海潮寺
海潮寺 件の口コミ
6 親戚の墓参で立ち寄りました。まるで雑草天国で、墓地は荒れ放題でした。敷地内数カ所に「供物は各自で持ち帰る」と書いてあり、寺は管理しないことを宣言していました。多分檀家の皆さんから幾許かの管理費を徴収しているのだろうが、これでは放置のように見えました。ご先祖様も居心地が悪いことでしょう。
とても狭い迷路のような中、墓石を探していると住職と思しき方がこちらを遠くからじっと目も離さず監視しているように見えました。私が寺を離れるまでじっと見ていました。何か問題があるのなら、一声かけて下されば良いのにと感じました。
私の勘違いならいいのですが。
境内, 墓地は雑草だらけ、お花が枯れてもそのまま、クモの巣も張っている。県の重文の山門、崩れそう。真岡で一番格上のお寺と聴いていますがビックリします。
おおっ、あれは
田町通り (県道45号線) から大内写真館で右折し、行屋川にかかる橋を渡ると、大谷石瓦葺 (かわらぶき) が印象深い「山門 (楼門) 」 (栃木県指定重要文化財) が迎えてくれる、曹洞宗の「梵音山真寺海潮寺」が正式名称。
2021年9月20日 (月) に真岡市の街歩きで訪れた。
「とちぎ旅ネット」のホームページには、以下のように紹介されている。
『室町時代からの芳賀氏の菩提寺。主家である宇都宮氏が改易されたため、芳賀氏も所領没収となり、海潮寺は庇護者を失ました。一時衰退しましたが、江戸三代将軍徳川家光より20石の朱印状を受け取ることとなりました。境内にある山門は文化3年(1806年)に建立された古建築物で三間三戸の八脚楼門、入母屋、大谷石瓦葺で、特に大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく貴重な存在として栃木県指定重要文化財に指定されています。』
入り口の案内板には、以下のように記されている。
『海潮寺 真岡市田町
曹洞宗で梵音山真寺と称し、本尊は十一面観音である。
開山には宇都宮成高寺四世 (実質は二世) の天英祥貞が招かれて、実際の運営に当たったのは久室栄昌大和尚であったとされる。
創建は永正七年 (1510) 頃で、建立した場所は大田和村吹上 (現在の真岡市堀内) で、寺名を宝珠庵という。
大永年代 (1521~27) の初めに現在地に移転し、寺名も海に改められた。
海潮寺成立以降、芳賀氏の菩提寺として保護を受けていたが、慶長二年 (1597) 豊臣秀吉に芳賀氏の所領が没収され、 御家再興を願い羽黒山 (出羽神社) を頼り離散、その保護者を失った。
しかし、慶安元年 (1646) に将軍家光より、朱印字として二〇石の寺領を認められ、また寛文十一年 (1671) には稲葉正則 (老中) からも寺領四石を免税地として認められている。
当寺には、県指定文化財、絹本著色芳賀揮可人道高名像、海潮寺文書 (十四通) そして屋根瓦に大谷石を用いた特色ある山門がある。また、竹垣君政碑と御霊屋が真岡市指定文化財となっている。
真岡市観光協会』
海潮寺の文化財
・ 海潮寺山門(楼門)-文化3年-栃木県指定重要文化財
・ 芳賀禅可入道高名像-室町, 縦61.5㎝, 横34.5㎝-栃木県指定重要文化財
・ 海潮寺文書-室町時代(芳賀氏関係が多い)-栃木県指定重要文化財
・ 海潮寺御霊屋-文化年間(1804~1818)-真岡市指定有形文化財
・ 竹垣君徳政碑-真岡代官竹垣直温の徳を讃えた石碑-真岡市指定文化財