吾妻古墳
住所 | Mibu, Shimotsuga District, Tochigi 321-0221 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.6 7 件の口コミ |
Azuma Kofun | |
近くの同様の会社
|
吾妻古墳 件の口コミ
7 墳丘が二段に造られていて
全長127m
・周溝を含む
総全長は162mくらいで
栃木県内最大の前方後円墳です。
石室は前方部先端にあり
奥壁と側壁は、巨大な一枚岩で
玄室は、玄武石質の緑色石で
造られていて、川原石を積み上げて造った前室になっています。
内側の石表面は
赤色の顔料がぬられた横穴式です。
墳丘からは・円筒埴輪・朝顔形埴輪・家埴輪・盾埴輪などが出土していて
石室からは、銀装の刀子、金銅製の帯金具、ガラス玉など
下毛野国にふさわしくない遺物がでているそうです。
構築方法、出土品などから
6世紀後半あたりに
築かれたと考えられて
下野型古墳とゆう呼称もあるようですよ。
この付近は
豊城入彦命が東国統治を命じられて、毛野国ができた地域ですよね。
豊城入彦命の四世孫【奈良別】
が、下毛野国造に任じられたと伝わり
本拠地は下野国で
この子孫は、下毛野古麻呂とゆう人物で、この方は奴隷解放を
奏上して許可されたり、藤原不比等などと一緒に、大宝令を選定した人物なんですって。
ちなみに
壬生とゆう地名は
古代は
皇子の養育係の部所で
【壬生部】
それから
江戸時代の壬生藩の鳥居氏が
開口して
玄門や、天井石を、
庭石に使うために持ってっちゃったみたい (^^;
玄門、天井石は
壬生城跡の敷地内にあります。
個人的に古墳とか好きで色々各地を見回りましたが栃木県内で県内最大の規模を誇るこの古墳は航空写真を見ずにそして徒歩ではなく車で回った上、工場裏手の狭い道を単純に一周したかに見えた。なのでさほど広大な規模ではないかに見えた。大変お見逸れしましたー。実際に場所的には雑木林に囲まれた非常に狭い道が先にあったりする場所にあります。そこがまた渋いです。場所的・古墳のタイプ的にも個人的に結構好きですね。
大形の前方後円墳。まめに手入れされているようで歩きやすいですが、斜面がかなり急なので靴はそれなりのものが必要(ひっつきむし対策も兼ねてゴム長がお勧め)。大雨の後は周濠が湛水して入れなくなることがあり、昔は水の溜まった濠で泳いだりできたそうです。周辺道路が細い割に大型ダンプがバンバン通りますが、車は入口のところに普通車1台なら何とか止められると思います。
何人かの方が写真を上げている石室の天井石と玄門石は、今は古墳のところにはありません。明治時代の初めに上稲葉村赤御堂に移され、長い間農地のど真ん中に立っていましたが、今は壬生町城址公園にあります。この辺りの歴史的経緯も気になるところ。