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日光東照宮五重塔

住所 栃木県日光市山内2301
電話 +81 288-54-0560
時間 08:00-16:00
サイト www.toshogu.jp/blog/2013/03/post-8.html
カテゴリー 寺院・礼拝所, 仏教寺院, 神社, 観光名所
評価 4.4 25 件の口コミ
Five-storied Pagoda (Gojunoto)
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日光東照宮五重塔 件の口コミ

25
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Masazumi
14 八月 2023 18:15

2023年8月7日に訪問。
今回は時間がなかったため外観のみ見学。
周囲には干支の彫刻があります。
拝観料300円で内部の心柱を見ることができるそうです。

久能山東照宮にも五重塔がありましたが、神仏分離で破却されています。こちらは1818年に再建されたまま今に至るようです。

Japan
13 八月 2022 23:59

とても派手でカラフルな五重塔。
現在の塔は1818年に再建されたもので築200年ほど。全てが装飾という感じ。
地面に接することなく浮いた状態で吊られている心柱が有料で公開されていました。軒下の実際に浮いている部分も見ることができます。

安藤俊幸
06 六月 2022 8:23

参道を進んで石の大鳥居の先、左手に聳え立つ高さ36mの「五重塔」、9~10階建ビルと同じ高さ、過去の大きな地震にも「吊られた心柱」で耐えた、江戸時代の木造建築技術の凄さ
近くで拝見すると全体的に朱色を基調に金色の金物細工、色彩豊かな彫刻と組み木、御本社に向かう表門入る前に参拝者を圧倒します、国指定の重要文化財

1650年/慶安3年に若狭小浜藩/初代藩主酒井忠勝の寄進…「酒井忠勝」3代家光&4代家綱の重臣 (老中・大老)
1815年落雷焼失、小浜藩10代藩主/酒井忠進が忠勝の意志を引継ぎ1818年に再建、それが現在の五重塔、敢えて再建した徳川譜代『酒井雅楽頭家』の心意気

AKIRU
03 六月 2022 5:10

1818年、小浜藩主の酒井忠勝によって奉納建立されました。

この五重塔は、建立依頼地震で倒壊したことはありません。中心の心柱が10㎝ほど浮いているからです。土台と固定されていません。心柱の働きは支えることではなく、建物全体のバランスを保つことだそうです。

一番上の梁は斜めになっています。未完成で未来永劫繁栄が続くようにという願いを込めて。

彫刻に虎がいる。

M. T
24 二月 2022 12:27

東照宮五重塔の免震構造はスカイツリーにも採用されています。
四重目から柱が吊るされていています、何故四重目からと言うと屋根の重みで五重塔が縮んだとき柱が天井を突き抜けてしまわないようにだそう。

dora
02 二月 2022 16:27

石鳥居【重要文化財】を過ぎて、直ぐ左側にあるのが五重塔【重要文化財】になります、参拝料300円で内部を見る事も出来ますよ。 (その際にクリアファイルを貰えますが、袋とか付いてこないので、ポケットに丸めて入れてると、いつの間にか無くなってるよね…)
詳細は他の方が書いてるので省きますが、四方に干支の見事な彫刻、内部の説明等もスタッフの方から聴くことが出来るので、一度は見る価値あるかな〜 (塔の内部だけは撮影禁止!)

中原悟
18 一月 2022 6:08

日光東照宮の最初の五重塔は、慶安3年(1650)に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進したものでしたが、文化12年(1815)に焼失しました。その後、文政元年(1818)に十代藩主酒井忠進が再建したのが現在の五重塔です。
高さは36m。極彩色の日本一華麗な五重塔で、初層軒下には富田宿(現大平町)の名工 後藤正秀が手がけた十二支の彫刻があります。また、初層内部にも漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施されています。
塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いています。これは、時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないよう、江戸時代に考え出された工法です。
こうした工法が可能であったのは、五重塔の心柱が構造上塔身から独立して、先端の相輪だけを支えているためですが、一方で、そのように塔身と分離した心柱は、免震の機能を果たすとも考えられてきました。東京スカイツリーのデザイン監修者である元東京藝術大学学長 澄川喜一氏によれば、この五重塔の免震機能はスカイツリーの制振システム(心柱制振)にも応用されたといいます。

h nana
27 十二月 2021 3:50

日光東照宮の五重塔は【重要文化財】

五重塔の高さは36メートルあり、
特徴でもある「心柱・屋根」。
なんと3.11の東日本大震災の際も
損害がないほど丈夫且つ
精密に作られた建物なのです。
その理由として一つは屋根から
ぶらぶらと吊るされている心柱です。
この建築様式は、東京スカイツリーでも
採用されているそうです。
また東京スカイツリーの高さは五
重塔の高さと標高を合わせた高さが一緒の
634メートルとされ多くの共通点があり
不思議ですね!

