接骨木の一里塚
住所 | 栃木県那須塩原市接骨木 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.nasushiobara.lg.jp |
カテゴリー | 史跡 |
評価 | 3.1 7 件の口コミ |
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接骨木の一里塚 件の口コミ
7 かつて会津東街道にあった一対の一里塚。昭和四十五年(1970)に、旧塩原町の文化財に指定されている。片方の塚には、杉(落雷の跡が、痛々しく残っているが、生命感にあふれている)、もう片方の塚には、桜が植えられている。会津中街道の一里塚といわれていたが、道筋を考えると、疑問点があるらしい。
会津中街道は、天和三年(1683)の日光大地震により、葛老山が崩れ、鬼怒川支流の男鹿川が、土砂で堰き止められ、天然ダムの五十里湖が形成され、通行不能になった会津西街道の代替として、会津三代藩主松平正容(まさかた)によって整備された。氏家宿から矢板宿、板室宿などを経て、三斗小屋宿、大峠(標高1468メートル)を越えて、松川宿を経て、会津若松に至る街道で、参勤交代や会津藩の廻米輸送に利用された。しかし、会津西街道が再整備されると、次第に利用されなくなった。
道路を挟み一対となっています。
西側(千本松牧場側)の住所が「那須塩原市接骨木624-14」とのことですので、ナビで訪問される方はこの住所でお試しください。
とは言え、建物ではないので、ピンポイントで指示されないような気もするし。
時間によりますが、大型が通るなど、少し交通量が多い場所ですので、お立ち寄りの際にはお気を付けて。
この一里塚は一般県道折戸西那須野線沿いにあって、旧奥州街道や会津中街道からははずれる。ただし会津中街道の「横林の一里塚」からほぼ1里(約3.93キロメートル)西那須野地区よりの位置にある。
接骨木の一里塚のわきの道は横林・接骨木・石林を経て大田原に通じていた旧道で、石林に原街道、大田原に旧奥州街道が通じていたことから会津中街道の枝道的存在だったと考えられる。ただ、今のところ接骨木と大田原間にはこの種の一里塚は確認されていない。