下野国分寺跡
住所 | 栃木県下野市国分寺868 |
電話 | +81 285-32-6105 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.shimotsuke.lg.jp/0393/info-0000000453-0.html |
カテゴリー | 史跡, 仏教寺院, 観光名所 |
評価 | 4.2 5 件の口コミ |
Site of Shimotsuke Provincial Temple | |
最寄りの枝 |
|
近くの同様の会社
|
下野国分寺跡 件の口コミ
5 古墳時代から天平年間にかけての、東日本の重要な拠点であったことがわかります。
今は建物がありませんか、礎石や伽藍から当時の繁栄がうかがわれます。ウェブ上て、VRを使って建物が再現されています。
遊歩道が整備されているため、無料駐車場に停めて徒歩でまわるといいようです。
聖武天皇の大事業の片鱗。
聖武天皇が全国の疫病を鎮める為に建てた寺院の一つであり、コロナ禍の今とも関係があるスポットになります。
国分寺の学術的価値について疑問を呈されている口コミがありますので、古代史を専攻したものから言わせていただきますと、学術的価値は極めて大きいです。
しかし、国分寺は法隆寺や東大寺のように史跡単体としての価値というよりは聖武天皇が天平の疫病大流行を受け、ほぼ平行して全国的な建立事業を行ったという部分にフォーカスが当てられています。
要するに「全国の国分寺・国分尼寺群跡」という無形遺産的な価値こそが国分寺の学術的価値になるのです。
もちろん全国という事で律制国毎に一箇所ずつ国分寺・国分尼寺が置かれたという訳ですが、その所在地すら比定されていない場所も多く、仮に所在地が判明していても荒れ放題の国分寺跡は多いです。
国分寺・国分寺尼跡共に整備状況も良好。今でこそ当時を伺えるものはありませんが、併設された風土記の丘資料館には復元模型などがあり、そちらを事前に訪問してこそ真価があります。天平の人々がどのように疫病と対峙したか思いを馳せるのも良いのかもしれません。
各建屋の礎石から、往時の伽藍配置が解明されたようです。
かなり大きな寺院規模であったと思われます。
さぞや建立当時の人々の目には、凄く驚異を与えたのではないでしょうか。
仏教に対する畏怖の念を抱いたかもしれません。
「しもつけ風土記の丘資料館」を先に見て、予備知識を持ってから、伽藍跡をご覧になる事をお勧めします。
「んー、またおま系?」
奈良時代における一国一国分寺の政策により建立された、下野国における国分寺跡地であり、国指定史跡です。
発掘調査の結果、金堂や南大門とそれを囲む回廊などの伽藍や、その脇にそびえ立つ七重塔の礎石などが判明しています。
で、現状は芝生の公園として整備されています。
国分寺って全国に60以上あるのですが、正直、整備状況はどこも似たような感じであり、最近は「またおま系(また、お前か) 」の印象が拭えません。
律令時代のおける中央集権の弊害なのか、どこも設計図が同じなんでしょうか、画一的で似たような作りばかりなんです。
同時代の廃寺のほうが由緒や人物、建物の配置なども含めてバラエティに富んでおり、訪れた際の楽しみはあるように感じます。
日本100名城のスタンプラリーはそれなりに流行ってますが、国分寺コンプリートを聞かないのは、国分寺はどこも同じような伽藍配置、現在の保存整備状況も似たりよったりで飽きちゃうんじないか、そんな理由かもしれません。
しかし、ほぼ全国どこの国分寺&国分尼寺も国史跡、もしくは特別史跡になってますが、そんなに学術的価値ってあるのでしょうか?
史跡指定の日付を見ると、殆ど(もしかしたら全て?)が大正から戦前にかけて史跡指定されています。
これって、国分寺(と国分尼寺)建築は聖武天皇直々の詔だったから、戦前の皇国史観においてありがたがってただけなのでは?
すみません。特に下野国分寺をディスるつもりは全く無いのですが、いろいろ巡っていると、国分寺全体に対してそんな印象を持ってしまいました。