阿部聖一
16 十二月 2021 10:19

日光東照宮の、入り口の左手にそびえ立つ「五重塔」

鮮やかな朱色の塔と、緑の木々のマッチングは

離れてみたり、近づいて見上げてみたり、飽きる事無く眺めていられますね。 (笑)

(3年10月24日)

たくみ
01 九月 2021 2:58

色彩鮮やかな五重塔です。

そして構造は「心柱・屋根」で屋根から心柱がぶらぶらと吊るされいるのです。
これは地震に強く3.11東日本大震災でも被害がないそうです。

amsang04
04 五月 2021 4:43

一人旅で2020年10月下旬に初めて行きました。

大した予習も無しに行ったので五重塔の存在は現地で初めて知りました。

これまで他の五重塔は見たことありますが、
HPに「極彩色の日本一華麗な五重塔」とあり
まさにその通りといった感じです。

重要文化財とのことですが後世に残す十二分に価値ある建造物です。

清治齊藤
14 四月 2021 16:30

五重塔の真柱が公開されてました。この真柱が後のスカイツリーに応用されているんですね。ここの真柱は地面に乗っかっていません。10センチ程浮かんでいるとのことです。吊り下げ型の真柱らしいです。真柱は金色で眩い限りです。最下層の軒下に干支が描かれてました。全部取れなかったのが悔しいです。

kinoshita
24 二月 2021 8:12

日光東照宮 の 五重塔
酒井忠勝 が奉納した五重塔
下から地・水・火・風・空の5つの層を表す!
四方に干支が3つずつあり、正面の干支が右端 虎(家康)、真中 兎(秀忠)、左端 辰(家光)を表すそうです!

近藤信朗
08 十二月 2020 6:36

1層目室内金色。真ん中の台の床は畳。金色の心柱まわり4隅に仏像。仏像は輪王寺のものだそう。2層目以上は床板も天井板もなく白木のまま。内部写真撮影禁止。入口横に監視兼説明をしてくれる人がいます。入場券買うとクリアファイルもらえます。

藤森正
16 三月 2020 15:43

何年か振りに東照宮に来ましたテレビで5重塔の説明をしていました中に入り見学をして拝観受付所に入り説明のイヤーポンを借り説明を聞きながら見てきました新しい発見が色々有りました有難うございました。

山田伝太郎
22 二月 2020 5:48

日光東照宮の五重塔は正門を入ってすぐの左側の塔です。
 日光東照宮の最初の五重塔は、1650年に初代若狭小浜藩主の酒井忠勝が寄進しました。
 しかし、1815年に焼失しました。
 二代目は3年後の1818年に十代藩主酒井忠進が再建しましたた。それが今の五重塔です。
 高さは36mもあります。ファーストガンダムは18mになります。なんとガンダムの2倍も大きいのです!
 ところで酒井忠勝って誰?となにますよね。酒井氏(さかいし)は、日本の氏族のひとつ。三河国の在地領主から、徳川政権下で譜代大名となった氏族です。徳川四天王と言われた酒井忠次の孫が忠勝です。
 昔からの家康の家臣ということですね。酒井忠次といえば信長の野望をプレイした人ならばわかると思いますが、内政よし、戦っても良しのオールマイティキャラです。本多忠勝だと内政はやや弱いので、武力のみとなっていしまいますね。
 ところでもし、今、五重塔が焼失したらどうなるのか? 安心してください。酒井忠勝の子孫がしっかりと大物になっています。19代目の忠順さんが松岡産業という会社の社長さんをしています。もし何かあった時には、19代目が中心となって再建してくれることでしょう。焼失しないのが一番ですが。
 五重塔で有名なエピソードは最近ならスカイツリーです。五重塔の制振構造を応用しています。塔の外側は634mありますが、その中に375mの芯があり、外側と芯は分離構造なので、地震が来ても揺れ方が異なり、塔全体で揺れが相殺される仕組みなのです。地震が来て下が一方向に揺れると、上は芯の重さがオモリになって逆方向に動くので安定します。これが「心柱制振」です。五重塔の構造も塔を貫く心柱は、地面に据えつけられておらず、上から吊されています。中央の芯が浮いてます。と係員の年配の方が親切に説明してくれました。

たか孝
18 一月 2020 19:57

東照宮の参道を登りきったところにある五重の塔、
周りに干支の彫刻があり、現在、塔の心柱が公開
されている、スカイツリーにも心柱が使われている
、下側をのぞくと少しの隙間があり揺れを防いでいる、
屋根の大きさも雪が落下して壊れないように
同じ幅で作られている。

小関光明
13 十二月 2019 0:05

創建 慶安三年 (1650年)
焼失 文化十二年 (1815年)
再建 文政元年 (1818年)

特別公開拝観料を納めると五重搭裏側の扉を開けて待ち構えるスタッフがいます 撮影禁止ですが、「心柱」を見る事ができます 当時の免震構造ですね 2019/11/19

davy
29 一月 2019 8:06

This beautiful five story wooden pagoda is located in front of the main entrance to Toshogu shrine. It is highly decorated with wood carvings. I visites Nikko in autumn 2017, and Toshogu shrine is the ultimate experience. The shinbashira (main pole) of the pagoda is not fixed to the foundation, which is the key to the seismic resistant of this pagoda. Very interesting!

. 俺
27 十二月 2018 9:02

慶安3(1650)年に若狭国(わかさのくに。現在の福井県)小浜藩主・酒井忠勝によって奉納された五重塔です。文化12(1815)年に火災にあいましたが、文政元(1818)年に同藩主・酒井忠進によって再建されました。

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