰囲気があって良かったです。龍門の滝に寄るのがメインでしたがちょっと得した気分になりました。

たか孝
26 十二月 2019 3:33

山門への階段の登り口に
紅葉したもみじがあり
山門には大きなわらじ
奥には蛇姫様のお墓もある、
山門入り口から下ると
龍門の滝があり、ここも
見所で時たま通る気動車が
見える。

Tatsuya
17 十月 2019 5:19

「蛇姫」や「師走八日の千本騒動」などの民話が伝わるお寺です。仁王門には大きな草鞋がたくさん掛けられてました。躯体の立派な仁王様にあやかり、身体の健康や健脚を祈って奉納するようですね。

今野豊美
02 五月 2019 1:19

太平寺(那須烏山市)
住所:栃木県那須烏山市滝395
坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝を祈願し、千手観音を安置。
その後、嘉祥元年 (848) に慈覚大師が開創したという古刹。
境内には風神・雷神像が並び、川口松太郎の小説で知られる蛇姫様の墓もある
アクセス :JR烏山線滝駅下車…徒歩3分 (駐車場あり)

寺の始まり:延暦22年(803)坂上田村麻呂が蝦夷討伐のおり、大願成就を祈願し千手観音菩薩を安置し、堂宇を建立したのが始まりとされたという。
開   創:嘉祥元年(848)、慈覚大師円仁が再興し寺院として整備、これが太平寺の開基となています。
本   尊:千手観世音菩薩 (室町, 像高230cm, 木造)
下野三十三観音霊場第11番札所。
御朱印は、宇都宮の宝蔵寺でいただけます。
 宇都宮市大通り四丁目にある天台宗の寺院(徒歩 :JR宇都宮駅西口から徒歩5分)。

現在の太平寺本堂と仁王門は、享保10年 (1725) に建てられた古建築物で、江戸時代中期の寺院建築の遺構として那須烏山市指定有形文化財に指定されています。
・ 本堂は、木造平屋建て、入母屋、銅瓦葺き、平入、桁行6間、正面3間向拝付、
外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、内陣には須弥壇が設置され、その上に置かれた厨子には本尊である木造千手観音菩薩立像が安置されています。
・ 仁王門は、三間一戸の八脚楼門で、桁行3間、張間1間、入母屋、銅瓦葺き、
外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、 下層部左右には仁王像安置、上層目には高欄が廻され開口部は眼象窓、「観普」の扁額が掲げられています。

中世は領主だった那須氏が庇護し寺領の寄進や堂宇の造営など行われ、
天正13年 (1585) には那須家家臣の大関氏が千本氏を忙殺した舞台にもなっています。
天正18年 (1590) 、那須氏は小田原に参陣しなかった事から奥州仕置きにより改易となり、庇護者を失い太平寺は一時衰退します。
  江戸時代に入ると歴代烏山藩主の庇護となり寺運を隆盛し、
特に 享保10年 (1725) に大久保氏が藩主となると代々の菩提寺となり、観音堂の大改修や寺領5石が安堵するなど庇護し、本堂には累代位牌が安置されました。
又、太平寺境内には川口松太郎の小説「蛇姫様」で知られる"お六姫"の墓があります。
(お六姫とは烏山藩主堀親良と側室の子供で家老である堀新左衛門の長男に嫁ぎましたが、不義密通の嫌疑がかけられ、無実の遺書を書いた後に自害したと伝えられています)

太平寺の文化財
・木造 千手観音菩薩立像 (県指定文化財)-室町, 像高230cm, カヤ材
・天蓋(県指定文化財)-江戸時代、天女の浮き彫り
・太平寺本堂 (市指定文化財)-享保10年(1725)
・太平寺仁王門(市指定文化財)-享保10年(1725)
・木食上人像(市指定文化財)-江戸時代
・二十八部衆像(市指定文化財)-室町時代
・風神・雷神像(市指定文化財)-鎌倉時代
・仁王像(市指定文化財)-江戸時代
・透し彫嵌込み扉(市指定文化財)-室町時代
・烏山藩主大久保家累代位牌(市指定文化財)-江戸時代
・阿弥陀堂の千体仏(市指定文化財)-江戸時代

Ohshima
06 五月 2018 4:07

延暦22年(803)、坂上田村麻呂が東夷東征の際に戦勝祈願として堂宇を建立したのが太平寺の始まりである。
後には慈覚大師円仁が再興。江戸時代になると烏山藩大久保氏の代々の菩提寺となった。
現在の本堂並びに仁王門は享保10年(1725)に建てられた。また境内一角には川口松太郎の小説「蛇姫様」のお六姫の墓が立つことでも知られる。

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