西教寺
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2 しゃむ姫 (志やむ姫) 。文禄2年 (1593年) 出生。母は徳川家康公の伯母 矢矧の方の姪。家康公の寵愛を得て身籠ったのち、家康公の旗本、水野重仲 (重央) (家康公の実母於大の方の甥) に嫁し、その年に、しゃむ姫を産んだといい、実母、養父ともに, 家康公のいとこにあたる。養育は
矢矧の方が担当したと言われている。水野重仲は、紀州家家老になる。下野黒羽藩2代藩主大関政増の正室となり、3代藩主高増と女子2人を産んだ。家康公は、しゃむ姫の嫁入り道具として、葵紋入りの短刀、茶碗などを持たせており、初産の際には、葵紋入りの産着を贈ったと言われている。元和2年 (1616年) 、夫政増が26歳の若さで病没。以後しゃむ姫は,持仏の阿弥陀如来を本尊として、長松院法王寺を建立し、信仰に支えられて、約半世紀を生き, 寛文2年 (1662年) 、70歳で没。法王寺に葬られる (しゃむ姫は浄土宗を信仰していたので、曹洞宗の大関家の菩提寺大雄寺ではなく、法王寺に葬られたらしい) 。
明治初期の廃仏毀釈で、法王寺は廃寺となり、しゃむ姫は、大雄寺に改葬された。しゃむ姫の持仏の阿弥陀如来は、西教寺の本尊になっている。西教寺は、浄土真宗のお寺。その本尊を拝見したくて、何度も迷った後、声を掛けたところ、住職から、快く、拝見させて頂けた。念持仏だと思っていたので、小さいものかと思ったが、本尊が相応しいほど、大きな阿弥陀様でした。ありがたく拝観させて頂きました。境内には、かさねとは 八重撫子の 名なるべし 曽良 の句碑もあります。阿弥陀如来は、20年ほど前に,クリ−ニングしたとのことでした。それまでは, 黒かったらしいです。浄土宗は、阿弥陀様が、前屈みで、舟後光。浄土真宗は、前屈みではなく、後光ということでした。