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下野薬師寺跡

住所 栃木県下野市薬師寺
電話 +81 285-32-6105
時間 00:00-24:00
サイト www.city.shimotsuke.lg.jp/0393/info-0000000641-6.html
カテゴリー 史跡, 観光名所
評価 4.1 7 件の口コミ
最寄りの枝
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下野薬師寺跡 件の口コミ

7
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M USUI
13 四月 2022 10:58

この地が歴史の街として有名なわけでもなく、当時の建築物が再建もされてないので訪れる人もあまりいませんが、歴史的事実と、わずかに残る跡を見ると、何か特別な気持ちが湧いてでてくるものでした。

当時の様子を垣間見るためにアプリが用意されていますので、スマホの画面でVRを使って再現してみるのもいいと思います。

駐車場は歴史館にとめてそこから少し東に歩いてください。

西山智
19 三月 2022 20:35

歴史館に駐車場があります、9〜17時まで開館していました、200m先に薬師寺跡があります、あとは画像がありますので確認されて下さい。その先裏手には薬師寺より前に建造された御鷲山古墳もあり少し散歩がてらに見学可能です。

コトバンクより抜粋
栃木県下野 (しもつけ) 市薬師寺にある古代東国有数の官寺跡。奈良時代には日本三戒壇の一がここに置かれ、僧道鏡 (どうきょう) の流配寺としても有名。『続日本紀 (しょくにほんぎ) 』などわが国の正史にも寺名が記されるが、創建年代は天智 (てんじ) ・天武 (てんむ) ・文武 (もんむ) 朝期など諸説があり不詳。しかし、1966年(昭和41)から71年まで6次の発掘が実施され、大和 (やまと) 川原寺 (かわらでら) 系の八葉複弁蓮華文 (れんげもん) や重弧 (じゅうこ) 文の優美な軒瓦 (のきがわら) が出土した。これによって天武朝期(673~686)ごろの創建説が有力となる。四至は塀によって画され、東西252メートル、南北340メートル強。東・西辺の中間には門が置かれ、やや西に寄った中軸線上に南門、中門、金堂、講堂が直線的に並び、中門と講堂は回廊で結ぶ。東塔は回廊の外に置かれる。回廊の正面幅105メートル(350尺)、講堂と中門の心心距離96.9メートル(323尺)など数値が示す規模は地方寺院としては大きく、正史の記載を裏づける。主要堂宇跡の現況は安国寺の境内となっている。

ぼるやんぐ
26 五月 2021 12:23

日本史の授業で道鏡が島流しを食らってここ栃木の下野薬師寺に送られたという話を聞いてどんなものかとGoogleで調べてみました。素晴らしいお寺ですね、運転免許取ったら大学生の内に行ってみたいです。道鏡は称徳天皇 (聖武天皇) の娘を亡くし政権運営での立場を無くしてここに流されたらしいですね。

R K
14 四月 2021 7:00

当寺は東大寺、観世音寺と合わせて三戒壇の一つ。往時の建築物こそないですが、日本史に必ず登場する孝謙天皇(重祚して称徳天皇)の側近、弓削道教が太政大臣禅師から別当に左遷された場所として有名です。間違いなく奈良時代から存在している寺です。基壇や礎石が往時の反映を物語っています。寺の近くに資料館があり、発掘された瓦等が展示されています。鎮護国家仏教政策、国分寺建立の詔など、歴史で学んだ記憶が蘇る良い場所です。

塚原勝
17 三月 2021 8:28

時期が早かったので、一部しか咲いてなかった。満開の時はすごくきれいだと思います。
道が想像よりは狭かったですが、自治医大方面から来るときちんと道路は整備されています。長閑な雰囲気で癒されます。

橋本勇一
22 九月 2020 12:22

下野薬師寺跡を訪問する際には、先ずは少し離れた場所にある資料館に立ち寄った方がイイです。駐車場も完備されてますし、入館無料で薬師寺の歴史を知る事が出来ます。
今でも同名の下野薬師寺がこじんまりと現存していますが、かつての薬師寺ははるかに大きな寺域を持っていた巨体な寺院だったとの事です。 (ちなみに資料館の場所まで薬師寺敷地だったとの事です)
今では回廊が一部だけ復元されていますが、それでも天平文化の栄華を感じられます。
ちなみに薬師寺は天平当時に日本三戒檀と呼ばれた、日本に三ヶ所しか無かった僧侶になる為の試験の寺だったとの事です。 (東日本では唯一なので興隆を誇っていたのだと思います)

Kanae
05 三月 2020 10:54

梅の花が見頃です。とても良い香りでした

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