獨鈷山 西明寺
住所 | 栃木県芳賀郡益子町益子4469 |
電話 | +81 285-72-2957 |
時間 | 09:00-16:00 |
サイト | fumon.jp |
カテゴリー | 仏教寺院, 寺院・礼拝所, 観光名所 |
評価 | 4.4 15 件の口コミ |
Saimyoji | |
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獨鈷山 西明寺 件の口コミ
15 真言宗豊山派の古刹です。
益子駅からすこし歩きますが、SLの汽笛を聴きながら、散策ながらのんびり歩くと良いです。
御朱印は、手書きの閻魔大王が描かれており素敵です。
西明寺城跡地、七福神布袋尊。という事で立ち寄りました。建物は歴史観溢れる物に感じました。屋根が何れも茅葺きとなっており、修繕補修が大変だろうし、維持していくのには歴代の住職との付き合いが良かったのだろうと想像します。
四角い竹があると聞いて行ってきましたが、虫がたくさんいて子供たち大喜びでした。かまきり、バッタ、ナナフシ、そして頭上をオニヤンマが通り過ぎました。
竹は触ればわかるって感じでした。
カフェがあって、チーズケーキがとってもとっても美味しかったです。
笑顔の閻魔さまの御朱印が貰いたくて訪れました。
当日は書き手の神職さんがお休みとのことで、事前に書いてあったものを買いました。
益子の南東で、結構山奥なので行くのが大変でしたが、ご利益ありそうなお寺でお参りできて良かったです。
お寺のホームページを見ると、300円を納めれば本堂の中を見せてくれると書いてあったので、次回行くときは是非とも見たいと思いました。お寺の周りは見渡す限り山で、室町時代の人も同じ風景を見ていたのかなと思うと感慨深いです。
参道近くの休憩所のお蕎麦も美味しゅうございました。
笑い閻魔大王の御朱印が頂けるお寺様。益子の山の中に有ります。前にも伺っているのですが、御朱印書かれる方が不在だったので2回目の訪問になりましたかなりキツイ階段の上に閻魔大王堂があり覗く事が出来ます。恐いお顔ですが、見ように依っては笑い顔にも見えます。 私、ドングリと、しいの実の区別が解らないので事務所の方に伺ったら、出て来て教えてくださいました。 今、1日20枚限定にしているから平日に行く方がいいです
御開帳は午年ですが、今年は疫病退散を祈願し年末まで御開帳しているようです。本堂内陣へ入場し間近に観音様に参拝できます (300円) 。閻魔様の御朱印が人気のようで御朱印をいただくのに時間がかかります。
内陣への参拝がとにかくおすすめ。今がチャンスです!
境内に入るのは無料ですが、お金を払って (記載時点で300円) 内陣に入られることをおすすめします。
10体ほどの仏像をじっくり拝見することができます。
厨子も間近で見られます。
今年は (2021) は秘仏も公開されています。
お寺で秘仏を見られたのは初めてです。
しかもかなり間近で。。。。。
特別拝観料を納め、本堂の仏像を見させて頂きました。
今、”秘仏”も特別に公開されているようです。
たまたまなのか、他の方もいなかったので
11体の仏像を間近に、さらに独り占めできました?!
坂東三十三観音霊場第二十番札所。
栃木県芳賀市益子にある真言宗豊山派の寺院。
737年に行基が十一面観世音菩薩を刻み安置したのが始まり。開基は紀有麻呂。
御本尊はその十一面観世音菩薩像。
現在は本堂内の国指定重要文化財の厨子の中におさめられている。
国指定重要文化財の楼門、三重塔、厨子は一見の価値があります。
本堂内の拝観には納経所で300円を納める必要がありますが、堂内の鎌倉時代の木彫仏像群は素晴らしいです。 (六観音、毘沙門天、不動明王)
紀貫之の後代、益子氏の盛衰と共にあったようです。
ひっそりと厳かに佇むお寺でした。
#独鈷山普門院西明寺 #十一面観世音菩薩 #真言宗豊山派
正式名称は【獨鈷山普門院西明寺】
笑い閻魔様の御朱印が有名のようです直書きは時間がかかるとの事で書置き希望したら以前転売があったらしく転売禁止の誓約書に住所、氏名、電話番号を書きサインして購入しました 勿論お寺自身も見所満載
室町時代からあるとのことで、こんなところにこんな歴史的なお寺がという感じです。笑い閻魔はお堂の中にあり暗くてみずらいのですが、よくみると大迫力。各建物に寄進した人の名札なのかシールのようなものが多数貼ってあり、そこは興ざめでした。
栃木県益子町にあります。
真言宗豊山派の古刹です。本尊は十一面観音で坂東三十三観音の二十番札所となつてます。
珍しいことに診療所や介護施設が併設されています。
開山は天平9年(737年)、行基創建と伝えられているそうです。
延暦年間(782年~805年)には一山12坊を数えて隆盛したと伝えられますが、平安末期の大治2年(1127年)に兵火により一山焼失。その後、建長7年(1255年)に北条時頼が七堂伽藍を復興しました。
南北朝時代、南朝方の拠点として機能した為、北朝方から攻撃目標にされ、正平6年(1351)に侵攻を受け落城、西明寺もその兵火によりまた焼失してしまいます。
応永元年(1394)に益子勝直が再興を果たし、明応元年(1492)には楼門、天文7年(1538)には益子家宗の寄進により三重塔が造営されています。
戦国時代になると庇護者の益子氏は没落し、西明寺は庇護者を失いますが、江戸時代に入ると幕府から庇護を受け、朱印地を認められています。
残念ながらご本尊、閻魔様は拝見できませんでしたが、境内には茅葺屋根の楼門や三重塔、本堂、鐘楼、閻魔堂など歴史的建築物が多く残っていますので見所が多いのでお勧めです。