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勝山城址 / 勝山城跡

住所 栃木県さくら市氏家1297
電話 +81 28-686-6621
時間 00:00-24:00
カテゴリー , ハイキング コース, 観光名所
評価 4 6 件の口コミ
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勝山城址 / 勝山城跡 件の口コミ

6
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T K
03 七月 2022 20:42

1190年代に築城され、1597年に廃城になるまでの400年ほど生きていた城です。
鬼怒川に接する崖上に築城されており、なかなか壮大な堀や横矢などが整備されています。
廃城してから400年ほど経つので仕方ないですが、もう少し各所に説明板などあるといいと思います。
比較的アクセスし易い土の城なのでおすすめします。

ヤマ田太郎
01 一月 2021 0:58

城跡ウンヌンよりも本丸からの眺めが想定外の絶景でした。透き通った青空を背景に、鬼怒川越しに雪をかぶって白く輝く日光連山の威容があまりにも美しく、それだけで大満足してしまいました。あとはどうでもいい感じ(笑)

一応城について触れますと、ココは戦国時代の名族である宇都宮氏の北方の最前線で、家臣の芳賀氏が守備していました。一方、勢力拡大を図る北のライバル那須氏は鬼怒川沿いに南下を試みており、この勝山城は地理的にまさしく目の上のタンコブ。何とか無力化して南進の足掛かりにしようと何度も激しい戦闘が繰り返されました。しかし宇都宮氏はここを最後まで守りきり、陥落することはなかったのです

では那須氏の気分になって、この城の攻略を考えてみましょうか(笑)。まず西側は鬼怒川が淵となっていて接近自体が出来ません。セオリー通り北から南下して来たので北から取り付くとしましょう。そのことは守備側も想定済みで城の築かれた河岸段丘の一番段差が大きい部分(比高15メートル)が北を向いています。さらに3重の空堀と土塁が本丸との間を仕切るという鉄壁の防御で、おまけにコチラ側には突破口となる門もありません。
さて困った、こっち側からは無理そう(笑)。ふと見ると東側に二の丸の門(今は存在しません)があるではありませんか。全軍攻撃目標変更!さっき程の高低差はないしこれはイケるぞ!
ハイ、当然ながら敵軍のワナです(笑)土塁や空堀もここに誘導する様な構造になっています。その後、敵軍は門前で我が軍に大量の出血を強いると、本丸内に引き上げて行きました。
「諸君!二の丸は攻略した。あとは本丸を残すのみだ、勝利は近いぞ!」とアジってみたものの人員や武器弾薬の消耗が激しく、すぐに本丸攻略にかかる余力はありません。しかも本丸の土塁は巨大で、二の丸とは比べ物にならないじゃないですか!。特に大手門は櫓を構えて、正面だけではなく横からも打撃を与えられる構造(横矢がかり)になっていて近づくだけで危険です。躊躇しているうちに、知らせが入ります。
「なに?宇都宮本軍の増援部隊があと半日の距離まで迫っているだと!? 、イカンここまで時間を取られ過ぎた。退路を塞がれて袋のネズミになっちまう、口惜しいが体勢を整えて出直しだッ。すぐに撤退するぞ、急げ!」
二の丸の門は初めからこちらを消耗させ時間を稼ぐために、攻めやすく作ってあった訳ですね。両軍が同程度の総合戦力を持つものとして、当時の戦闘をこのように想像してみましたが、当たらずしも遠からずといったところだと思います。
ただ想像と違い現実の勝山城は、首のない両軍の血まみれの兵士の死体がゴロゴロ周辺に転がっていて地獄絵図そのものだった事でしょう。この時代に生まれなくて本当に良かった。(笑)

藤井稔
14 八月 2020 1:31

ミュージアムと仏像、縄文時代の遺構の展示、そして城跡の地形を活かした庭園風の展示と、見どころたっぷりです。
特に搦手門の所から見る鬼怒川の流れは、奥に見える羽黒山、日光・那須方面の山々と相まって、絶景と呼ぶにふさわしい姿を見せてくれました。
個人的な感想ですが、ベンチがたくさんあったり、東屋の作りがモダンだったりと、センス良くまとめて有るのがとても印象に残りました。

佐々木宏
29 七月 2020 10:45

常時綺麗に手入れのされている城址公園でしょう、訪城時も手入れの方々が仕事をされていました。堀の深さ、断崖から見る眺望、縄張りの広さ、城好きには満喫できる場所でしょう。樹々に名札がありそれを辿って二人で歩くのもなかなかよかったです。

turari
31 五月 2020 7:35

子供達が小さい頃ボーイスカウトの活動場所でした。広々とした、本丸跡や眼下に広がる鬼怒川が素敵です。
昔は、夜はホントに怖いところでしたが、久し振りに行ってみると、木々の緑に癒やされました。
散歩にいいです。

山田伝太郎
21 一月 2020 1:41

勝山城跡が豊臣秀吉の関東仕置で廃城になってしまい、その後、城が再建されることなく現在に至っています。そのため当時どんな城が建っていたのかがわからないのが、とても残念です。土塁後だけが当時の城の様子を語ってくれます。また城址から見える鬼怒川の流れは激流で、まさに鬼が怒る川のようです。

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