大石良雄外十六人忠烈の跡
住所 | 東京都港区高輪1丁目4−6 |
時間 | 00:00-24:00 |
カテゴリー | 史跡, 観光名所 |
評価 | 4.3 8 件の口コミ |
Site of the seppuku (ritualistic execution) of Oishi Yoshitaka and the other 16 Akougishi (Akou Roshi) samurai | |
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大石良雄外十六人忠烈の跡 件の口コミ
8 ここはかつて肥後藩細川家の下屋敷があった場所である。
ここが有名なのは、忠臣蔵で吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一部がここに身柄を預けられたことと、その中にリーダーであった大石内蔵助がいたこと。そして討ち入りの翌年元禄16年2月4日に幕府から切腹を命じられ、ここで最期を遂げた。
大石内蔵助終焉の地である。
現在はその後の邸宅の門の後の前に説明の碑が建っている。
すぐ隣には上皇と上皇后の仮の住まいである仙洞仮御所がある。
泉岳寺からも直線距離で約300メートル位であるが、歩くと少し遠回りになり坂道を上る。
せっかく泉岳寺に来たのなら、ちょっと足を延ばしてここに立ち寄るのも意義があると思う。
特に何かがあるわけではないが、忠臣蔵ゆかりの地の一つである。
団地の背後にあり場所は分かりづらい。
跡地は塀に囲まれていて入れないが、大きな窓があり良く見える。
ただ手入れがされているのかな。
周辺に時代劇ファンにはお馴染みの場所が多く、見どころはあります。
足に自信がある方は泉岳寺から歩いて見ては。
泉岳寺を訪れた後に立ち寄って参りました。
泉岳寺の近くにあったので驚きました。
今日は12月14日の討ち入りの日だったので手を合わせました。
静かな場所でした。
東海大学高輪台中高の真向かいにある都営住宅の中にひっそりとあるのが、旧肥後熊本藩細川家下屋敷跡、忠臣蔵の大石内蔵助良雄以下16人が切腹したところです。あと1ヶ月ですね。12月14日。
「各々 (おのおの) 方、泉岳寺おいでの際はこちらを忘れるべからず」
東海大学高輪キャンパスのそばに、こんな歴史のある場所あるとは知りませんでした。
マンションと中学校の敷地の間にあり、ひっそりとしたところにありました。
塀に囲われていて、扉についている小窓から、中の様子を見ることができます。
中は、大小の石と、地面があるだけですが、手入れがされていて、見ていると思いを馳せらせます。
最近はテレビで年末にドラマをやらなくなりましたが、本物の歴史の一部分がここにあるんだなって。
とても、歴史のある場所で日本の切腹という文化があったこと、そのなかで、どんな物語があったか、考えるきっかけになる場書だと思います。赤穂の浪士たちの切腹した、まま保存されており、血しぶきなどは、一切今はのこってないですが、一切手はつけてないということです。その時のままの状態で今も残されています。そして腹を切った平らな岩も健在しております。
浅草線・泉岳寺徒歩15分
元禄16年2月4日熊本藩細川家の下屋敷において赤穂浪士の大石良雄(大石内蔵助)ほか16人が切腹した。
三田の伊予松山藩屋敷跡(現:イタリア大使館)には大石主税良金ら十士切腹の地がある。
大石父子の切腹は、ほぼ同時刻であったといわれている。
幕府から派遣された時、ここで果てた勇士たちは、屋敷のよき守り神なので、庭を清めるには及ばない。
そのままにしておくようにという意味のことを言ったと伝えられています。
その庭の一部は、現在も大切に保存されています。