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樺崎八幡宮

住所 栃木県足利市樺崎町1723
電話 +81 284-41-3504
時間
月曜08:00-18:00
火曜日08:00-18:00
水曜日08:00-18:00
木曜日08:00-18:00
金曜日08:00-18:00
サイト www.ashikaga-kankou.jp/watch/kabasaki
カテゴリー 神社, 聖堂, 観光名所
評価 3.7 16 件の口コミ
Kabasaki Hachiman Shrine
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樺崎八幡宮 件の口コミ

16
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阿部聖一
24 五月 2023 15:08

お目当ての神社ではなかったのですが、いつも近くを通っていました。
「行ってみる?」との嫁さんの一言で、伊勢神社からの帰りに参拝に。

かなりのどかな雰囲気の神社です。

名前は八幡宮ですが、天満宮と言ってもおかしくはないかな?
受験生にピッタリの神社だと思います。

周辺は寺跡?だった様で、色々と散策してみるのも良いと思います。

御朱印、お守り等もありましたが、管理されている方への電話連絡が必要です。

(R5年5月21日)

七半
25 四月 2023 20:51

かなり由緒のある史跡であり神社。
開けた町外れにあり広い駐車場と立派な社殿。
しかし平素は無人。
現在周辺は色々と整備中のようだ。
鳩ノ峰の登山者の駐車場としても利用される。
御朱印あるが連絡が必要のようだ。

グスタフノリアン
02 十月 2022 0:51

ヨスガノソラの聖地巡礼で訪れました。
周囲は田んぼと山で民家もほぼ無く蝉の声だけが響き渡るような、まるで異世界に迷い込んだような場所でした。
人気は無くても境内はしっかりと手入れがされていますが、神主さんなどの管理の方はいないみたいなのでその点だけは注意かもしれないです。

加藤ミルモズ
28 四月 2022 8:13

静かな八幡様でした。 本堂の右手を降りた所には、菅原道真公の祠があります。 【学問の神様】に『カップ酒』が御供えしてあった事に少し『クスッ』としてしまいました。 御朱印を頂くのには、社務所脇に書いてある携帯電話番号に電話しなくては頂けないので躊躇します。 御朱印を頂く為だけにお呼びするのは心苦しかったので、今回は参拝だけ済ませて帰りました。

千葉みずき
22 二月 2022 6:06

庭園 (池?沼?) があり、私が行った時は、訪れる人もすくなく、心静かに参拝できました。
菅原道真公を祀った天満宮では、ろうばいが満開となり、良い香りを漂わせていました。
社務所には誰もおらず、お守りも買えず、朱印も頂けず…残念な事です。

ヤマ田太郎
21 一月 2022 13:34

血生臭い戦乱の世を武略と知恵、あるいは運で乗り切り、その数少ない生き残りとなった「漢」が最後にたどり着いた、永遠の平穏と安息の地がこの樺崎寺跡なのです。
その漢が波瀾万丈な人生を回想しながら鑑賞したであろう、この世に極楽を再現したという浄土庭園が現地で見事に復元されています。彼はこの場所で没しました。

その男の名は足利宗家2代当主「足利義兼」、あの室町幕府初代将軍「足利尊氏」の7代前の祖先にあたります。彼の物語に触れないと浄土庭園の価値や平和への思いが分かりにくいと思いますので、少し説明します。

彼は武家の棟梁「八幡太郎義家」の曾孫にあたる名門で血統的にも源頼朝と近いうえに、頼朝の妻である北条政子と同じく、初代執権北条時政の娘を妻に迎えていることもあって、頼朝挙兵のごく初期の段階から源氏の重要な戦力として従軍していました。

永久の繁栄が続くか、と思われるほどの隆盛を誇った平氏追討の戦いに身を投じた彼は、数々の武功をあげ、ついに壇ノ浦で平氏の滅びを見ます。さらに東北に転戦し、今度は奥州藤原氏の最期を見届ける事になりました。

「これで平和な日々が訪れる」と彼は思ったかもしれませんが、別な方面での血みどろの戦いは既に始まっていました。鎌倉幕府内での主導権争いと粛清の嵐です。

岳父の北条時政が先制体制を固めるため、なりふり構わず他の有力御家人の排除にかかり、武勇と清廉さで「坂東武士の鏡」とまで讃えられた畠山重忠を騙し討ちにするほどでした。
実はこの畠山重忠も妻が時政の娘であり、同じ立場だった義兼も大いに肝が冷えたに違いありません。

