宇都宮城址(城址公園) / 宇都宮城跡
住所 | 栃木県宇都宮市本丸町1−15 |
電話 | +81 28-632-2989 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.utsunomiya.tochigi.jp |
カテゴリー | 城 |
評価 | 3.7 9 件の口コミ |
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宇都宮城址(城址公園) / 宇都宮城跡 件の口コミ
9宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。別名、亀ヶ岡城(かめがおかじょう)。平安時代に藤原宗円が二荒山の南に居館を構えたのが初めである。近世・江戸時代に改修され、輪郭と梯郭形式を合わせた平城であった。本多正純の頃には天守があったといわれているが、清明台櫓を事実上の天守としていた。また、徳川将軍の日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用された。 明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発が行われたため、遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁、堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されている。
栃木県宇都宮市本丸町ににあった、関東七名城の一つで、江戸時代には、宇都宮藩の藩庁が置かれてました!
別名を亀ケ岡城と云い、輪郭悌郭複合式の城です!
平安時代末期の築城とされ、江戸時代に入り本多正純が、改修しました!
城主は、宇都宮氏ー本多氏ー奥平氏ー戸田氏と続き、1868年に廃城となりました
遺構ぶつは、土塁に石垣と大銀杏が残ってますが、清明台櫓に富士見櫓や土塁と堀・土塀は、再建されたものです!
宇都宮で河津桜を見るならここですね。
公園の外周部に河津桜が並んでおり、ソメイヨシノより一足先の3月中旬くらいに咲きます。
河津桜にはソメイヨシノとはまた違った綺麗さがありますが、あまり植えている所がないので、ここは貴重ではないでしょうか。
駐車場があって車で行きやすいし、花の見頃の時でもそこまで人が多くないのもいいですね。
高土塁に囲まれた平城、土塁上に数カ所の櫓を建てて塀を巡らせて、二箇所の多門櫓の門と枡形虎口で入城、中には城ではなく屋敷を作った、なので昔は城扱いではなかったらしい
平安時代から宇都宮氏が530年治めました、豊臣時代には奥州仕置の裁定場所として沢山の武将が集まりました、ですが仲良しだったはずの秀吉に謎のいきなり改易を申し付けられて滅亡、江戸時代前期には本多正純が今の形にして城下も整備しました、正純は幕府から言われた通り天守を造らなかったのに謀反を疑われ改易、その事が家光暗殺未遂の有名な釣り天井伝説となりました
その後は譜代大名が何度も入れ替わり徳川家の日光東照宮参拝の宿泊施設としても数多く利用されました
幕末の戊辰戦争の舞台となり建物は殆ど焼失、第二次大戦でも空襲で更に破壊されました、平成に本丸の1/4が古図面から復元されました
車の方は、おほり橋前の市役所との共通駐車場ですね、日曜訪問でしたが朝10時には満車で待ち車両あり
入場ゲートで発券されますが無料です、失くさぬ様にしましょう
水堀をおほり橋で渡り今は埋門状態の高土塁をくぐります、横に宇都宮城ものしり館があるので入館します(無料)、立体模型や釣り天井伝説のパネルなどを見てテレビの案内を見て予習しましょう
部屋の奥にエレベーターがあり土塁上まで行けます
土塁上の武者走りから塀の矢狭間を覗いて武者気分になりたかったんですが塀は改修工事中で足場とシートで隠れてました、残念です
両脇にある富士見櫓と当時は天守閣代わりだった清明台に入って景色を見ます
階段で高土塁を降りたら芝生の本丸広場です、奥に清明館があるので入館しましょう(無料)
中には宇都宮周辺の石器時代から古墳時代、江戸期の宿場町の模型や発掘物があり、テレビでは宇都宮の歴史、文化などを順に放映しています
特に大谷石の紹介は面白くて、私はこの後の予定を変更して大谷資料館に行ってしまいました
お城感、戦国感、共にあまり感じられませんでしたが、色々勉強になったので満足出来ました
写真は12月初旬です
4月は、桜が満開です。人混みが無いので安心して満喫できる。この時期は芝生の上で遊ぶ事ができますし、一年中楽しめる、広場が有ります。
今、昔のお城の姿のVR体験版が出来ます。 御城印・御城印帳も有ります。
また、宇都宮空襲展も開催中
土方歳三様が落城させたお城。なのに、一見してそれとわかる碑や説明板が見つけられませんでした。
城壁は印象的。
日曜日だったからか、駐車場を探すのに苦労しました。
関東七名城の一つ。宇都宮氏の居城。
宇都宮城釣天井事件で有名。
戊辰戦争で旧幕軍と官軍の激戦地となる。
第二次大戦後、戦後復興計画により市街地と化す。
本丸の一部を外観復元している。
Japan 100 Although it is not in the castle, it is regarded as one of the 7 Kanto castles in the Kanto region. Historically it is also playing an important factor and I can not mind. It is only a part that was restored, most of it is currently in urban area, and you can know the enormity of this castle. Both the visit fee and the parking lot are free for wallets as well as for the wallet, and the exhibition corner is surprisingly fulfilling, and it was nice to explain the Utsunomiya castle in detail, because the person in charge who explained the guide in the hall was kind, too.
明治以降完全に破壊された城跡。しかし平成になり、発掘調査の成果に基づいて復元された本丸土塁と水堀のうち約1/4ほどが公園として整備されている。土塁内部は土積みではなく空洞になっており、外観復元と言える。これは、内部が都市公園整備に際しての防災倉庫としての役割を兼ねているからで、復元整備の一つの在り方かもしれないので、マイナス判断とする要素にはしない。土塁は高く、10m近くはあるだろうか。上面の馬踏みには土塀、また2基の櫓が木造復元されている。なお、正門である清水門は北向である。これはこの城の前身が二荒山神社との関係が深いことからその位置にあるとのこと。近世以降もそのまま受け継がれているとのことだ。門は復元されず、平面表示されている。ただ、駐車場がとても少ない。休日は市役所のものも使えるようだが、イベントがあるとそこもすぐに満車になってしまうので注意が必要だ。