下之宮(ニ荒山神社攝社)
住所 | 栃木県宇都宮市馬場通り3丁目1 |
電話 | +81 28-622-5271 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | futaarayamajinja.jp |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 3.6 7 件の口コミ |
Shimonomiya | |
最寄りの枝 初辰稲荷神社 — 栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1−1 |
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下之宮(ニ荒山神社攝社) 件の口コミ
7現在の二荒山神社の元の場所に鎮座する由緒ある古社です。昔は現在の二荒山神社から南に尾根が続いていてパルコあたりが盛り上がっていました。「池辺郷荒尾崎」別名を「小寺峯」と呼ばれていました。北西に鏡ヶ池が広がっていました。二荒山神社の創建時期は、崇神天皇の皇子の主祭神である豊城入彦命がここに、大和 (奈良県) の大神神社 (三輪山) の大物主命を勧請したという説によれば推定2000年ほど前、豊城入彦命の子孫の下野国造の奈良別王による創建説によると1600年ほど前の古墳時代の創建となります。 承和五年 (838年) に北峯の「臼が峯」に遷座し「宇都宮大明神」と称したのが、現在の二荒山神社です。これにより「臼が峯」は「明神山」と呼ばれるようになりました。発祥のこの地はそのまま「下之宮」として残されて、宇都宮城から見て二荒山神社参道、明神馬場の北の先右手にありましたが、宇都宮藩主となった本多正純公が二つの峯の間に切り通しで削って、東西に大通りを造成しました。1919年に宇都宮藩主となった正純公は、1622年に将軍秀忠暗殺を計画した「釣天井事件」で失脚しますが、本丸石垣を幕府に無断で修理したこと、抜け穴を掘ったことも原因だったそうです。つまり、大通りは1620年前後に造成したことになります。東京オリンピックを控えた昭和36年 (1961年) の都市計画で、残っていた小さな丘だった小寺峯も平らに削られて、小ぶりの社殿が新築されました。 平成9年 (1995年) に都市再開発により、パルコ西側にコンクリート造りで、現在の本殿が改築、拝殿が新築されました。
宇都宮駅前の大通りに在る神社です
二新山神社の大鳥居がある正面の真向かいに在る新しさ溢れる綺麗な神社さんですね、お隣さんは交番がありますた
由来とか歴史とかは私には正直な所ど~でもいいんですよ、見てるのが好きなだけ
鳥居の質感と形が良かった
以上
宇都宮二荒山神社の年間祭事に、12月15日 冬渡祭 (神輿渡御) 1月15日 春渡祭 (神輿渡御) があります。その起源と考えられる神事に言及した研究論文がありますのでご紹介します。 (「おたりや」日光山内から徳次郎に移された神社のご神体はいつの頃か宇都宮明神にまた移されることになりました。現在の宇都宮二荒山神社の摂社として祀られる「下の宮」がそれです。かつて荒尾崎と呼ばれていた丘陵で徳次郎明神のそばを流れ下った田川が荒尾崎の眼下に望めました。ご神体を移す神事は師走12月14日の夜、徳次郎の氏子は「おんじゃったりや、おんじゃったりや」と掛け声を繰り返しながら宇都宮への道を練り歩き、宇都宮明神の氏子たちも「おんじゃったりや」と喚声に和して15日の暁にご神体を迎えました。「おたりや」は「おんじゃったりや」の転じたものといわれ「冬渡祭」「春渡祭」と書いて「おたりや」と呼んでいます。宇都宮二荒山神社では12月15日を「大渡祭」1月15日を「春渡祭」と書いていずれも「おたりや」と呼びならわした祭礼を営みます。徳次郎明神の「おたりや」は、12月14日) [出典: 諏訪信仰の発生と展開 (人間社文庫) 日光地方の千鹿頭神 (安久井竹次郎) P393~394]