中里の富士塚[大泉富士]
住所 | 東京都練馬区大泉町1丁目44 |
時間 | 00:00-24:00 |
サイト | city.nerima.tokyo.jp |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.3 11 件の口コミ |
Nakazato no Fujizuka [Oizumi Fuji] | |
最寄りの枝 |
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中里の富士塚[大泉富士] 件の口コミ
11 富士信仰に基づく富士塚。
平日・休日問わず人は少ないため、ゆっくり登頂して下山できる。
頂上からの眺めは悪くはないが、眺望だけなら1分歩いて風の丘公園に行ったほうが良い。
12メートルの高さがある富士塚です。
登山道は幅が30cmほどのつづら折りです。
手すりが無いので、注意が必要です。
急勾配なので、高所恐怖症の私は頂上まで登りきることが出来ませんでしたが、5歳くらいのお子さんが登っていたので、足元さえ気を付ければ大丈夫だと思います。
すれ違いは出来ませんので、他のグループがいる時は、譲り合って登ると良いと思います。
中里なかざとの富士塚は、南側基部きぶよりの高さが12メートル、径が30メートルあり、とても大きな部類に入ります。
あまり高いところは得意でない私は少し足が震えました。
登拝道には手すりがなく、とても登りにくかったです。
石碑の年記ねんきや言い伝えなどから、明治初期に丸吉講によって築かれたと言われていますが、文政5年(1822年)の石碑があることから江戸時代すでにその原型があったと思われます。合目石ごうめいしに沿って頂上まで登ると、36基の石造物があります。中でも道祖神の碑は、区内で唯一のものだそうです。
現在でも地元富士講によって毎年行事が行われているようです。
富士塚は、昔「富士山に登るのは体力的に自信がない‥‥」という方向けに、首都圏(当時の江戸近郊)でもご利益を、という目的で富士山の石を使って多数の地域に設置された。そのうちの1箇所がここである。
正直、わかりにくい位置にある、富士塚である。2005年に行ったことがあるが、しばらく迷った。
登ること自体は、本当に楽である。お試しあれ。
あまり知られていない富士塚です。
冬と春に登りましたが、植物も成長していて、美しい緑に囲まれてリフレッシュ出来ます。
低い富士塚とはいえ、そこそこの斜度があり幅も狭いので、歩きやすい靴と服装でお参りすると良いでしょう。
正面右からの石段の方が、ショートカットしやすい気もします。
上の道からも下の通りからも見物出来ます。小さな富士山です。昔は、防空壕だったみたいで、穴の中を見られたのですが、途中から、ホームレスの方が住んでいたことがあったので、今は塞がれています。穴の跡は解りますよ。
登れる富士塚
志木市上宗岡の羽根倉富士獄
豊島区高松の富士塚
練馬区江古田の江古田富士など
過去に行ったことのある富士塚は施錠されていて、登れない。でも大泉富士はいつでも大丈夫です。ちゃんと手入れがされていて、氏子さんのご苦労が感じられます。大変ありがたいことです。頂上は、やはり気分爽快です。是非出掛けて見てくださいね。
公共交通で参詣する場合、
練馬区みどりバス [保谷ルート] 光が丘駅ー保谷駅南口
の「別荘橋」停留所が最寄りと思われる。
南側から登ると結構怖い。本当の登山道を歩くのとそう変わらない道で、滑りにくい靴を履いて行った方がよい。同じ区内の「江古田富士」と比べても、こちらの方が登山をしている感覚に近い。慣れない方は北側 (裏側) から登った方が無難。また、下りるときも北側を通る方がより安全であろう。ただ、これが正しい参拝方法かどうかは分かりません。
「剣ヶ峰」の山頂は意外に広い。測候所?ナイナイ。
山頂に到達しても、富士山は確か木々に遮られ望めないが、隣接する八坂神社北側の「練馬区立 風の丘公園」の展望台からは、富士山がバッチリ望める。富士塚を登拝されたら、合わせて訪れるとよかろう。
この辺りには、段丘崖を利用した公園が散在しており、練馬区立清水山の森や稲荷山憩いの森も程近く。
昔は、特に名はなかったと思う。中里というのは昔の集落の名称だったらしい。土支田4丁目辺りから西大泉4丁目辺りにかけては本来は新座村だったそうで、明治時代の大合併で橋戸村、小榑村 (こぐれむら) 、土支田村 (現在の土支田は当時は下土支田村) が合併して大泉となり、さらに、上新倉村の長久保集落が大泉に併合した為に、その間に挟まれた新座村がとばっちりを受けて大泉に吸収されてしまったそうです。元々、人口が少ない寒村だったので僅かに名称だけが残っているようです。
2019年3月16日訪問。富士塚マニアでもないけれど、どこの富士塚も特徴があって良し良しです。たとえそこの富士塚が立ち入り禁止となっていてもね。ここの富士塚はかなり探しました。その探し甲斐があって現地にたどり着いたときはまさにモンゲー(古いかな?)でした。あの標高が結構高く、おまけにかなり険しかったのです。ですから頂上にたどり着いたときの達成感は何よりでしたが、下山するほうがかなりおっかなかったのです。
写真は、落ちていたお賽銭を浅間神社に戻す作業をする筆者(そんな偉くない)です。