身の危険を感じた義兼は出家して「義称」を名乗り、鎌倉から離れ地元の樺崎寺に隠棲します。その時に作られたのが、眼前に広がる浄土庭園なのです。彼は数多くの敵を倒し、また友を失いました。
この場所で庭園を眺めながら、こころ穏やかに鎮魂の日々を過ごしたと信じたいですね。

そして山内の赤御堂のそばで、彼は息を引き取ったとされます。赤御堂は現存しませんが、八幡宮本殿の脇に赤御堂への石段の跡が発見され、本殿と赤御堂の位置がほぼ重なることが発掘で確認されました。
本殿横に義兼公御廟の標識を発見した時は、「おお、彼はこんなところに居たのか!」と妙に嬉しい気分になった事を覚えています (笑) 。

猪口健治
20 十二月 2021 9:52

樹齢500年と言われる巨大な御神木、その大杉がそびえ立ち、そして足利源氏発祥のゆかりの深い、この地に鎮座する八幡宮。かつて源頼朝の従兄弟にあたる足利義兼、その七代後に室町通幕府を開いた武将が足利尊氏である。
清和天皇の流れをくむ八幡太郎義家、その源氏一門を代表する足利源氏は今もこの地の誇りで、多くの人々より崇められ祀られ、八幡宮は深く厚い信仰を集めてます。

源頼親
29 五月 2021 5:57

鑁阿寺の開基足利義兼が身内の菩提のために創建した樺崎寺跡(国史跡)のなかにあります。3代目義氏がお堂を建て、八幡を勧請して義兼を合祀したことが八幡宮のはじまりと言われています。

とちぎ旅ネットより引用。

Masao
21 五月 2021 5:03

此処は足利氏発祥地と聞いて居ります。何時でしたか、この辺で国宝クラスの仏像が発見された事がマスコミ等々が取り上げて話題に成った土地柄です覚えて居られますか
場所は足利市の東北に当たります。
足利IC を出て左折しますそして一つ目の信号を左に曲がります。目印は曲がった左に道の駅の様な農産物直売場が有りますので分かると思いますよその先1〜2㎞の左手です駐車場も広いのが有りますよ山里の閑静な所でリラックスできますね入り口に社務所が御座いますのでお聞きくださいませ

木所守
21 三月 2021 10:49

初めて参拝しました。こじんまりとしているが本殿の彫刻は見事です。社務所は無人でしたが、電話連絡で御朱印お願いしたら、まもなく氏子さん?が来てくださいました。御朱印はスタンプタイプでしたが、由緒書きと共に頂きました。¥300

田中小荷
31 一月 2021 2:49

樺崎八幡宮(かばさきはちまんぐう)
主祭神 譽田別命
配祀神 源義稱命 赤土命 大己貴命 事代主命 豊城入彦命
境内社 八坂神社 琴平神社 織姫神社 厳島神社

由緒沿革
鎌倉時代の建久年間(1190~1198)に足利義兼が鑁阿寺を創建し、理真上人にこの地を寄進して、法界寺(下御堂)を建立しました。
法界寺は鑁阿寺を壇上とした奥の院で、義兼自身も晩年はここに住み念仏三昧し、正治元年(1199)に死去しました。
その子義氏は、ここに鑁阿寺の奥の院として赤御堂を建てました。これは義兼公の廟墓で、御影堂でもあります。
樺崎八幡宮は、正治元年(1199)子の義氏によって、足利義兼の入定の地に八幡神を勧請し、義兼の霊を合祀したことに由来します。
八幡宮社殿は八幡山の中腹にあり、本殿床下には「足利義兼公御廟」の墓標が立てられています。
本殿は、天和年間(1681~1684)の再建といわれ、昭和六十三年度・平成元年度の保存修理で、本来の造りであった隅木入春日造(軒唐破風)に復元しました。
法界寺は、足利将軍家の衰退とともにその庇護するところを失い、明治以降廃寺となり現在は樺崎八幡宮を残すのみですが、この地は樺崎八幡宮を含めて、足利源氏関係の遺跡として極めて貴重なものです。
(境内案内板より)

北の郷物語(その六十話)「樺崎八幡宮と大々神楽」
樺崎八幡宮は、康平六年(1063)源義家の勧請と伝えられ、樺崎寺で生入定した源姓足利氏二代義兼が合祀されて以来同氏歴代の廟所となり、鑁阿寺の奥の院に位置付けられました。
明治時代の神仏分離で樺崎八幡宮として存続が図られ、その後神社政策により合祀した赤坂宮内の示現神社の神楽殿を移築して伊勢からもたらされたと言う大々神楽十六座を氏子が奉納しました。
昭和五十六年(1981)神楽保存会が発足、平成三年(1991)に神楽殿を一新しています。
(境内案内板より)

