祇園城址
住所 | 栃木県小山市城山町1丁目1 |
電話 | +81 285-22-9669 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | www.city.oyama.tochigi.jp/soshiki/5/1594.html |
カテゴリー | 城, 史跡, 観光名所 |
評価 | 3.6 16 件の口コミ |
Gion Hill Castle Ruins | |
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祇園城址 件の口コミ
16 別名、小山城。
思川の東岸断崖上にあり、土塁、空堀に囲まれた東西約790m、南北約1336mの広大な城郭。城の東北部の祇園郭に祇園社が勧請され祇園城と称された。
南北朝末の小山義政の乱のとき、鷲城の支城、義政滅亡後、結城氏より泰朝を迎えて小山氏の本城とした。
(以上、栃木県の中世城館跡抜粋)
城域北東側に北久保跡の駐車場がありそこから本祇園曲輪、塚田曲輪、中曲輪、上段曲輪までいけますが南側の本丸、二の丸は公園再整備事業入れません。
あとは市役所付近の小山御殿、小山評定跡など見学されるといいのではと思います。
再生事業だかで、昔からの風情のあった古木が軒並み切り倒されて、ただの荒れ地になっていて家族と共に呆然。今風の小綺麗な公園作ってもニーズとはあってないんじゃないか?完成しても人出が戻るとは思えないな
小山市の川沿いの離れにある城址跡になります。伝承によれば藤原秀郷の創建であるとされ、小山氏から北条氏、徳川家家臣本多正純と所有者を変えながらも愛されてきた城であるそうです。公園内には当時の土塁が残るほか、お城というだけあって小高い丘になっているので見晴らしが良いです。
大通り沿いの場所しか見れていないのですが、思いの外広い敷地なので後で本格的に回ってみたいです。
週末になると人出が増えるだろうと思います。
この日はあまり人が見られませんでした。
城山公園としての認識はありましたが、祇園城という名で知られていたということは知りませんでした。最近あちこち工事をしたり樹木を伐採したりしているとは思っていましたが、少しの間に大きく様変わりをしていました。土地の高さが際だち、大行寺方面の眺めが大変よくなりました。
整備工事中です。どこにも入れません。昨日2年ぶりに訪れたら入口もクローズで工事の人によると中には立ち入れないとのこと。市のホームページに整備計画が載っていますが、入れるかどうかの基本情報が全くないのは不親切だと思います。だいぶ木も切っているようだしどこにでもある整然とした普通の公園に生まれ変わるのでしょう。大きな木が茂って独特の良い雰囲気だったのに残念。
祇園城は
思川に臨む台地上に築かれ
思川を外堀とした要害堅固な城です。
三つの郭が連なる、連郭式
城郭で
深い空堀や、土塁が残り
現在は、城山公園になっています。
1148年、平安末期に
藤原秀郷を祖とする
小山政光 (小山氏祖) が築城したのがはじまりで
小山氏二代・朝政は
源頼朝の挙兵に加わり
鎌倉幕府創業の功臣となります。
…
後、1333年
七代・定朝
八代・秀朝は
北条政権打倒の合戦に加わり
討死。
九代・朝氏
十代・氏政は
足利尊氏に従い活躍。
十一代・義政は
城内にまつられている祇園神社から名をとり
城の名を【祇園城】としました…。
義政は、宇都宮氏との領地争いに干渉する足利氏満に
反旗を翻して
三度にわたる降状と、挙兵を
繰り返し自刃。
小山隆政の子も、鎌倉の海に
しずめられ
小山氏の正統は途絶えます…
…
後、1400年
足利氏満は、名族小山氏断絶を惜しんで
同族の、結城基光・次男
泰朝に
小山氏名跡を継がせ
以後
室町時代~戦国時代にかけて
古河公方後、小田原北条氏
の支配下に入り
城の堀や土塁を堅固にするなど
戦国時代に適応する城郭にしました…
1590年
豊臣秀吉の小田原攻めにより
北条氏が滅びると
二十一代・小山政種も城を
追われ
平安末期~続いた小山氏の
歴史に幕が閉じ
祇園城も廃城となります…。
…
徳川家康の天下となった
1680年
家康側近の
本多正純が城主となり
正純が宇都宮に転封になると
再び廃城となりました。
徳川家康が関ケ原合戦前夜に
石田三成に隙をみせておき
その間に
福島正則や、豊臣恩顧の
大名を味方につけて
関ケ原へと軍を引き返した
【小山評定】の場所は
祇園城から近い
小山市役所の地と伝わるそうです。
敷地内に、小山評定の石碑があります。
頼朝に従った
小山政光の次男
【宗政】は
下野国芳賀郡長沼 (真岡市) に
領地を得て、長沼氏の祖になり…
宗政の兄
【朝政】は
結城郡に住んで、結城氏の祖になり…
朝光五男
【朝良】は
下総国長沼 (成田市長沼) に住み
下総長沼氏の祖になり…
小山氏家相
政光の弟【行義】は
下河辺氏の祖となり
源頼政の郎党に。
下河辺氏は
八条院領・下河辺荘を管理していました。
行義の子【行平】は
古河城を築城しています
