古河橋
古河橋 件の口コミ
8 渡良瀬川にかかる橋で国の重要文化財に指定されている。
橋のたもとには廃工場があり、その場所には、わたらせ渓谷鐵道の前身であるかつての国鉄・足尾線の終着駅「足尾本山駅」があった。
1987年に休止となってから30年以上経過しているが、わたらせ渓谷鐵道の終着駅「間藤駅」から「足尾本山駅」までの廃線区間は、レールの一部が今でも残っている。
ただ、立入禁止の場所が多くてレールを確認することは難しくなっている。
足尾銅山の人々の往来を支えた橋です。
当時の人々の暮らしや生活を支える縁の下の力持ちのような橋だったのでしょう。
この橋から見える足尾の工場と眼下に流れる川の光景は見応えがございます。
西郷隆盛は西洋の国家像を直輸入した近代の日本には間違いがあると考えたまま西南戦争で戦死した。明治10年のことだった。ちょうどこの年、古河市兵衛は足尾銅山の経営に乗り出し、急激に生産量を増やした。
環境規制などない。銅鉱石は野焼きにされたため大量の亜硫酸ガスによる煙害が発生し、明治10年代後半にはすでに足尾の山々はハゲ山になっていった。だがそれは鉱業としては隆盛だったわけであり、多くのヒトとモノが活気をおびて動いていた。
川にかける橋が必要になり、明治18年には木造の「直利橋」がかけられたが、明治20年の大火で焼失。そこで永久橋として鉄製の「古河橋」がかけられた。明治23年すなわち田中正造が衆議院議員の初当選した年のことだった。鉄橋はドイツ人の設計によるもので、荷重30トンに耐えられるトラス構造を採用している。
橋げたの向こうにみえる山々はかつてハゲ山だったが、約1世紀半近くたってまだ十分でないとはいえ、ようやく緑が回復してきた。その回復の様子をご覧になりたいと、天皇皇后両陛下は、平成26年5月21日、渡良瀬遊水地・田中正造の直訴状をご覧になった後に足尾においでになった。
日本の近代化を支えつづけた反面とりかえしのつかない負の遺産をもたらした足尾銅山の歴史をおもう。
随分古くて雰囲気のある橋。
踏み板は木製である為、現在危険な状態です。
看板には歩道として利用みたいな事が書いてあったが、絶対渡ってはいけない。
踏み板を踏み抜いて真っ逆さまです。
渡れないのは残念ですが、現存する日本で一番古い鋼製道路橋梁はとても見応えが有ります。上弦材にH鋼を使っているのも戸手も珍しいですね。
この上に日本初の実用化された電気鉄道を敷設したそうですが、どことどこを結ぶ路線だったのでしょうか?興味がつきません。
足尾銅山に架けられた歴史ある橋
明治23年(1890年)、足尾銅山の近代化の一環として、渡良瀬川上流の松木川に架けられた古河橋。それまでの木造の橋が火事で焼失したことから、当時としては珍しい、橋材は鉄製・橋板は木製のものになりました。明治中期の道路鉄橋として原位置に現存する道路用鉄橋として、非常に価値の高い近代土木遺産とされています。その後も、道路橋として住民の方に愛されていましたが、平成5年(1993年)南側に新古河橋が架設。古河橋は立ち入り禁止となり、歴史漂う姿を見守るだけになっています。
と、日光ブランド協議会のウェブサイトにあります。
通行禁止の古河橋…行ってみた。
国鉄足尾線時代は、よく知らないが歴史を感じます。
間藤駅から徒歩で廃線跡を散策し、
辿り着いた所は足尾本山駅。
立入禁止となっておりフェンスで囲まれている。