大田原城跡
住所 | 栃木県大田原市城山2丁目 |
電話 | +81 287-98-3768 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082778963 |
カテゴリー | 城, 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.6 9 件の口コミ |
Ōtawara Castle Ruins | |
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大田原城跡 件の口コミ
9 2023/3/26 (日) 今年は桜まつりが開催されています。あいにくの天気ですが、桜は咲き始めています 早朝なので、人は私しかいませんでした️
小雨のなかですが、桜と鳥の鳴き声が
良い空気感ですこれからが見頃となります
大田原氏の城で現在は龍城公園になっています。一見中世城郭ですが明治まで存続しており、ひろ~い本丸を高い土塁が取り巻いています。比較的よく残されており二の丸や北曲輪、三日月堀なども見れます。
現在は、それ程ひろくないので、地元のお年寄りの散歩コースになっているようです。昔の縄張りを見るとかなり広く、周りに水堀が張り巡らしてあったようです。天守跡から見渡しても、町並みに変わっていて、無料駐車場の縁に三日月堀の跡があるだけで、大きな堀跡は多分あの辺りかな、相当大きい城だったなあっと想像するくらいしかないです。
大田原城跡です。現在は城跡であり建物の類は1つもない城跡公園になっています。石碑や案内板も破損している所が多く管理は今一つ。どちらかといえば桜や紅葉の景観公園としての立ち位置です。
桜の時期は天守閣跡は桜のトンネルになり、夜にはライトアップもされます。ただし知名度が低いためか、熱心に広報活動してないせいか、人は少ないです。その分、穴場とも言えます。
城跡の説明看板や所々にある石碑など劣化しています。 (石碑に掘られた文章が読めない物もある) 壊れかけた遊歩道の柵もロープが使われており、これらを直して欲しいと訪れる度に思います。
龍城公園として保存されています。
建造物は何ひとつありませんが、土塁や堀の跡がわかりやすく残っています。
公園内の案内看板も石碑で設置されていました。
桜の名所とのことで、駐車場も比較的広く訪問しやすいです。
諸般事情で離れるタイミングを逃し続け3時間以上居座る羽目になってしまったものの…月並みながら「何もしないで居心地良く過ごす場所」としての最適解を備えた場所。町並みを見下ろすだけで何だか気持ちが軽くなったようなプラセボ効果。
城主の大田原氏は、もともと那須氏の部下でしたが、小田原征伐や関ヶ原の功績によって近世大名に成り上がったもののようです。特に関ヶ原の際の対上杉 (会津) 戦では、黒羽城の大関氏と共に最重要防衛ラインを担っています。
当時は城主の住居と政庁がありましたが、現在は市民の憩いの場として利用されています。土塁の上には散歩道が整備されていて、犬の散歩をしている人などがいました。当時は築地塀が張り巡らされていたところですが、現在は桜の木で囲われています。春は、さぞ綺麗なことでしょう。
この城のおもしろいところは、蛇尾川の河川敷と一体になっているところです。今は埋め立てられてしまっていますが、川から城内に水堀が引き入れられていたので、水運も利用していたのではないでしょうか。
大田原藩は一万二千石ということで小さめの藩ですが、城はかなり立派でした。奥州街道をすぐ西に抱えた交通の要衝で、人の往来も多く、蛇尾川の水運も利用でき、財政的には潤っていたのかもしれません。
すぐ東隣にある黒羽藩は一万八千石と大田原藩より大きいのですが、両藩のライバル関係がどのような感じだったのか、お互いに気にしていなかったのか。少し興味があるところです。