小山城は鎌倉期に思川の河岸段丘を利用して築いた城で、当初は鷲城の支城でしたが、南北朝期に本拠としたようです。
小山氏は南北朝や戦国期に血みどろの戦いを繰り広げたが、18代小山秀綱の時に小田原北条氏に降伏し、小田原の役で改易となりました。 江戸期は本多正純が入ったが、1619年(元和五年)に宇都宮へ転封となって廃城となっています。
家康の合図征伐の際、家康と豊臣系大名が評議し上方に上って西軍と戦う事を決した小山評定の舞台と伝わるが、小山評定は江戸期に創り出された架空の話のようです。
自分が訪れた時は、斜面の法面保護工事のため主郭は立ち入り禁止でしたが、紅葉を楽しみながら曲輪跡や空堀を散策できました。
駐車場は小山市役所の駐車場(無料)を利用出来ます。
国指定史跡祇園城跡
小山城 (おやまじょう) とも呼ばれますが、城跡は祇園城跡の名称で中久喜城跡、鷲城跡とともに小山氏城跡として国の史跡に指定されています。
現在城跡には建造物はありませんが城山公園として保存整備され、中世の城館らしくいくつもの曲輪、土塁、空堀、馬出しなどの遺構が残っています。
また城山公園の南側には小山御殿跡があり平成27年に再整備され小山御殿広場となっています。
【歴史】
小山城 (祇園城) は中久喜城、鷲城とならび、鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の居城で南北朝時代になって小山氏の本城となった。
天正4年 (1576年) 小山秀綱が北条氏に降伏し開城すると、北条氏の手によって改修され北関東の拠点となる。
天正18年 (1590年) 小田原征伐で北条氏が滅亡すると慶長12年 (1602年) 本多正純が相模国玉縄より入封したが正純は元和5年 (1619年) 宇都宮へ移封すると小山城は廃城となった。
【アクセス】
城山公園の駐車場があります。
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室町時代の有力大名。
関東八屋形に数えられる小山氏の居城。
戦国時代には後北条氏の北関東攻略拠点となり、
小田原征伐の後には家康の側近である本多正純が城主となるが、宇都宮城へ移封され廃城となる。
城跡は公園となっているが、空堀が良く残っている。
下毛野の名族藤原秀郷の後裔小山氏の
城跡として国指定史跡になっています。
遺構は公園としてよく残っています。
駐車場もあります。ちょっと分かり
ずらいですかな?小山氏は文献も豊富
なので国指定は有利ですね。
今は市民の憩いの場となっている小山氏のお城跡
平将門追討の功や近江三上山の百足退治の伝説で有名な平安時代中期の貴族、豪族、武将・藤原秀郷公が築城し、その後彼の後裔・小山氏が代々本城として使用されたが小山義政の乱で鎌倉府により追討され断絶したが同族の結城氏が再興させて小山秀綱公の代では北関東攻略の拠点となり、最後は徳川家康殿の側近であったが、徳川秀忠殿の代では大いに嫌われて失脚させられた安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将、大名、老中、下野国小山藩主、第28代宇都宮城主・本多正純公の宇都宮へ移封となり城は廃城となったと言う歴史があります
また明治時代には強引な政治手法と金権体質から「オシトオル」「公盗」「醜魁」などと攻撃され、51歳で暗殺された明治時代の政治家・星亨氏の別邸もあったらしいですが今はその面影もないです
一応、名前の"祇園"は小山氏の守護神である祇園社(現在の須賀神社)から取った物です️
訪れた日は公園整備の工事で城跡内には入れなかったのがかなり残念でなりませんでした (泣)
関東の富士見百景の一つに選ばれているらしいので景色は綺麗らしいです
敷地内には土塁や堀が今も残されているので国の史跡に指定されています
公園中央付近には朱塗りの橋があり風情があります
春になると花が咲いて綺麗らしいです
三日前に、この場所を訪れたんですがね。駐車場の場所が、奥の方にあるので深夜に訪れようと言う人は、近くの家やアパートの人の迷惑になると思います。小山駅側に、駐車場を作れば防犯上良いと思いますね。個人の見解ですがね。
静かで林の影は涼しく、広場に東屋があります。公園の方にある遊具は年季入ってます。ポケモンGOをやっているらしき人がいました。
駐車場は北側にあります。住宅地の奥にあるので分かりづらいので注意です。
ただの公園だと思っていたが庭園を思わせるような一面もあり、よく管理されていると思う
桜、イチョウ、もみじなど季節によって違った色合いを見せるような樹木がある、年季の入った樹木や裂けた樹木などみどころがある
思い川が一望でき、人慣れした猫が多かった
国の史跡ですが、詳しい説明板は見つけられませんでした。幾つかの曲輪と堀切・虎口跡があります。本丸跡には慰霊碑、忠魂碑 (乃木希典書) 、明治三十七八年戦役記念碑 (陸軍少将梅澤道治書、城山公園碑があります。中曲輪跡には虎口跡、馬出跡、土塁跡、大公孫樹があります。その他、塚田曲輪、本祇園曲輪跡、上段曲輪跡があります。堀切は本丸中曲輪間、本祇園曲輪中曲輪間にあります。