四本木稲荷神社
住所 | 東京都北区滝野川3丁目61−1 |
電話 | +81 3-3917-1215 |
カテゴリー | 神社 |
評価 | 4.1 7 件の口コミ |
Shihongi Inari Shrine | |
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四本木稲荷神社 件の口コミ
7毎月13日午前11時より月次祭があります。神道大教本局からの二名の神官により、約30分ほど執り行われます。なお、よもとぎ稲荷と言い、歴史的経緯をまとめた資料が拝殿内に置かれてます。氏子はいませんが、地元ボランティアで整備に努めてます。
神道大教四本木稲荷神社 (しんとうたいきょう よもとぎ いなりじんじゃ) 正式名称
よもとぎ稲荷を守る会の詳しく書いてある紙をもらってきました。写真を載せておくので詳しく知りたい人は、写真を見てください。昔は、木が生い茂っていて昼間も中は暗かった場所でした。今は、手入れがよくしてあって外から中が見えるくらいです。小さい頃、よく遊んだ場所でした。
朽ちてる感じは否めない。
言い換えればかなり雰囲気がある。夏の夜は何かを感じるレベルに。
中に進むと確実に「何か」を感じる場所である。
その何かは人によって違うと思うが、毎年なぜか夏に行きたくなる場所である。
去年から今年にかけて神道大教の直営になった様である。境内にファイルに入れた説明書きが追加されていたが、結露でふやけており、早晩に読めなくなるだろう。
四本木稲荷に関する情報は錯綜しているが、纏めると次のようになるだろう (『』内は平成30年頃、個人的に調べた情報。当社の公式の説明と異なるが、せっかく調べたので、残しておく) 。
『
境内で小さい社殿を構えている方
「元々、現在の中央公園・陸自十条駐屯地の辺りにあった。その地の住民が王子稲荷から分祀したもので、おそらく、江戸時代頃創建」
「その後、明治政府に「この辺に武器製造所を作るから、出てけ」と土地接収に遭う」
「このため、住民は、やむ無く当地に移住」
「その際に、四本木 (しほんぎ) 稲荷も現在地に引っぱってきた」
境内で大きい社殿を構えている方
「上記の住民を追い出した旧陸軍の人々によって新たに祀られた神社」
「武器製造所が出来立ての頃にはなかったが、日露戦争後、火薬の爆発事故が起こり、「基地建築時に古墳を壊してしまった祟りだ!」とビビり畏まったため、神社を創建することに」
「基地内に存在していた小社 (上記住人が移し忘れたものか) を改築し、四本木 (よもとぎ) 稲荷とする」
「戦後、現在地に移した」
と個人的に下調べしてから行ったが、現地には小さい社殿が二つあり、「え? もう一つあるの?」となった。
』
よもとぎ稲荷を守る会によると、最後の小社は、現王子警察署の位置にあった清水稲荷を当地に移転したものと言われているそうである。また、最近になって社務所整備の折りに、鉄製の銘板が見つかり、「豊島の罰当たり杉」との関連が明らかになったとか。
その他の史跡として忠魂碑がある。大正六年四月健之銘。碑型は半月形で珍しい。
裏参道入口付近の灯籠に貼り付けられた案内板によると、これは火薬を磨り潰す圧磨機の圧輪を流用したものだという。元々は円形だったが、これを割り、五割を台座に、四割を塔身に、残りの一割を忠魂碑から離れた境内南端に置いたとある (忠魂碑の傍にある石造物は違うらしい。確かに、表面の削り方が忠魂碑と異なっている。) 。
創建年は明治38年と言われている。
陸軍との関係がある。
ご祭神は不明。
元々は古墳があった場所。
木々が多く、独特の雰囲気がある。
夏は虫やクモの巣にも注意したい。
四本木稲荷に関する情報は錯綜しているが、纏めると次のようになるだろう。
境内で小さい社殿を構えている方
「元々、現在の中央公園・陸自十条駐屯地の辺りにあった。その地の住民が王子稲荷から分祀したもので、おそらく、江戸時代頃創建」
「その後、明治政府に「この辺に武器製造所を作るから、出てけ」と土地接収に遭う」
「このため、住民は、やむ無く当地に移住」
「その際に、四本木 (しほんぎ) 稲荷も現在地に引っぱってきた」
境内で大きい社殿を構えている方
「上記の住民を追い出した旧陸軍の人々によって新たに祀られた神社」
「武器製造所が出来立ての頃にはなかったが、日露戦争後、火薬の爆発事故が起こり、「基地建築時に古墳を壊してしまった祟りだ!」とビビり畏まったため、神社を創建することに」
「基地内に存在していた小社 (上記住人が移し忘れたものか) を改築し、四本木 (よもとぎ) 稲荷とする」
「戦後、現在地に移した」
と個人的に下調べしてから行ったが、現地には小さい社殿が二つあり、「え? もう一つあるの?」となった。