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楠木正成像

住所 東京都千代田区皇居外苑1−1
電話 +81 3-3213-0095
時間 00:00-24:00
サイト www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/his_06.html
カテゴリー 彫刻, 史跡, 観光名所
評価 4.5 19 件の口コミ
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楠木正成像 件の口コミ

19
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CHI
10 十月 2023 12:21

本旅行の 3 番目の目的地は皇居です。駐車場はここにあります。二重橋まで歩き、途中で南武映像公園を通過する必要があります。ここの広大な緑の芝生はとてもきれいで、とても気持ちよさそうです。

Teruya
23 五月 2022 12:00

皇居前広場に勇姿を見せるブロンズ製の騎馬像は建武中興の忠臣・楠木正成公(楠公)です。
二重橋を正面に見据えるこの像は、楠木正成公が1333年(正慶2年)隠岐の島から還幸途次の後醍醐帝を兵庫の道筋でお迎えした折の勇姿を象ったものです。
かつては紙幣のデザインにも採用されたことなどもあり、国内でもっとも名高い銅像のひとつです。
これは、別子銅山開坑200年記念事業として献納したもので、住友家が1891年(明治23年)に東京美術学校 (現・東京芸術大学) に製作を依頼し、同鉱山の銅を用いて高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などにより、10年を費やし完成しました。
凛とした雰囲気が魅力の日本を代表する銅像です。

honda101
30 四月 2022 4:35

別子銅山開坑200周年事業として住友が献納、製作は東京美術学校に依頼。同校の木彫科教授であった高村光雲が主任となり、東京美術学校は後に製作担当者となる3人を次々と教師として採用。高村光雲は頭部を担当し、山田鬼斎と石川光明が身体・甲冑部などを、後藤貞行が馬の製作を担当した。
馬を担当した後藤は若い頃に騎馬術を習い軍馬局で種馬について研究した後、日本画、洋画を習った経歴の持ち主。
本体の高さは約4m。花崗岩の台座を含めると8mに及ぶ堂々たる姿で、上野公園の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像と並び、「東京の三大銅像」の一つに数えられている。日本の具足を帯びた代表的な武者像として海外の旅行ガイドブックに掲載されることも多く、足を留めて見上げる外国人観光客の姿がコロナ前は見られた。

田中信宏
14 四月 2022 21:16

この像の正面は顔を向けている方ではなく背中側です。皇居に背を向けるのは失礼という理由で、このようになったといわれています。1333年の建武の新政で武士に不満を持たれた後醍醐天皇に翻弄されながらも、最後まで忠義を尽くした楠木正成という人を称えるめたに建てられました。この像が建てられたのは明治天皇の御意向だそうです。ちなみに馬と甲冑とを別々に製造して接合ため、接着面の線が見えるのだそうです。

酒呑童子
23 三月 2022 5:27

七生報国、日本人の生き方の原点とも言える生き様を示して今なお輝きを失わない男の中の男。西郷隆盛と共に敬愛して止まない大楠公にやっと会いに来ることができました。
隠岐から京に帰還する後醍醐天皇の先導を承った、おそらく楠木正成公の人生で一番晴れがましい思いをしたときの姿。美しいです。

Gaia
21 三月 2022 9:16

かつて日本で「北朝」と「南朝」が
争っていた時、

「北朝」が「南朝」から、
「三種の神器」を奪ったことが
あったそうです。

その時に、
この楠木正成が京都御所まで行って、

それを奪い返して「南朝」に届けたことが
あったそうです。

だから、この人物は
「南朝」の側にとっての
英雄なのだそうです。

中澤大輔
07 三月 2022 14:16

かつて南朝の英雄であった楠木正成の騎馬像が、北朝の流れを汲む現皇室の住まう皇居に建てられているのに不思議な気がする。国内に騎馬像がいくつあるかわからないが、これ程躍動感溢れる騎馬像は無いのではないだろうか?

i qqq
18 二月 2022 22:07

靖国神社参道の大村益次郎、上野の森の西郷隆盛像と並ぶ東京の三大銅像の一つ。顔を皇居に向けて頭を垂れ騎馬に跨がり颯爽と走ろうとする姿は、精悍そのものである。そう言えば、悪党と呼ばれ、幕府に逆らい、武士でありながら朝廷に仕えた非御家人であり、後醍醐天皇に忠誠を誓い、朝廷方を勝利に導いた官軍の守護神、象徴的存在でもある。忍者一族の服部家と姻戚関係にあり、その奇想天外な智略は、大変秀でたもので、武士の世の中にあって、ひとり何するものぞと自己の存在感を見せつけたが、後の戦国武将たちに多大な影響を与えたことは確か。よく作られた銅像である。

藤城孝孟
18 二月 2022 7:28

後藤貞行、1850年2月4日(嘉永2年12月23日)– 1903年(明治36年)8月30日)は、彫刻家で馬の彫刻で知られ、皇居前広場の楠木正成像の馬像が代表作です。

