青山熊野神社
住所 | 東京都渋谷区神宮前2丁目2−22 |
電話 | +81 3-3408-0065 |
時間 | 09:00-16:00 |
サイト | www.tokyo-jinjacho.or.jp/shibuya/2064 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 3.8 17 件の口コミ |
Aoyama Kumano Shrine | |
最寄りの枝 西向天神社(東大久保富士) — 東京都新宿区新宿6丁目21−1 烏森稲荷神社 — 東京都目黒区上目黒3丁目39−14 烏森稲荷神社 新橋塩釜神社 / 鹽竈神社 — 東京都港区新橋5丁目19−7 神楽坂若宮八幡神社 — 東京都新宿区若宮町18 |
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青山熊野神社 件の口コミ
17 鳩森八幡神社から徒歩15分位のところにある神社です。雰囲気的に周辺住民がメインの参拝層かと思います。
典型的な普通の地域密着型の神社という印象です。
御朱印をいただこうと思ったけど、なんとなく近寄りがたい雰囲気があったので御朱印をいただくのは今回は見送りました。
目的地が近かったので調べて行きました。参拝後、御朱印をいただこうと思いましたが場所が分からなかったので、建物のブザーを押して聞くと女性の声で「9時からなんですけど・・・」と言われ、まだ8: 58だったので「じゃあこちらでお待ちしてます」とお伝えしました。でも、9時を過ぎても誰も出てこられず、もう一度ブザーを押すとすぐに先程の声の方と思われる女性のが出てこられ、「どうしても御朱印が要るんですか?」みたいに言われました。まぁ結局は書き置きのをいただくことができたんですが (口コミの300円ではなく500円になってました!) 、呆れたように「もうご参拝はすんだんですか?」と聞かれ、こっちが呆れました。私はもう二度と行くことはありませんが、行かれる方は気をつけた方がいいと思います。雰囲気は良い神社だったのに残念です。
都心の住宅地の中に突然厳かな雰囲気で佇む神社。境内には鳥居を潜る際に一礼をするように注意喚起がされていたりと、そんじょそこらの神社より礼儀作法のアナウンスがしっかりしている印象。そんなに大きな神社ではないですが荘厳や雰囲気はピカイチでした。
神職在住、御朱印をなかなか頂けなかった氏子神社。
コロナ対策で書き置き対応に切り替わった
お陰で宮司多忙や不在でも頂ける様になった。
神宮球場の近くなので球団公認の御朱印帳に
加えたい神社さん。
〔青山熊野神社/Aoyama Kumano Jinjya Shrine〕
葵の御紋の神社、青山の鎮守様です。元々、赤坂の紀州徳川家の屋敷内に設けられた、お社でした。
<徳川頼信公が創建>
元和5年(1619年)に、紀州徳川家の祖、徳川頼宣公(慶長7年(1602年)~寛文11年(1671年)が、赤坂の屋敷内にお社を勧請しました。この屋敷は、現在は赤坂御所になっています。
<青山の鎮守様に>
正保元年(1644年)に、地元の人々の要望より遷座し、熊野大権現 となり、地元の鎮守様となりました。
明治初めの神仏分離の際に、名称を 青山熊野神社と改め、現在に至っています。
近くには、秩父宮ラグビー場、神宮球場、新国立競技場があり、スポーツが盛んな土地柄です。また、ファッション関係の仕事に携わる方が多い街です。
そんな人々の活躍を、この神社は見守っているのでしょう。
〔アクセス〕東京メトロ 外苑前駅 徒歩5分。
東京メトロ銀座線の「外苑前駅」が最寄りになります。
三番の出口から出て、最初の横断歩道を反対へ渡り、神宮球場に向かい少し進みます。
そしてすぐ斜めの方向に向かう路地があると思うので、そこを左折
小さな店が立ち並ぶ細い道を辿っていくと、右手に立派な広ーいビルが見えてきます。
御祭神は五十猛ノ命(イソタケルノミコト)
なんかかっこいい名前です。
紀州徳川家に縁のある神社なので、いろんなところに葵の御紋が見受けられます。
青山の中にあるしっかりと石の柵(何て言うのでしょう?)に囲まれた神社です。あまり古くない感じですが、なぜか徳川家の家紋と同じものがあり、基を辿ると歴史もあるところでした。御朱印あるとは知りませんでしたが、実はあるそうです。
大通りからちょっとしか外れていないとは思えないほど、静けさとゆったりとした時間が流れる場所でした。
神社巡り 18宇 青山熊野神社 (東京都)
青山熊野神社植林、樹木の神様。
明治2年に青山熊野神社の改称されたそう。