北の郷物語(その百二十話)「樺崎菅公廟と飛梅」
菅公こと菅原道真は、荒魂の雷神格の一方、和魂の文神格も勧請されました。
明治十四年(1881)に地元有志が第十四区樺崎小学校に天神講の祠廟、菅公廟を建立、合併で北郷第三尋常小学校に移り、変遷を経て昭和三十八年(1963)、足利市立大月小学校に改称、移転した際、裏山に放置されました。
平成十八年(2006)、住民の尽力で天神信仰を重んじた源氏の氏神社の樺崎八幡宮境内に遷座し、菅公を慕い京から大宰府に飛来した梅花の飛梅伝説に因み献梅されました。
(境内案内板より)

境内社殿左側には発掘調査された足利氏御廟跡、礎石建物跡、供養等覆屋跡、多宝塔跡があります。

山根茂治
25 九月 2020 7:12

数年前にアニメでやってた「ヨスガノソラ」の舞台元になった場所なので、落ち着いた頃に私も立ち寄って来たんですが・・・
林の中を登っていくと神殿があるので、自分も声が出なかったです。

場所がかなり簡単で、「北の郷農産物直売所」の道をまっすぐ行くとこの場所にたどり着きますが・・・
この日はデジカメを持って来なかったので、風景撮影でいつか行こうと思ってます。 (;. A

JIRU
18 八月 2020 14:56

看板を見た事はあったのですが 初めて【樺崎八幡宮】さんへ行ってきました。
大きな池に緑に囲まれ、とてもホッと出来る空間で、とても良かったです。
アコーディオンの練習をされてる方も居て、更に癒やし効果抜群でした。

人が居なかった為、御朱印は…と思ったら、御朱印などの方用に電話番号が書かれていたので、電話したら対応して頂きました。
とても親切に対応して頂き、面白いお話まで聞かせて頂きました。
ぜひまた伺わせて頂きたいです。

須藤弥生
23 二月 2020 14:05

源頼朝のいとこで義兄弟の足利義兼が遠征先で見た平泉の浄土庭園に感銘を受けて造った樺崎寺の跡。広大な庭園と神社仏閣が建ち並んでいたらしいが、現存しているのは樺崎神社の本殿のみ (拝殿は最近作られたもの) 。この本殿の下には生入定した義兼が眠っている、と言われている。
近年、発掘調査や池の復元が進められているが、建物の復元は諸事情あって難しいらしい。
足利市内には、ここを含めて四ヵ所の浄土庭園があったが、すべて失なわれている。

蛇足ながら、将門伝説が残っているのは、足利市西部の鶏足寺、大手神社、大原神社と、樺崎町は子の権現。

akira
05 七月 2019 19:48

春と秋の例大祭の太々神楽は見物。
平将門伝説があるのは初耳。同じ樺崎町にある子の権現には将門の足が落ちてきたという伝説はあります。
御朱印は土日のみ対応ですが、神職ではなく氏子さんが対応しています。個人の方なので対応ができないこともあります。
整備も進み、浄土庭園もだいぶ整いました。毎年秋の文化財一世公開日には詳しい説明をしてくれるボランティアの方がいます。樺崎寺の説明や普段入れないところも見学ができます。
どこの神社でも地域の大切な場所です。それを理解できない人は参拝の資格がありません。

Takeshi
07 二月 2019 20:07

北関東自動車道の足利インターチェンジから約7~8分程度の距離に有ります。農産物直売所を左手に見ながら、信号を直進します。2019年1月現在は、交差点から先は道が細くなっています。拡幅工事は始まっていましたがまだまだの感じです。
道を進むと程なく、池や庭園、石段、神殿が見えてきます。広大な駐車場があります。 (無料です)
八幡宮は山の麓にあり、参道が旧道と思われる川を挟んだ先に延びており一の鳥居があります。
参道の左手は庭園跡の整備中です。もう少しの感が有りますが、完成まではあと、どれくらいなのでしょうか? と、考えつつ石段を上がってお参りしました。
本殿は彫刻と彩色がとても見事で、地元の皆さんの気持ちが伝わってくるような気がします。また、足利市の観光資源としての整備も着々と進んでいますので、完成したらまた伺いたいと思います。

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