長蓮寺
住所 | 栃木県真岡市荒町1037 |
電話 | +81 285-82-3732 |
サイト | www.tochigiji.or.jp/spot/6683 |
カテゴリー | 仏教寺院, 寺院・礼拝所, 観光名所 |
評価 | 3.8 9 件の口コミ |
Chōrenji Temple | |
最寄りの枝 定願寺 — 栃木県栃木市旭町13−7 |
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長蓮寺 件の口コミ
9 お墓参りした後に、
お寺の隣りにある立花家の焼きそばと手作り餃子食べたかったのに
水曜日は定休日だったの忘れてたあ!
でもお店のぬこさんたちが外ウロウロしてて癒やされた
日本一の威容を誇る弁財天が見たくて伺いました。
隣の無料の駐車場に止められます。
天守閣の様な造りで歴史を感じさせる建物でした。
間近で見る弁財天は中々迫力があり、神秘的な感じがします。
境内には猫が何匹かいて癒されます。
御朱印は今は受け付けていませんでした。
「大前神社」に、次男の希望校合格の御礼の参拝後に。
「弁天堂の黄金色に輝く半跏像弁財天は日本一の威容を誇る弁天様」との事。
「弁財天さまは金運 (財運) のご利益だし、黄金色だなんて益々縁起良い。」と思い、楽しみに向かいました。
「弁財天さま」は、「弁天堂」の中。
「弁天堂」ですが、とても変わった形のお堂です。多分、本堂も兼ねているのかな?
手を合わせお参り後、「弁天堂」の自動ドアを開けようとしたのですが開きません。
鍵が掛かっていて入れませんね。?
残念ながら、自動ドアの外からの拝見となりました。?
いつなら、何時から何時までなら自動ドアが開いているのかの情報をお願いしたいと思います。
自動ドアの外からとなりましたが、「宝くじ高額当選、家族の健康」をお願いさせて頂きました。
ちなみに、「弁財天さま」の左側に「大黒天さま」、右側に「毘沙門天さま」も祀られています。
(4年3月11日)
真岡線SL撮影後街の散策で立ち寄りました。弁財天、毘沙門天、大黒天がありますが、よく見る宝船の七福神のニコニコとしたイメージではなく威厳があり立派なイメージです。大前神社のニコニコした恵比寿様とは相反する感じです。
まるで天守閣のような建物 (「太鼓楼」という) に惹かれた。
2021年9月20日 (月) に真岡市の街歩きで訪れた。
以下は案内板の内容
長蓮寺の弁財天
長蓮寺の弁財天は江戸時代の寛文七年 (1667年) に江戸大衆の発起と浄財により、高僧の大仏師が江の島 (神奈川県) 、竹生島 (滋賀県) 、天川 (奈良県) の三弁財天を模刻し、三十三年かけて元禄十三年 (1700年) に完成したもので、御本尊黄金色の木彫で、左手に宝珠を乗せ、右手で法剣を握る像高3.45メートルの二臂半跏像 (二つの手があり片足を組んでいる像) である。当時は、浅草日輪寺の下寺宝樹院にあって、元禄十五年 (1702年) に赤穂義士大石内蔵助以下四十七士も主君の仇を討つに当たり、その成功を御本尊に祈願したと噂が立つほど、多くの参詣者が日毎集まったという。
時の流れの中で宝暦十二年 (1762年) 筏にのって浅草から隅田川を下り、利根川、鬼怒川を経て、長蓮寺に移ったもので、御本尊の脇侍に毘沙門天、大黒天を、眷属として十五童子を配置した全国でも珍しい弁財天で、昭和六十三年に市指定文化財になっています。
以下は「栃木旅ネット」のホームページより
長蓮寺は江戸時代、真岡藩主稲葉正成公(三代将軍家光公の乳母『春日の局』の夫)ゆかりの寺として、徳川家光公より朱印十二石を拝領しました。長蓮寺弁財天は黄金色の木彫で左手には宝珠を乗せ、右手には宝剣を握る、高さ3.45mの二臀半跏像。半跏像弁財天として日本一の威容を誇る弁天様です。
以下は「真岡市観光協会」のホームページより
永仁5年(1297)遊行二祖の但阿真教上人の開山。芳賀伊賀守高継の時に西郷から現在の地に移されました。弁財天半跏像は座高345cmで日本一と言われています。