よく通る場所なのに初めて個人的に参拝しました。お参りすると神殿の奥まで見えるので厳かな雰囲気を感じられます。
これを機にお参りしよう
こぢんまりとしたお社。
口コミにもある通り、御朱印拝受には確認が必要なようです。
平日15時参拝でしたが残念ながら本日は受付なしでした。
一年後、ふらっと参拝しに行きました。が、やはり御朱印受付なしでした。
次回こそしっかり確認していこうと思います。
追記
コロナにより、直書をやめ、現在は書置御朱印をいただけます。3回目の参拝にしてようやく御朱印をいただけました。
(2020年8月記)
東京都渋谷区神宮前に鎮座する青山熊野神社は、神宮前・北青山の総鎮守です。
創建は紀州徳川家・徳川頼宣が自邸内(現在の赤坂御所の位置)に御宮を勧請した元和5年(1619年)ということになります。その後、正保元年(1644年)正月7日に、地元町民の請によって現在地に移遷されました。
ご祭神は、五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命、伊弉冊命です。
境内には、朱塗りの小さいながら華麗な社殿があります。境内東側には1991年(平成3年)4月には、地上5階・地下1階建てのビルが竣工し、ビルの1階に社務所が置かれています。
境内社に伏見稲荷神社・御嶽神社・秋葉神社があります。
御朱印は、社務所にていただけます。初穂料は300円です。御朱印の受付をしていない日も多いらしく、この日はいただけませんでした。
お昼に散歩していたら神社がありました。お参りしてみると、とてもよい氣が感じられます。昔から青山にある静かな神聖な空間。都会の喧騒から解放され、熊野の空間に癒されます。イチョウが紅葉して綺麗です。
外苑前駅で降りる機会がありましたら是非お寄りするとよいです。
明るい良いエネルギーを頂けます。
ありがとうございました。
青山熊野神社 (神宮前)
植林・樹林の神様賭して、特に建築関係の仕事の方々に深く敬神の念を受けているそうです。
祭 神
五十猛ノ命(いだけるのみこと)
大屋津姫ノ命(おおやつひめのみこと)
抓津姫ノ命(つまつひめのみこと)
伊弉冊ノ命(いざなみのみこと)
1644年(天保元年)正月七日
紀州徳川家徳川頼宣の邸内(現在の赤坂御所)に1619年(元和5年起源)奉斎されていた御宮を町民の請により1645年(正保元年)正月七日
現在地に移遷し翌年四月本殿拝殿その他造営し完成。青山総鎮守と仰ぎ奉り熊野大権現より神仏分離の令により社号を青山熊野神社と改称された。
熊野の御祭神は、伊弉冊だけであり
五十猛・大屋津姫・抓津の三柱は伊太祁曽神社(和歌山市)の御祭神である。
文政寺社書上では、伊弉冊命・速玉男尊・事解之男尊だが・・・1917(大正6年)「千駄ヶ谷町勢一覧」では、現在の御祭神と同じになっており幕末からは明治にかけての時期御祭神が変えられたようであるが、経緯は不明である。
[由緒]
御府内寺社備考によると
原宿村又北原宿町 熊野三社権現
古跡除地五百七十五坪余、正保年中勧請之由申傅候社地元紀伊殿門邸内とあり徳川頼宣邸内(現在の赤坂御所)に1619年(元和5年)奉斎されていた事が起源。当社を1644年(正保元年)当地へ遷座して創建、青山の鎮守としたといわれます。
末社
伏見稲荷神社・御嶽神社・秋葉神社
都立青山高校の隣にあります。毎年9月末熊野神社祭礼にご奉仕してます。伊藤忠本社の場所、外苑前町会の皆様にお世話になってます。毎年町会神輿連合にて熊野神社前に神輿を担いでいきお祓いを受けます。今年も楽しみです。
趣がある。って感じたのでこの評価にしました。時間がなくてあまり滞在できなかったので正確ではないと思ってますが、またゆっくり来たいと思う気持ちがあるので。都会の中のちょっとした神秘的な場所でもう少し知りたい場所です。皆さんも訪れて感じてみてください。なんで葵の紋付いてるんだろうなぁ。
紀州徳川家縁の神社で、9月末の祭礼はかなり賑やかですが、普段は訪れる参拝者は余り見かけない。参道の坂道は鎌倉街道の一部で、八幡太郎義家が奥州に出陣する際軍勢を揃えたことから「勢揃い坂」と呼ばれているらしい。
この時節珍しいのは、境内で毎週木曜日に「刃物研ぎ」が出店します。調理用以外に和裁洋裁・美容関係刃物砥ぎの需要が結構あるようです。9: 30頃店開き直後に頼むとその日に仕上がるのが嬉しいですネ。
御朱印を頂けない日が多い神社。
宮司様が居る例大祭でも多忙で不可。
神宮球場に近いので度々参拝するが
横浜スタジアムに近い羽衣町厳島神社も
攻略の難しさでは同レベル。
これまですべてかわされている。
打率000はいつ迄続くのだろう?