楠木正成と後醍醐天皇との出会いについては、「太平記」に記された夢のお告げに関する逸話が有名です。

鎌倉時代後期、朝廷は持明院統(じみょういんとう)と大覚寺統(だいかくじとう)との間で皇位を巡るいざこざが絶えませんでした。

自らの子孫による天皇親政を目指す後醍醐天皇は、鎌倉幕府を打倒すべく、1331年(元弘元年)に「元弘の乱」(げんこうのらん)を起こしたのです。

しかし戦況は芳しくなく、笠置山(かさぎやま)に籠城。心細い日々を送っていたある日のこと、後醍醐天皇は夢を見ました。

広い庭の宴席で自分の席を探していると、上座が空いていた。すると美しい童子が現れて、「南に枝を伸ばした大きな木の下にある上座があなたの席です」と言う。目を覚ました後醍醐天皇は「木」に「南」で「楠」という文字になることに気付き、楠という者を頼るべしという神のお告げに違いないと該当者を探させたところ、該当する者は楠木正成ただひとりだった。

笠置山に参内した楠木正成は「弓矢取る身の面目、これに過ぎるものはありません。」(武人としてこれほど名誉なことはない)と快諾しました。「戦いに敗れてもこの正成さえ生きていれば、必ずご運は開けるでしょう」と後醍醐天皇に忠誠を誓ったと言われています。そして楠木正成は赤坂城で挙兵しました。行き違い等々の切はご容赦下さいませ。本所亀沢町6代末孫

直高伊藤
01 二月 2022 9:43

皇居外苑の南東の一角に、花崗岩の台座に据えられた騎馬姿の「楠木正成」の銅像がある。
高村光雲など、旧東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治33年 (1900年) 7月に完成し、宮内庁に献納された。
楠木正成は日本の歴史上屈指の忠臣として名高く、後醍醐天皇の仕えた。

Benja
31 一月 2022 2:00

Great open space with benches and nice gardens for picnics or just relaxing while riding your bike. Best to visit during Sundays. They close the main road for cyclists.

ぽめぽめ
19 一月 2022 11:32

楠木正成像。私が今までみた銅像の中では桁違いに素晴らしい銅像。高村光雲が関わった銅像の中で最高傑作だと思う。見事なポーズ。これだけ複雑な構造で製作し当時の日本の鋳造技術も素晴らしいものがあると思う。
ネットもない時代、この原型を作るだけもものすごい調査が必要だったか想像ができる。
日本の最高傑作の銅像。

若松慎吾
27 十二月 2021 0:27

後醍醐天皇が隠岐に流され、戻って来た時に、楠木正成公、兵庫で出迎え姿だそうです。
「東京の三大銅像」に数えられ、駐車場近く立てられ、皇居広場からは松の木に隠れていて探しずらいですが、是非にご覧下さい。
トイレと自販機が有ります。

池田琢二
10 八月 2021 0:31

皇居外苑にある楠木正成像。
勇猛な武将らしく馬に乗っている。
勤王の士として知られる正成の像は、皇居外苑の象徴ともいえる。
上野の西郷隆盛像や靖国神社の大村益次郎像と並ぶ有名な像だ。

太陽と風
25 七月 2021 1:25

大阪河内長野、奈良、兵庫と楠木正成ゆかりの地にて様々な像を見てきましたが、こちらは圧巻の良さです。

ロケーション、ストーリー、大きさ、質感、表情…この迫力は本当に素晴らしく、大楠公の生き様がしっかりと表現されています。

馬も力強く、今にも駆け出しそうな勢い。
それを乗りこなす大楠公の力強さが伝わってきます。

近くに来た際はここだけでも立ち寄りたいくらいに感動致しました。
また必ず来ます。

安部祥太郎
23 六月 2021 9:35

朝、皇居ランニングで行ってみたいと思い行きました。皇居ランニングのコースからは少しだけ外れますがコースのすぐ側にあります。
朝の太陽の光と合わさり神々しくとてもカッコよく、パワーがもらえる様な佇まいを感じました。
清々しい朝を迎えたい方は一目観ることをお勧めします。

UFO
15 六月 2021 5:52

世界に誇る日本の名将です。今も目に見えない様々な外敵から、天皇と皇室に忠誠を立ててこの江戸城跡から見守っているような気がします。正統なのは北朝か南朝かとか、人間の都合はどうでもいいです。何故なら、天皇家を守っているのは日本の神であり、本物の皇統と天皇だから神が継承させているのです。偽物だったら途絶えます。この銅像は、隠岐に流された後醍醐天皇を出迎えた時の楠木正成公の勇姿だそうですが、とにかく理屈抜きで本当にかっこいい楠公さんです。

アーラーラカーラーマ
08 一月 2021 21:49

駅からちょっと歩くだけあって、かなり喧噪から逃れられてよい場所なのですが、どうしてかあまり人気がないようです。
駅からだと丸の内側のチャラチャラした人種がハードルになるかな。
その上、夜はトイレの施錠時間が早く正確な時間は判らぬが19時にはもう閉まっていた。
夜のこっそり堂の雰囲気がまた好い。
しかし自転車乗り入れ不可の歩道バリゲードが張られておらぬ箇所があり、夜間は縁石に激突転倒なさらぬよう。
しかしこっそり堂には諸君御期待のあれやこれやが廉価にて販売されており、宮様の使い古しが落ちて………………………その真実は訪れてみての乞うご期待
それはともかく、飲食施設や駐車スペースが公団チックなこの一画は夜間ガラガラではもったいない。
観光バス駐車場兼TSとして再整備して欲しい。

橘カヲル
24 十月 2020 10:22

「皇居から顔を背けるのは失礼にあたる」ため、像の正面から見ると大楠公は後ろを向いている。

南北朝時代の英雄で、稀代の忠臣として語り継がれる「大楠公」こと楠木正成の顔は常に皇居を向いているのだ。

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