以下は他のホームページから
長蓮寺(真岡市)概要: 大際山華蔵院長蓮寺は栃木県真岡市荒町に境内を構えている時宗の寺院です。長蓮寺の創建は鎌倉時代後期の永仁5年(1297)に遊行二祖他阿上人真教が念仏修行の道場として阿弥陀如来を安置して開山したのが始まりと伝わっています。貞和3年(1347)、芳賀高貞により真岡城の鬼門(北東方向)にあたる現在地へ移され、以後、芳賀氏の庇護下この地方唯一の一向宗寺院として信仰を集めました。一向宗の信仰が広がるとその教えに帰依した尊観法親王(南北朝時代の時宗の僧、後醍醐天皇の従兄弟)が出家し、当寺の住職として赴任しています。戦国時代末期、芳賀氏の主家である宇都宮氏は突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある。)になると芳賀氏も連座し所領没収となりました。
長蓮寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると当時の真岡藩主稲葉正成が一遍上人と同じ伊予の河野氏出身だった事から篤く庇護され、真岡藩廃藩後も幕府の保護となり三代将軍徳川家光から20石の朱印状を賜っています(稲葉正成は家光の乳母である春日の局の夫だった事から庇護したとも)。境内にある長蓮寺弁財天は寛文7年(1667)から元禄13年(1700)にかけて江戸の民衆による浄財で建立したもので、天河大弁財天社(奈良県吉野郡天川村)、江島神社(神奈川県藤沢市)、竹生島宝厳寺(滋賀県長浜市)の弁財天を模して製作したと伝えられています。
当初は浅草寺の下院である宝珠院に安置され元禄15年(1702)の赤穂事件では四十七士も念願成就の祈願をしたとの噂があがるなど広く信仰されましたが宝暦15年(1762)に長蓮寺に移されました。弁財天の高さは3.45mで半跏像弁財天としては日本一の大きさを誇るとされ、脇侍には毘沙門天と大黒天、従者には十五童子が配されている大変貴重なものとして昭和63年(1988)に真岡市指定有形文化財に指定されています。
長蓮寺総門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。山門は切妻、銅板葺き、一間一戸、四脚門。本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。弁天堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行2間、正面1間唐破風向拝付き、背後の太鼓楼は印象的で象徴的な存在感があります。山号:大際山。院号:華蔵院。宗派:時宗。本尊:阿弥陀如来。ふ
浄土教の流れを汲み踊り念仏の一遍上人が宗祖である時宗の御寺。
日本最大、法剣に宝珠を持つ神仏集合時代特有の弁財天坐像がある。河水を司る弁財天、日照り続きの元禄15年(1702)に浅草・日輪寺の下寺宝樹院より川々を渡ってここに按置されたという。昭和63年真岡市文化財指定。併せて素晴らしい本殿内。ここで仏教医学として住職により代々なされていた枇杷葉をつかった温灸は、ピアニストで第44代住職により今のかたちで民間療法として世に広められた。
平日はご住職は仕事、土日は忙しいとお留守番の方が言ってました。
玄関は机でバリケードみたいだし、来るなって事なのかな。
1/3 再訪、相変わらず不在、自動ドアは動いていたので弁天さまを拝む事は出来ました。
SLもおか号を北真岡で見学するのに時間調整で参詣させて頂きました。
建物も特徴が有り見応えがありました。
早い時間だったので弁財天様は参詣口の外窓からしか参詣出来ませんでしたが再度参詣させて頂きたいと思いました。
調べによると長蓮寺弁財天は黄金色の木彫で左手には宝珠を乗せ、右手には宝剣を握る、高さ3.45mの二臀半跏像。半跏像弁財天として日本一の威容を誇る弁天様です。